7月26日~27日 古寺鉱泉の佇まいは変わらないが、いつの間にか“山オヤジ”から息子さんに代が変わっている。わたくしもこの山へ何度も足を運んでいるうちに“山のみなさん”と顔なじみになっていた。
下界では、猛暑、猛暑。朝日連峰・大朝日岳はどんよりとしたガスに覆われていた。華やかだった花の時期も終わり、大朝日岳、朝日連峰縦走を目指す人の姿と時折すれ違うだけだった。登山道整備をしていた、地元大江町山岳会のAさんと久しぶりに再会、大朝日避難小屋の管理人見習いとして今月中旬から小屋に寝泊りしているとのこと。夜は、大朝小屋の名管理人・大正12年生まれの大場さん、Aさんとお酒を酌み交わしながら、近況などを話すなか、大場さんもいよいよ山小屋生活とお別れの様子、Aさんも師匠と寝起きをともにしながら、いろいろなことを言葉、動作、肌で覚えようとしていた。
登山道脇の笹原にはショウキランが咲いていた。下山は、鳥原山を経由して古寺鉱泉へ降りた。
7月23日~25日 まだ、ヒメサユリ、
今回は23日麓の温泉宿で前泊、切合小屋に1泊しながら、ゆっくりと飯豊山を往復してきました。
明日は、徳島のみなさんと、大朝日岳に登ってきます。!!
では、では。
7月16日~22日 御西岳の稜線ではニッコウキスゲの群落に感激したり、
飯豊連峰全山縦走に出かけてました。1日目は毎年お世話になっている、福島県山都町川入地区の民宿高見台に泊まり、2日目は梅雨明け直後とあって、蒸し暑さを通り越したミスト状態と稜線では雷の様子を伺いながら剣が峰を越え、
ようやく、混雑する切合小屋にたどり着ました、3日目は青空の中イイデリンドウが咲く本山に登り
アオノツガザクラ、
ハクサンコザクラと次々に花が咲き乱れる花稜線を楽しみながら御西小屋へ向かいました。
御西小屋からは、サブザックで飯豊連峰の最高峰・大日岳を往復してきました。
4日目は、北股岳を経由して頼母木小屋までの変化に富んだ稜線歩きを楽しみ、
頼母木山近くではイヌワシ幼鳥の飛翔確認もでき、飯豊連峰の奥深さをあらためて感じることができました。
5日目は、
飯豊連峰最北のピーク・エブリサシ岳を往復、
エブリサシ岳に向かう途中、スカシユリを見かけ、
これで飯豊連峰縦走中
ヒメサユリ
クルマユリと3種のユリに出会うことができました。
また、ニッコウキスゲも
イブキジャコウソウも見事に花をつけていました。
花を楽しんだ後は、標高差1500mの足の松尾根を下りが待ち受けていました。
長かった下りも終え、アカショウビンの鳴き声が木霊する奥胎内ヒュッテで縦走のフィナーレを迎え、
6日目は早朝からアカショウビン探鳥に出かけて見ましたが、アカショウビンの声は確認できましたがその姿を見ることはできませんでした。オオルリはじめ多くの野鳥の声を楽しみ、タクシーで車道で戯れるサルの群れを押し分けるように新潟県の中条駅へと向かい、
長いようで短くも感じた縦走もここで解散となりました。
暑い中、お疲れさまでした。
7月15日
早池峰、秋田駒ケ岳、鳥海山を登り、久しぶりに自宅へ戻りました。5日間の登山中3日は気持ちの良いシャワーを浴びながらの登山となりました。
7月10日、早池峰山。朝6時に河原の坊登山口をスタート、歩き始め30分ほどで雨が強まり頂上までずっとふりっぱなし、帰路は雨が弱まったかと思ったら、小田越コースに入ると風速20m/S前後の強い風が吹く中下山となりました。
早池峰山は、携帯トイレ普及エリアというのはご存知のことと思います。この度、男性用携帯トイレも発売されたようです。使い勝手のよいトイレです。7月11~12日 秋田駒ヶ岳
秋田・田沢湖町のガイド仲間の小野宅に居候しながら、「田沢湖山の案内人事務所」の秋田駒ケ岳花ガイドのお手伝いをしていました。
11日は、時折田沢湖、岩手山などが展望できた梅雨の晴れ間の中での仕事、6月下旬から北東北の山へ入りはじめ、2週間ぶりに山の展望を楽しめたようなそんな好天に出会え、お客様の笑顔とともにホッとするひと時でした。
12日・秋田駒ヶ岳
秋田駒ヶ岳の予定でしたが、風雨のため阿弥陀池を往復して戻りました。天気ニュースでは、今日の風は“荒南風(あらはえ)”といい梅雨末期に吹く強風とのこと梅雨明けが近いのか、もう雨具は要らないかな?でもな、明日からの鳥海山を考えると・・?使用している雨具にも限界を感じていたので、悩んだ末、雨具を購入いたしました。
7月13~14日・鳥海山
