3月7日
今日は、秋田駒ケ岳の通称“リフト尾根”と呼ばれている、田沢湖スキー場トップから秋田駒ケ岳・男岳へ延びている雪稜から頂上を目指してみました。数日前からの暖気で一度緩んだ雪が再び締まり、スキー場整備の圧雪車が登れないほどまで雪が硬くなっていた。お陰で稜線はアイゼンが気持ちよく効き、時折のぞく青空に助けられながら往復4時間ほでの山行がたのしめた。
参加された方は、今日でアイゼン、ピッケル経験3日目、昨日までの早池峰とは違い、表情やロープから伝わる緊張感もなくなり、カメラを出したり、冗談を言い合ったり、多少余裕を持ちながら頂上を目指すことができたようだった。
今まで経験してきた夏山登山とは違い、雪山登山は全てが戸惑うことばかりだったのでは。全てガイドにお任せではなく、足りない部分をガイドに頼っていただく、その中で山登りの本質をいくらかでも理解いただければとと思いながら帰宅した今回の登山でした。3日間大変だったでしょうが、ぜひあきらめないで“高み”を目指してください!!お手伝いは惜しみません。
3月5~7日
3日間の予定で早池峰と秋田駒ケ岳へと出かけてきた。
5日は岳集落から林道を3時間ほど歩き、早池峰山登山口近くのうすゆき山荘に泊まる、丸太作りで洒落た避難小屋である、以前は薪ストーブが置いてあったが、今は石油ストーブになってしまい少々さびしい感じがした。そんなわけで、灯油6リッター、水3リッター、食材、コンロ、コッフェル、燃料、ロープ40m、個人装備等々“ガイド協会推薦のガイドザック”に目いっぱい詰め込んでの入山となった。翌日6日は、朝5時過ぎに小屋を出発1500m過ぎまでスノーシューを効かせ高度を稼ぐ、そこからはハーネスを装着ロープを結び合い、アイゼン、ピッケルを使って頂上を目指してきた。
登りながら数年前1月、2月の厳冬期に早池峰へ出かけていたことを思い出した。この山の冬は、標高差400mを越える急峻なミックス帯という険しい地形、マイナス20℃以下にまで冷え込む気象条件等、八ヶ岳とよく似ている。でも入山者の数や営業小屋がないこと、アプローチが長いなど万が一のフォローを考えると八ヶ岳よりを厳しいエリアではないだろうか。
一緒に登られた方のなかには、この山で雪山をはじめて経験され、その後モンブラン三山縦走へ出かけたり、ガイドになられたりと様々なステップアップをされた皆さんの顔が浮かんできた。
今回は、天候の急変で頂上まで標高差で20mを残し引き返してきたが、皆さんはこの雪山をスタートにどのようなステップアップを目指すのでしょう。それとももう雪山は懲り懲りでしょうか。
3月4日
昨日は、山形市内の大学で6月ころからはじまる公開講座の一コマに“山の注意点、安全”の講習をとの相談をいただき担当のかたと打ち合わせの為でかけたり、3月1日に山形県と宮城県に聳える“船形山(御所山)”で、遭難が発生、山形県側地元の遭難救援隊副隊長という立場上から万が一に備え関係者と連絡をとりながらスタンバイしたり、あっという間に自宅勤務が終わってしまった。(お陰様で遭難は2日後無事終息いたしました。)
今日は明日からの登山に備え、食料の買出し、装備の準備、情報収集、クルマの掃除と散髪やらと慌しい一日となった。
いつもの事ながら、四日の間に少しずつ準備を進めればよいのにと反省しきり。
3月1日
2月最終週は天気に合わせるような行動ばかり、予定は予定、実際のガイド業は参加者の意向も組みながら、天気やレベルに合わせた現場主義で行動や撤退=“アドリブなガイド”でよかったとあらためて感じた一週間でした。
そのお陰なのでしょう、予定より早く行動を終えるこができ、長男の高校卒業式に間に会うことができた。
式典の最中、体育館に住みついていているという“チョウゲンボウ”という猛禽類の鳴き声が響きわたりのどかな卒業式が挙行、最後のホームルームでは担任の先生から白居易のツバメの詩を紹介いただき、“巣立ち”の春をしみじみとかみした。
教室で担任から一人一人に卒業証書が手渡され一人一人がスピーチを披露、なかでも印象深かった一言は、山岳部に所属している男子生徒のスピーチ
「“山ヤのポリシー”は生きて帰ること、生きていればいつかみんなと、再会できます・・・!」 そのことを忘れないでいつまでも山を続けてほしい。と自分自身にも知らぬ間に言い聞かせていた。
天気のお陰で“アドリブなガイド”ができ、よい時間を過ごす事ができ、感謝、そしてありがとう。
まだまだ、春とは名ばかり山は雪山の様子、“現場主義=アドリブなガイド”を忘れないでいこうと思う。
ブログのデザインも春らしく換えてみました。