足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからである。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。
(ネットから拝借画像)
百人一首で「恋」を詠んだ歌 その10
逢ひ見ての のちの心に くらぶれば
昔は物を 思はざりけり
出典
拾遺集(巻十二)
歌番号
43
作者
権中納言敦忠
歌意
あなたに逢って、共に一夜を過ごした後の
いよいよ募る今の心に比べると、
逢う以前の恋のせつない気持ちは、
物思い等とは言えない程のものであったことよ
相愛の男女も、別々に住まなけらばならなかった時代の、
募る恋心の切なさを表現した歌
注釈
「逢ひ見てののちの心に」
「逢ひ見る」は、男女が深い関係になる意。
「のちの心」は、深い関係になった後のますます高まる恋心の意。
「昔は物を思はざりけり」
「昔は」は、相手と深い関係になる前の意。
深い関係になる前も、当然物思いしていたはずであるのに
契を結んだ後の今のますます増してくる恋情と比べると、
物思いしていた内には入らない、
それほど今の思いは激しいという意。
権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ)
藤原敦忠のこと。左大臣藤原時平の三男。三十六歌仙の一人。
管弦の道にも通じ、琵琶の名手だった。
醍醐、朱雀、両朝に仕え、26歳で左近少将となり、
37歳で従三位・権中納言になったが、翌年没している。
「大鏡」の記述によると、敦忠は、父親時平が悪計をめぐらし、
菅原道真を九州に追放したことを嘆き、
「われ命短き族なり。必ず死なむず」と、
父親の罪の罰として自分の短命を予想していたという。
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)