2日間、札幌のみなさんを鳥海山へ案内していました。頂上小屋に宿泊なので遅めの出発、8時に大平山荘で待ち合わせ、大平山荘軒下には、イワツバメの巣がたくさん、親イワツバメがやたら低いところを飛んでいるのが気になります。西側の日本海には青空も広がりはじめこれが天気図上に現れていた高気圧かと眺めながら「雨具買わなくて良かった??」と思いたくなるような良い天気へのなか歩きだしました。でも油断は禁物です。さっきのイワツバメの低空飛行、この時期佐渡ヶ島や男鹿半島が見えるようなと展望の良い日ほど、ほどなく天気が悪くなるのです。案の定、昼過ぎから地を這うような雲が麓から湧き上がり、風が吹き、頂上に笠雲がかかり、あっという間に視界がなくなりました。
14日は、未明から土砂降り、早速新品の雨具が大活躍となりました。 これから、明日からの飯豊全山縦走の準備をして、新潟へ向かいます。帰宅は、21日頃でしょう、それまでブログはお休みです。
東北の山や鳥海山登山情報などは東北マウンテンガイドネットワークブログに掲載しています。
7月6日
14時。田代岳を登り終えるころから、夏の日差しが強まり青空が見えはじめた。間に合おうかなと急いでとなりの山“藤里駒ケ岳”へと向かってみた。国道7号線から約40キロほど山道をクルマで走り16時半過ぎに登山口に着く。
秋田県北部と青森県県境近くに位置し、白神山地の南東部にあたるが、駒ケ岳は昔から人間に利用されていて原生林がほとんど残っておらず、また白神山地の世界遺産登録時は周辺にかなりの伐採跡が残っていた為、世界遺産の範囲には入れなかった。1970年代自然破壊の象徴的存在だった“青秋林道”の建設中止のきっかけとなったエピソードの山でもある。
湿原やブナの森、多彩な高山植物と魅力尽きない山である。
7月6日
秋田県大館市の北端、青森県の県境に位置し白神山地に属する山、田代岳へ登ってみた。半夏生という不思議な言葉とミツガシワという高山植物を知るきっかけとなった山。八合目付近までぶなの森に覆われたやさしい雰囲気の山だ。この山の〇〇合目の表示は標高差約50m置きに設置されていて、とてもわかりやすい。
9合目付近には、大小120あるという池塘が点在し「雲上のアラスカ庭園」とも呼ばれている。
田代岳は、古くから水田信仰の山として知られ、青森県南津軽地方や秋田県北部地方の農家の人々は、毎年“半夏生”にあたる7月2日ころ、池塘に生えるミツガシワの生育状態を見て、その年の稲作の豊凶を占う伝統的習慣「田代岳占い」という例祭が催される。
気なる今年の豊凶結果は??
“田代岳占い”で検索してみたら、この祭事を担っている神社の宮司さんの“綴子神社のブログ”にたどり着いた。
半夏生の7月2日のブログには
“やや不良。平年並みまで行くか行かないかというところで判断させて戴きました”とのコメントが載っていました。
最後に“・・・忘れてはいけないもの、無くなりそうですが、無くしてはいけないものがここにあります・・・”と・・・結んでいた。青森県の山内丸山遺跡に代表されるような東北に残る縄文時代の遺跡から伺えること、その時々の出来事を神楽などの伝承や昔話に置き換え、東北の自然とともに生きてきた祖先、
この数週間の間に出会った、たくさんの高山植物やぶなの木々、宮沢賢治の生き方、現代版自然を生業とするガイドの姿などが重なってきた。自然のサイクルにはかなわないのだなとあらためて感じる時間をいただいた田代岳湿原だった。この山へ、登るなら半夏生のころが良いという願いがかなった、このような機会をいただき感謝。
7月5日
早池峰山の仕事が早く終わり、5日前に見つけた早池峰山河原の坊登山口近くにあった宮沢賢治の詩碑の意味を確かめようと花巻市にある“宮沢賢治記念館をたずねてみた。
入口にはタイムリーに特別展示の看板が掲げてあり、大いに期待して入場券を手に展示を見て回った。確かに早池峰山登山口で見かけた詩は『山の晨明(しんめい)に関する童話風の構想』という39行詩、最後の5行が碑文として掲載されていることがわかった。1972年全国で16番目の賢治詩碑として立てられた。「春と修羅」第二集の中にこの詩が納めれれ、宮沢賢治が1925年8月10日から11日にかけてこの早池峰山に登山したときのことを、この山を大きな菓子の塔に見立て表現したという。ここまではわかったが、詩の解説や現在どの本に掲載されているのか、その本が手に入るいるかは職員の方にも尋ねて見たが、わからなかった。
100円で購入した資料「早池峰山と賢治」には
他にも、「栗鼠と色鉛筆」「早池峰山嶺」「花鳥図譜、八月、早池峰山嶺」「東岩手火山」「白菜畑」「雲」「職員室に、こっちが一足はひるやいなや」「うすぐ濁った浅葱の水が」「川が南の風に逆らって流れているので」「暗い月明かりの雪の中に」「鈍い月明かりの雪の上に」「早池峰中腹」など早池峰山に関連した多くの詩が残されているようだ。
