山岳ガイド 眞さんの山がいど日記

山岳ガイドが出あった自然、感動、日々の様子など綴ってみました。このブログで、のんびり"ねまらっしゃい"!

離れがたし“ふるさと”

2011年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

3月30日

26日夕方8日ぶりに帰宅しました。
わたくしは、毎日南三陸町志津川エリアにある災害対策本部ベイアリーナで活動をしていました。
ここは、1500人の避難者が滞在、災害対策本部、支援物資の集積地、自衛隊の駐留地、警察の安否確認所、犠牲に合われた方のご遺体安置所が混在する施設です。
被災2週間を過ぎ体力的に弱い方が、毎日数十人単位で救急車で搬送されて行きます、ロビーでは「生きてたの!」と再会を喜び合う人、全国各地から集まった救急車が待機、配給の列、飛び交うヘリコプターの爆音、その中に災害医療本部と救護所があります。

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わたくしは、ここで全国から集まってくる災害医療チームの受付や救護所内の雑用などをしていました。

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JICAから届いたエアーテントを設営、このテントのお陰で震災10日目にして、災害医療チーム全体ミーティングが可能になりました。

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直接、被災された方々と接することはありませんでしたが、
町の惨状は凄まじいです。

 


そのような、窮状に山形県庄内町が400人近い避難者を受け入れていただけるという朗報が地元山形新聞に報じられました。
少しでも快適な避難所生活が送れる方が・・・!と思いました。
でも、地元の方々は

“離れがたき古里”なのでしょう。

どんなに、辛い目にあっても慣れ親しんだ土地にいたいのでしょう。
避難されている方の3分の2の方がここに留まりたいと
意識調査の回答が出たようです。

もし自分なら、と真剣に悩みます。

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“これより先津波に注意”の看板だけが空しく残っている歌津地区へと通じる国道45号線の風景、この周囲にも多くの行方不明の方がたくさん残っています。

避難所生活を送られる方がにとって、

少しずつ季節が春へと移り、朝晩の冷え込みも和らいでゆくことが救いです。
明日から4月4日まで南三陸町へ向かいます、何もできないけれど、でも東北はわたくしのふるさとです。

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災害人道医療支援会(HuMA)活動支援事業 

2011年03月21日 | 公益社団法人 日本山岳ガイド協会

3月19日~26日

災害人道医療支援会(HuMA)活動支援事業 
災害人道医療支援会(HuMA)活動支援事業 

(社)日本山岳ガイド協会

災害人道医療支援会(HuMA)活動支援事業 

に参加中です。 役割は、 災害人道医療支援会(HuMA) ヒューマのロジスティクス活動です。

チームの先遣隊のドライバとして係わり、 気がついたら、活動拠点が宮城県南三陸町志津川エリアの災害対策本部のあるベイサイドアリーナで、災害医療チームの受け入れのお手伝いをさせていただくことになりました。

今日で3日目、一週間交代で、三ヶ月近い長期活動になりそうです。

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お見舞い申し上げます。

2011年03月16日 | ブログ

  2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震により

       お亡くなりになった方々に謹んで哀悼の意を表します。

また、被災地の方々、ならびに災害復旧活動に

            たずさわる方々に心よりお見舞いを申し上げます。

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11日、秋田駒ケ岳エリアでガイドを予定していましたが、
悪天等で自粛中に震災にあいました。

12日、一日かけ自宅へお客様と戻りました。

13日、山形空港から12時間待ちで大阪便にお客様を見送る
ことができました。山形空港は各地から避難される方、帰宅を急ぐ方で騒然としていました。

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14日、ガイド仲間の安否確認ができました。

15日、断水中のお宅へ飲料水を200リッター届けていました。

あわただしい数日を過ごし、自宅の状態もわかり、
ようやくパソコンの前に座ることができました。

お陰様で、無事です!

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