たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

無視され出した?、緊急事態宣言

2021年07月27日 23時17分36秒 | 暮らしの記録

前代未聞の無観客で進められている東京オリンピック競技、それぞれの種目で熱戦が繰り広げられ、テレビや新聞から感動も伝わってきているが、一方では 新型コロナウイルスの急激な感染拡大が報じられ、専門家からは、危機的状況に入りつつ有ると警鐘が鳴らされている。
オリンピック開催、夏休み等が重なっていることも有り、行楽地に溢れかえる人出、高速道路の大渋滞・・等々の映像を眺めながら、「緊急事態宣言」が発出されていること自体が無視され始めているのではないかという気がしてしまう。
東京都内で、今日7月27日、1日の新規感染者は 過去最多、2,848人だったと発表された。1日の感染者数では 過去最多で、グラフの推移を見る限り、さらに増え続ける恐れが有る。年代別に見ると、20代~50代で約8割と、圧倒的に若い世代が多いようで、感染拡大に歯止めを掛けることが、なかなか難しくなっているとも言える。不要不急の外出自粛、万全の感染対策を守って、家の周辺をウロウロと暮らしている後期高齢者であるが、他人事に非ず、今年も 普通の夏では無く、コロナ禍の夏で有ることを 改めて認識する必要があるのでないかと思っているところだ。さてさて、これから先、どんな事態になるのやら、一抹の不安がよぎる。

(スマホ アプリ NHK ニュースより) 

 

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ふっと思い出した故郷の言葉 No.58 「まっきび」

2021年07月27日 13時32分03秒 | 懐かしい故郷の方言

懐かしい 昭和20年代、30年代の農村風景
相互フォロワー登録している「気ままぶらぶら」たなのぶ様のパソコン画。
ご本人のご了解を得て拝借している。


昭和20年代から30年代前半、幼少期を北陸の山村で過ごした爺さん、当時 聞いたり、使ったりしていた言葉(方言)も、ほとんど思い出せなくなっている。根っからの地元民ではなかった家族の中で育ったこともあり、身に染み込んでいなかったからだと思う。それでも 時々 何かのきっかけで ふっと思い出すことがある。記憶曖昧、多少ニュアンスが違っていたり、勘違いだったりの可能性も有りだが またすっかり思い出せなくなる前に 爺さんの引き出し(ブログ カテゴリー)「懐かしい故郷の方言」に 書き留め置くことにしている。(以上、過去記事コピペ文)


No.58 「まっきび」

「トウモロコシ」のこと。当時、ほとんどの農家の畑では、トウモロコシが栽培されており、夏のおやつの代表だったような気がするが 大人も、子供も 「まっきび」と呼んでおり、「まっきび」が 方言とは 思ってもいなかった。「トウモロコシ」と呼ぶようになったのは、随分後年になってからのような気がしている。

例えば

「アンチャ、マッキビ ユデタソイ タベテイキナイヤ」
(おにいちゃん、トウモロコシ茹でたので 食べていきなさい) 

「ハタケカラ マッキビ トッテコイヤ」
(畑から トウモロコシ 採ってきなさい)

 

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「中学生日記より」その39(再)

2021年07月27日 10時50分33秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のこと。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。(以上 過去記事コピペ文)


その39 「げんとう(幻灯)」

昭和30年(1955年)7月29日、金曜日、天気 晴、

1限目 社会、2限目 図画、3限目 理科、4限目 国語、✕(授業無し)
(ツベルクリン反応検査で)よう性(陽性)人たち(生徒達)
(隣り町の)保健所に行ったため、ぼくたちは(残った生徒達は)
げんとう(幻灯)(を見た)

1、げんとう(幻灯)は、「リヤ王」、「小公女」、「ガリバー旅行記」、
 「ロバをうり(売り)に行った親子」

2、(ツベルクリン反応検査で)よう性(陽性)の者は(生徒は)、
 (レントゲン検査のため)保健所へ行った。

3、まっきび(トウモロコシ)を (今年)初めて食べた。

帰家(帰宅) 12時5分、

夏休み直前、午前中だけの授業の日に、ツベルクリン反応検査で 陽性だった生徒達は レントゲン検査を受けるため、隣り町の保健所に集団で出掛け、残された、陰性でBCGを打たれたM男達(もしかしたら半数程度だったのかもしれないが)、授業無し、げんとう(幻灯)を見たと 書いて有る。
机、椅子を廊下に出し、暗幕を張った1教室に、残った中学生全員が集められ、床に座り込んで 見たような気がする。
げんとう(幻灯)とは 幻灯機での映写、いまで言えば プロジェクターで 映写幕に映し出すスライドのようなもので、当時、時々見ていたような気がする。もちろん音声等はなく、無声映画の如しで、男性教師I先生が 操作しながら語る、活弁のようなものだった気がする。
運動会、学芸会等の行事の都度、放送機器(マイク、スピーカー等)の設置、取り扱い、映写機や幻灯機の取り扱い等、当時としては 電気機器に強く、頼られ、委ねられていたI教師が、どこからか 機器を調達してきては、生徒に見せてくれていたのだと思う。
幻灯機・・・、今更になってネットで調べてみると、元々は、ドイツのキルヒャーが発明した機械で 第二次世界大戦後もしばらくは 教育用の映写機として活用されていたという。隔世の感有りだ。

「まっきびを初めて食べた」・・・と書いてある。
当時の北陸の山村でも ほとんどの家で トウモロコシを作っており、夏のおやつの代表でもあったが、大人も、子供も、「トウモロコシ」
のことを、「まっきび」と呼んでいた。M男が トウモロコシと呼べるようになったのは 随分後年になってからのことだった気がする。

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