この詩はどのような内容なのだろうとまた興味が湧き出す。
“宮沢賢治と山登り”という???ミステリアスな世界へと引き込まれてゆきそうだ。
まずは、「どんぐりと山猫」という童話を読んでみた。
7月4日
今日は、5日前にも登った早池峰山へ小田越えコースを往復してきた。昨日の和賀岳も下山後一時間もたたぬうちにバケツをひっくり返したような雷雨。ここ数日は、北東北は大気が不安な状態が続いている。天気情報やラジオの雑音をチェックしながら空を眺める時間が多くなる。空模様を予想してのことか、今日の旅程表は朝5時30分一番のシャトルバスに乗り小田越を6時にスタート。
ハヤチネウスユキソウやミヤマオダマキ、ナンブトラノヲ、ミヤマアズマギクなどは、5日前とかわらず咲き競い合っていたが、ミヤマシオガマ、ナンブイヌナズナ、などは盛りを過ぎ山は盛夏へと季節が変わりだしている様子。頂上に新名所登場!今年6月30日作成とある真新しい移動式(コンパス付)“方位版”が頂上にお目見え。山座同定もわかりやすく解説されている。おそらく夜は避難小屋で監視に当たっている方の座卓に使われているのでしょう。
スッキリしない空模様の中での登山ではあったが、雨具を着ることなく無事下山。新幹線に乗車するころ絞るように雨が降り出した。
6月30日
今日は、秋田駒ケ岳八合目から通称“ムーミン谷”を通って岩手県・国見温泉までミニ縦走。
“秋田駒ヶ岳”どんな山と問われれば“花の山”と自信を持って即答できる山。だからなのでしょうか、平日のこんな梅雨空の中でも雨に打たれながら多く登山者の姿が。
わたしたちも、心ワクワクさせながら雨具を着、ザックカバー、スパッツと雨音を聞きながら準備を進める。花だけでなく四季を通じ魅力尽きない山でもある。
八合目から歩きはじめ、ベニバナイチゴ、ハクサンチドリ、キバナノコノツメの花が続き、ミヤマダイコンソウの群落が現れる、レッドデータブックに登録されているというオノエランがそここに点在、こんなに多く咲いてるのはここぐらいでは。阿弥陀池周辺はヒナザクラ、ムシトリスミレ、ミヤマキンバイなどの群落が続く、頂上を踏み“ムーミン谷”と呼ばれている馬場小路へ急坂を慎重に下る、振り替えればシラネアオイの群落、谷底の木道両脇は残雪と見間違うようなチングルマの群落、
大焼砂の斜面にはコマクサの群落と続く、
昨日の早池峰山には様々な花が咲き乱れ花のモザイク模様で楽しませてくれた。今日の秋田駒ケ岳は花が一種ごと見事な群落で出迎え、その豊かさを誇示するかのように出迎えてくれた。
今回は、同じ会のガイド仲間が開いている、安比高原・"ペンションあるぺじお"をベースに北東北の山々を楽しむことができた。
朝食はこのような様子、夕食はご想像にお任せ。
ぜひ、山の宿としてご利用を、満足度100%間違いなし。
6月29日 心配していた、花、天気にも恵まれ、小田越へ無事下山。
今日は、早池峰へ出かけてきた。昨日の八幡平の花の様子から花の開花、それから天気も心配だったが、青空が広がりだし、岩手山が姿を見せるとそんな心配も消えてしまった。
早池峰、昨年は花の時期に3回、今年は冬に2回とよく登っている山の一つ。
いつものように、河原の坊に車を止め、携帯トイレ持参の確認、登山口では外来種の侵入を防ぐ目的で置いてあるマットで靴底をゴシゴシ。何年ぶりかで新しいマットに代わりこれなら多少は効果もあるのかな??!様々な準備??を整え頂上へと向かった。
いつもの場所に、いつものように高山植物が咲いている早池峰山。今日は余裕を持って花の解説もでき、山のガイドにも余裕を持てた。
ミヤマタネツケバナ、ズダヤクシュ、ミヤマオダマキ、ミヤマハンショウヅル、キバナノコマニツメ、ハヤチネウスユキソウ、ナッブトラノヲ、ナンブイヌナズナ、ヨツバシオアガマ、ミヤマシオガマ、ホソバノイワベンケイ、ヒロハヘビノボラズ、ホソバツメクサなどなど。
岩手といえば、花巻市出身の宮沢賢治の名を思い出す方も多いのでは、イハートブ(ボ)は賢治の造語で“ドリームランド”とも呼んだ故郷・岩手のこと。山登りが好きな宮沢賢治が好んでしばしば登ったこの“早池峰山”からは『どんぐりと山猫』『風の又三郎』などこの山の展望から着想された作品は数多いとのこと。
小田越えから河原の坊をのんびり歩くことなどめったになく、この賢治の詩碑にはどんな意味込められているのだろう。宮沢賢治と岩手の山、早池峰信仰と遠野の山々と興味の尽きない、イーハトーブの山々の一コマ。