たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「枕草子覚え書き」・まんがゼミナール「枕草子」 その35 (最終)

2021年12月29日 17時50分41秒 | 読書記

足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類等は、かなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に、漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間でも、十分楽しめそうで、御の字の書である。


「枕草子覚え書き」・まんがゼミナール「枕草子」 その35

第319段 「この草子、目に見え、心に思ふ事を」
清少納言が「枕草子」の成立や流布のいきさつを語った跋文(後書き文)。最初に断り書きがあり、「つれづれなる里居」の時に書いた等と、執筆の場所が語られている。次に「枕にこそは侍らめ」と答えたことから書くはめになった等、執筆の動機と題名の由来が語られている。随筆文学の祖とされる「枕草子」の事情が良くわかる段。

自分の心にすばらしいと感じたことを、人にも語り、このように書き付ければ、中宮様の御ためには、軽々しいようでおまして、いとおそれ多いことでおます。
されど、この草子は、目に見え、心に思うことを、人が見るとは考えもせずに、つれずれなる里住まいの間に、書きつづったものでおました。
あいにく、人にとっては、不都合な失言まがいのことも所々にあるよって、よう隠しおいたつもりでおましたのに、心ならずも、世間にもれ伝わってしまいました。
中宮定子様に、兄上である内大臣の伊周(これちか)様が、真新しいとじ草子(白い紙のゴージャスなノート)を献上されはりました。
中宮定子「これに何を書いたらよろしおすやろ・・・、帝は、「史記」という書を写されたそうやけど」
清少納言「帝が、しき「敷」物でおわすなら、中宮様は、「枕」がよろしおす」
中宮定子「あらっ!、エッチ!」
清少納言「キャ!」
中宮定子「でも、とても気が利いたしゃれやワ。この「枕」、そなたに賜うで」
清少納言「キャーッ!、やったあ!」
ありがたく、いみじくしあーわせ。
というわけで、このエッセイ集は、「枕草子」なのでおます。このようにぎょうさんある紙に、書き尽くす意気でおましたが、わけもようわからん事も、ずいぶん書いてしまったようどす。ほかの和歌や物語と肩並べ、人並みに批評されようなんて思うてもおらへんどした。せやから、人に読まれたのは、残念に思うとります。


原文だよーん

この草子(さうし)、目に見え、心に思ふことを、人やは見むとすると思ひて、つれづれなる里居(さとゐ)の程に書き集めたるを、あいなう、人のために便(びん)なき言ひ過ぐしもしつべきところどころもあれば、よう隠し置きたりと思ひしを、心よりほかにこそもり出(い)でにけり。宮の御前(おまえ)に、内の大臣のたてまつり給へりけるを、「これになにを書かまし。上(うへ)の御前には、史記といふ書(ふみ)をなむ書かせ給へる」など宣(のたま)はせしを、「枕にこそは侍(はべ)らめ」と申ししかば、「さば、得てよ」とて、賜(たま)はせたりしを、あやしきを、こよやなにやと、尽きせず多(おほ)かる紙を、書き尽くさむとせしに、いともの覚えぬことぞ多かるや。


(注釈)

この草子は、私の目に映り、心に思うことを、他人が見るはずがないと思って、所在のない里居の時に、書き集めたものなのですが、困ったことに、他人に対して不都合な言い過ごしもしてしまいそうないくつかの箇所もあるので、十分隠して置いたと思っていたのに、心ならずも、世間にもれ出てしまいました。中宮様に、内大臣伊周様が献上なさって紙を前にして、中宮様が、「これに何を書いたらよいかしら。天皇様は、「史記」という書物をお書きあそばしたようだが」等とおっしゃるので、私が、「それでは、「枕」でございましょう」と申し上げたところ、「それなら、お前が取りなさい」と言って、その紙を下さったのですが、つまらないことを、あれよこれよと限りもなく沢山の紙に、全部書き尽くそうとしたので、そのために実に分けの分からないことが多いのですよ


清少納言のイメージ



(おしまい)


