長男、次男が まだ保育園、小学生だった頃、春、秋等の休日、よく家族で周辺の低山を歩き回っていたものだが、次男が小学生になった頃からは、一時期、每年、夏に、尾瀬や八ヶ岳、白馬等北アルプス等に出掛けるようになっていた。時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の夏休みの思い出になれば・・との思いが有って、忙中敢えて閑を作り、強引にスケジュールに入れ、山へ向かっていたような気がする。息子達が巣立ってからも、夫婦で、ちょこっと山歩きを続けてはいたが、完全に仕事をやめてからは、後期高齢者、時間が有っても、気力体力減退、あの山もこの山も遠い思い出の山となってしまい、今となっては あの時、あの山へ、思い切って行ってて本当に良かった等とつくづく思うようになっている。以前、そんな山の思い出を備忘録としてブログにも書き込んだり、古い写真は、デジブックにしたりして懐かしんでいたが、デジブックが終了してしまったこともあり、改めて、少しづつ思い出しながら、過去の記事を、コピペ、リメイクしていこうと思っているところだ。(以上過去記事コピペ文)
その2 「残念無念の早池峰山とちょこっと遠野」
深田久弥氏の「日本百名山」のひとつにも選ばれている早池峰山(はやちねさん)(標高 1,917m)は、日本のエーデルワイスと呼ばれるハヤチネウスユキソウでも知られている東北の名峰、夫婦共々、一度は訪れてみたいと、長年機会をうかがっていたものの、やはり なかなか実現しなかった。その早池峰山を訪れたのは、「その内、いつか・・」等と言ってられない年齢になって、今から8年前、2013年7月初旬の週末、1泊2日で強行敢行したものだった。・・・が。
2013年7月6日(土)は、関東甲信越地方が、平年より15日程早く梅雨明けしたと気象庁から発表が有って、北陸、東海、西日本等各地では、猛暑日となった日だったが、日本海側から三陸に掛けて前線が通過中で、東北北部の天気予報は「雨」だった。特に山沿いでは 「大荒れ」になるとの予想が出されていた。
前泊の盛岡の宿から早朝、レンタカーを飛ばし、岳駐車場に到着したのは、午前5時30分頃。途中でも、時折、雨が激しく降る、不安定な天候。岳駐車場からは シャトルバスで小田越登山口へ向かう予定にしていたが、出発を見合わせ、携帯電話の天気情報、雨雲レーダーをチェックしながら、2時間程待機した。一向に、回復する兆しが無く、ほぼ絶望的、中止しようかと思案していたものだったが、続々と到着するハイカーの車、シャトルバスに乗り込む様子を見て、とりあえずは、小田越登山口まで、行ってみるか・・ということになった。
岳駐車場
午前8時30分発のシャトルバスで出発、小田越登山口に向かったが、標高が高くなるに従い、ますます風雨が激しくなり、台風並みの悪天候。小田越登山口に到着してみると、すでに、登頂を断念し、途中から引き返してきたハイカーが十数人おり、情報を伝え合っていた。その時点で 「登頂は無理」と判断したが、せっかくここまで来たのだから、とりあえず、安全なところまで、登ってみようということになり、午前9時 小田越登山口を出発。
1合目?
しばらくは樹林帯で、さほど風雨を強く感じなかったが、約30分歩くと森林限界になり、岩稜部に出た途端に、猛烈な風雨に襲われ、吹き飛ばされそうになる。再三立ち往生。これまでの山行では経験したことのない悪天候で有り、それ以上は、無理、危険と判断、前後のハイカー達とも声を掛け合いながら、引き返し下山することとなった。
登山道で、お目当てのハヤチネウスユキソウを、2、3見付けたものの、暴風雨で大揺れ、コンデジで撮れる状態ではなく、なんとかピンボケながら 証拠写真1~2枚。
10時30分頃には、小田越登山口に戻ったが、途中から引き返したハイカーが、続々と集まり出し、小田越登山口11時42分発のシャトルバスは、増便でも満員、長い行列、待ち合わせ時間に すっかり身体が冷え切ってしまったが、車内は蒸気ムンムンで回復、冴えない表情で岳駐車場に 戻った。
この日は、出来る限り早出し、早池峰山に登り、午後には盛岡に戻り、盛岡市内を逍遥、小さな旅を楽しみ、19時13分発新幹線(はやぶさ18号)で帰途に付くという予定だったが、ご破算。 さて、どうする。車内で着替えた後、ちょこっと、遠野まで、ドライヴ気分で足を伸ばすことになった。
早池峰ダム
遠野ガイドマップ(遠野市観光協会)
南部曲り家 千葉家
遠野から盛岡に戻り、レンタカーを早めに返した後、
盛岡の街中、北上川河畔附近等をぶらり歩き、予定通リの新幹線で帰途についた。
山歩きの後のビールは格別なものだが、その日のビールはなんとも味気ないものだった気がする。
気象状況が、1日でもずれていれば、実現したかも知れない早池峰山登頂、天候の回復を待って再挑戦する等の余裕が無かった職業柄、結局は、岩手県まで出掛けて、涙を飲んで引き返した残念無念の山旅となったのだった。
まともに出会うこと叶わなかったハヤチネウスユキソウ
(ネットから拝借画像)