足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。
(ネットから拝借画像)
百人一首で「恋」を詠んだ歌 その13
難波潟 短き芦の ふしの間も
逢はでこの世を 過ぐしてよとや
出典
新古今集(巻十一)
歌番号
19
作者
伊勢
歌意
難波潟に生えている芦の短い節と節の間のような
ごく短い時間でさえも、あなたにお逢い出来ずに
この世を過ごしてしまえとおっしゃるのですか
前半で、風景の美と寂しさを描写し、
後半で、男性への恨みをの訴えている作品である。
注釈
「難波潟」は、「難波江」とも言う。現在の大阪湾の一部。
干潮の時は干潟になり、芦の名所だった。
「ふしの間も」は、節と節の間ということで、
短い時間を比喩している。
「逢はで」は、「逢わないで」の意。
「この世」の「世」は、「世の中」「男女の仲」の意。
また、芦の節の中間を「よ」と言っていて、芦の縁語でもある。
「過ぐしてよとや」の「てよ」は、「・・してしまえ」の意。
「や」は、疑問の係助詞で結びが省略されている。
伊勢(いせ)
生没年未詳だが、900年前後の女流歌人。三十六歌仙の一人。
父親が伊勢守藤原継蔭だったことから「伊勢」と呼ばれた。
宇多天皇の后七条に仕え、後に宇多天皇の寵愛を受け皇子を生んでいることもあり、「伊勢の御(いせのご)」とも呼ばれた。
容貌、心情の美しい女性で、宮仕えの過程で多くの男性に愛されたと言われている。家集に「伊勢集」が有る。
「三十六歌仙」とは
平安時代に、藤原公任(ふじわらのきんとう)が選んだ三十六人の歌人のこと。
柿本人麻呂、山部赤人、大伴家持、猿丸太夫、僧正遍昭、小野小町、在原業平、紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、藤原兼輔、藤原敏行、壬生忠岑、坂上是則、藤原興風、源重之、大中臣頼基、源公忠、平兼盛、小大君、中務、藤原元貞、伊勢、源宇干、斎宮女御、藤原敦忠、藤原高光、源信明、清原元輔、大中臣能宣、藤原仲文、源順、藤原清正、壬生忠見、藤原朝忠、素性法師、
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)