山岳ガイド 眞さんの山がいど日記

山岳ガイドが出あった自然、感動、日々の様子など綴ってみました。このブログで、のんびり"ねまらっしゃい"!

愛知学院大学岳士山岳会 総会

2024年03月31日 | 愛知学院大学山岳部岳志山岳会

3月24日

愛知学院大学山岳部がなくなることを受け、OB会でもある愛知学院大学岳士山岳会も解散することになる。

久しぶりに先輩、後輩があつまり懐かしい話に時間が過ぎてしまう。

本当になくなってよいのだろうか、、、寂しさだけがのこる。

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恩師 その2

2019年09月28日 | 愛知学院大学山岳部岳志山岳会

9/25

都内で恩師・湯浅道男先生を偲ぶ会を1973年エベレスト南西壁登山隊メンバーが中心になって開いていただきました。

ご家族、親交の深かった故橋本龍太郎先生夫人はじめ橋本岳先生(厚生労働省副大臣)、戦後日本の登山界をけん引していただいた多くの大先輩方も参列されての盛大な偲ぶ会となりました。

わたしたち愛知学院大学山岳部OBは受付を担当させていただきました。

あらため、師の偉大さ、やさしさに触れることができました。

失敗した色紙の裏に書いていただいた師の言葉は今でも大切にしています。

偉大な登山家・加藤保男の色紙と一緒に飾らせていただいてます。

師と呼べる方と出会うことができたことはわたくしの人生の宝であります。

合掌

 

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明治大学 紫紺会館

2019年09月08日 | 愛知学院大学山岳部岳志山岳会

9/5

IceWalk30thと大西宏君を偲ぶ会に、

参加する機会をいただきました!

亡くなられてから30年余、日本人初の三極点達成を目前にしてさぞ無念だったでしょう。

 今夜、旧知の山仲間と再会する機会をつくっていただいた大西宏君の縁に、ただただ感謝の念でいっぱいです。

ヒマラヤ、南極で活動させていただいたから、次は北極でも活動してみたいそんな夢が膨らんだ仲間との濃い時間でした!

感謝!

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恩師 湯浅道男先生を偲び

2019年07月13日 | 愛知学院大学山岳部岳志山岳会

7/6

山岳部の先輩のおかげで、恩師の墓前に手を合わせる機会をいただきました!

その後は先輩、友人とお茶を楽しみ

夜はまた先輩、友人と師を偲び献杯

恩師はよく"山で死んではいけない!"と言っていた。

20代の時は過酷と言われても過言ではないくらいのトレーニングに山行を師、先輩方から課していただいた。

その時は辛かったな、、、

でもそのおかげで親より早く山で死ぬ事もなく、今日まで生きて来れたことは師、先輩方のおかげさまと感謝している。

歳を重ねる事は、いろんな方との別れを重ねる事なのでしょうか、、、

相談するひとも、叱咤激励してくれるひともいないなんて、なんかさびしいな、、、

             合掌

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30年ぶりに

2018年05月02日 | 愛知学院大学山岳部岳志山岳会

4月27日

1988チョモランマ/サガルマータ交差縦走登山隊

30周年記念パーティが日本テレビ本社で開催されました。

当時アナウンスを担当されたいた、福留さん、木村優子さん、保坂さん

リポーターの中谷さんも

30年前の5月5日

中国とネパールの国境にある山

中国名・チョモランマ

ネパール名・サガルマータの山頂から

交差縦走する様子を5月5日に

日本に向けTV生中継を行った登山隊がありました。

ネパール側から登った隊員、中国側から登った隊員、

両国をサポートする日本隊員、TV隊員の様子が

プロ野球中継を中断して完成したばかりの東京ドームの

スクリーンに映し出さ当時話題のもなりました。

久しぶりにお会いした竹内洋君も当時17歳のころこの番組を

見ていたそうです。

登山としての価値はあまりいい評価ではなかったようですが、

当時27歳で参加したわたくしは同年代の隊員たちと何度もアイスフォールを往復し

8000m近くまで荷上げを繰り返していましたが、みなこ登山をステップに

次のヒマラヤ登山へつなげることで頭はいっぱいだったと思います。

先発隊から隊員が帰国するまでの約3か月ネパールで過ごしルクラでは飛行機が飛ぶまで10日あまり

ガウリシャンカール遠征隊でお世話になったサーダー・ラクパテンジンのロッジで過ごした日々などが

懐かしく思い出すことができました。

この登山隊を通じて出会った同年代の隊員、はじめ著名なクライマーの多くが

山で客死しました。またこの10日余りの間にもお二人の方が逝去されました。

あらためて、先日ご逝去された故湯浅道男先生のおかげを実感した夜でした。

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恩師

2018年05月02日 | 愛知学院大学山岳部岳志山岳会

4月13日

朝 愛知学院大学山岳部顧問だった湯浅道男先生の訃報が届いた。

高校三年生の時進学で悩んでいた時”山と渓谷”という雑誌の小さな連載記事に目が留まり

湯浅道男先生という名とプロフィールを読んで愛知学院大学山岳部に入ろうと決め、

愛知学院山岳部に入部した。

何も知らない田舎育ちのわたくしは何をするにも皆についてゆけず、

学生のころからから先生に先輩に怒られてばかりだった。

最近になってようやく、なぜあの時怒られたのかを理解することができるようになった。

葬儀の最後、師が好きだった歌ということで山岳部OBで歌った”学生時代”、“わかものたち”は

北岳バットレスで亡くなられた二人の岳兄を偲んで部室でよく歌ったあの歌、

いろいろなことをおもいだしてしまいボロボロに泣いてしまった。

いつかは恩返しをと思ったいたがそれのもかなわぬままになってしまった。

在りし日の姿を忍び心からご冥福をお祈りいたします。

 

ありがとうございました。

合掌

 

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