「餅切り」と「あられ作り」は爺さんの出番

2021年12月29日 14時02分54秒 | 暮らしの記録

昨日、年末の「餅つき」をしたが、今日午前中は、「餅切り」と「あられ作り」と相成った。我が家では、毎度のこと、「餅つき」をした日の翌日、のして(伸して)おいた餅の「餅切り」をし、切れ端を「あられ」にすることにしている。「餅つき」の方は、妻一人で出来る仕事だが、「餅切り」「あられ作り」は、力仕事、爺さんの出番となる。
どうも関西地方では、ついた餅を「丸餅」にするのが主流のようだが、我が家の場合は、のした(伸した)餅を適度な大きさの「角切り」にし、直ぐ食べる分を除いては、冷凍庫に保存し、小出しにボチボチ食べることにしている。いい加減にのした(伸した)餅を角切りにするため、切れ端がかなり出来るが、それらはさらに細かく切り刻んで、「あられ」にすることにしているのだ。

(注)「のし餅」の「伸す(のす)」とは 「均等に力を加えて、物を伸ばして広げること」と 辞書に出ている。

「切り餅」

「あられ」


適度に乾燥させてから、フライパンで煎って 醤油をまぶせば 
自家製「あられ」が 出来上がる。


昭和20年代、30年代の子供の頃、
菓子類等、おいそれと買えなかった時代、
おやつのひとつだったこともあり 
その風味が懐しく、毎度、作ってしまっている。

出来上がった自家製「あられ」
(過去の写真)

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脳トレのつもりでひねる五七五 2021年振り返り・その3

2021年12月29日 06時44分39秒 | 川柳・俳句・五七五

数年前までは、まるで興味も関心もなかった川柳。ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、クソ真面目、まるで面白みの無い、川柳とは程遠い存在の爺さんが、ひょんなきっかけで、「面白そう?・・」等と思い込んでしまい、「川柳とは?」も分からないまま、単なる「五七五言葉並べ遊び」を始め、続けていたが、4年前頃に、相互ブログフォロワー登録しているのびた様からのお声掛け、お誘いを受けて、恥も外聞もなく、拙句、駄句を、投句してしまうことにもなっている。結果、何も分からなかった川柳の世界をちょこっとでも覗かせていただき、多くのことを教わってきたような気がしている。
ただ、所詮、川柳の才能無しの爺さん。
スタンスは、出題されるお題に対して、締め切り日までに、錆びついた老脳をギシギシ動かし、言葉を捻り出し、五七五に編むという過程が、ある種、脳トレになっているに違いない、ボケ防止に多少役立つかも知れない等という期待感から 続けていることだと思っている。その出来不出来に関わらず、爺さんが四苦八苦して?生んだ川柳(川柳もどき)、せっかく作った句を、忘れてしまわない内にブログに書き留め置くことにしているが、今年2021年、1年間に作った川柳(川柳もどき)を、振り返ってみた


お題「歌」

    八十路(やそじ)過ぎ十八番(おはこ)は唱歌童歌(わらべうた)

    平和です妻に鼻歌出てる内

お題「かわいい」

    初孫がにこりグーパーもみじの手

    カワイイと言われおどけるオバアチャン

お題「ゆるい」

    ゆるんでも切れないでいる赤い糸

    堅物のゆるいジョークで座がシラケ

    元とるぞベルトゆるめて食べ放題

お題「華やか」

    一輪のバラで華やぐ老いの部屋

    華やかな舞台の裏は汗埃

お題「澄む」

    君を待つ澄んだ夜空にカシオペア

    飢餓の国澄んだ瞳の子等悲し

お題「付く」

    付いて来い今じゃワイフに付いて行く

    付いてなきゃ何も出来ない我が亭主


前述のように、数年前から投句するようになっている、鹿児島のコミュニティFMぎんがの「てんがら川柳五七五」。今年1年間に投句した川柳の内の何句かが、撰者の石神紅雀様春田あけみ様に選んでいただき、
   爺さんもおだてられりゃ木に登る
の気分になったものだが、それに輪を掛けて、長年「てんがら川柳」に携わっておられる、相互フォロワー登録している村永チトセ様が描く己書色紙を、その都度いただき、川柳の才無し初心者の爺さんにとっては、まるで、宝物?、表彰状?、勲章?の如しになっている。諸般の事情により、その己書色紙、来年1月からはいただけなくなるだけに、ますます貴重なものなり、外付けHDのファイルにしっかり保管している。改めてこれまでのご苦労に感謝しているところだ。

作者の村永チトセ様ご本人からご承諾をいただいたので掲載させていただくことにした。

  

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