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「宮廷 花の紳士録」・まんがゼミナール「枕草子」その12

2021年07月02日 17時57分21秒 | 読書記

足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類等をかなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に 漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ながびく新型コロナ禍、不要不急の外出自粛中、ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間には、十分楽しめそうで、御の字の書である。(以上 過去記事コピペ文)


「宮廷 花の紳士録」・まんがゼミナール「枕草子」その12

第129段 「関白殿、黒戸より出でさせ給ふ」
中宮定子の父、関白藤原道隆の全盛時代のめでたさを回想して綴った段。道隆の娘、定子(ていし)が中宮、次女の原子(げんし)が春宮の女御として入内し、息子の伊周(これちか)は権大納言、道頼(みちより)が大納言と、要職に有り、栄華の絶頂期だった頃のこと、中宮定子に仕えていた清少納言にとっても・夢のようにたのしくも晴れがましい一時代だったに違いない。

関白様のお帰りーっ!
ホッ、ホッ、ホッ・・、
関白様、ご退出ーっ!
やー、おまはんたち、えらいええ女ぞろいやないの。
ワイみたいなロートル関白、おかしゅうてしょうもないやろ・・・。
沓をはかせてる人がね、関白の子息、権大納言伊周、
次期関白の最有力候補だってサ。
大納言様ほどの堂々としたダンディに沓をおはかせになるのやから、
ほんまに偉い御身分どす。
おや!、道長様があそこにお立ちや。
ほんまに エレガントなお姿や・・・。
あら!、弟の道長様がおひざまずきにならはった・・・。
生まれながら身についた関白様のお人柄のせいや。すばらしい!
道長様がひざをおつきにならはったとき、
関白様をほれぼれとお見守り申しました。
そなたの関白びいきはえらいものね。
その話はもう、7回目やね。
そんなお話の主たち、関白様も、中宮様も、
今は亡きお方々でおます。
関白の座は、伊周様の予定が、叔父の道長様に取られてしもうた。
今は栄華を極める道長様を、あの時ひざまずかせた関白様。
ほんまに偉い方。


原文だよーん

関白殿(くわんぱくどの)、黒戸(くろど)より出でさせ給ふとて、女房のひまなく候ふを、
「あないみじのおもとたちや。翁(おきな)をいかに笑ひ給ふらむ」
とて、分け出でさせ給へば、戸に近き人々、色々の袖口して、御簾(みす)引き上げたるに、権大納言の御沓(おほんくつ)取りてはかせたてまつり給ふ。いとものものしく、清げによそほしげに、下襲(したがさね)のしり長く引き、所せくて候ひ給ふ。


(注釈)

関白藤原道隆様が、黒戸口からお出ましになるというので、女房達が廊にすきまもないほど、ぎっしりと伺候していると
「ああ、実にきれいな女房達だなあ。この老人をどんなに醜いとお笑いになっていることだろうか」と言って、その中を分けてお出ましになると、戸口にいる女房達が、色とりどりの袖口で、御簾を引き上げたところ、権大納言伊周様が、関白様のお沓を取ってはかせ申し上げなさる。権大納言様はとても堂々としていて、美しくきれいに装った様子で、下襲にすそを長く引いて、あたり狭いほどの立派な有様で控えていらっしゃる。

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