たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

ホウレンソウ初収穫と畑のお礼

2021年12月27日 17時57分25秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

日本列島付近に今冬一番の寒気が流れ込んでいる影響で、北海道や東北、北陸の日本海側を中心に大雪になっているようだが、当地、今日も、寒さ厳しいものの快晴。
毎年、年末には、借りている畑地の地主Fさんにお礼を兼ねた歳暮を届け、井戸水を使わせてもらっている近所のMさんには、お礼に収穫物を届けることにしているが、今年も押し迫ってしまい、午後になってから、畑に出掛け、ご両家を訪れてきた。

(1)ホウレンソウ、初収穫
   失敗して、再度、かなり遅れて種蒔きしたホウレンソウ、
   まだまだ、小さいが、待ち切れず、初収穫

(2)白菜、大根、小松菜、ネギ 収穫

今年もまた1年間、見様見真似の野菜作りをやってこれたが、これも、Fさん、Mさんのご好意が有ればこそのこと、ほんの気持ちだけの謝礼だが、これを済まさないと年を越せないようになっている。

15時を過ぎると一段と冷え込んできて、あっという間に日が暮れた。
寒い!、寒い!


嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな

2021年12月27日 13時01分56秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。

(ネットから拝借画像)


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その14

嘆けとて 月やは物を 思はする
かこち顔なる わが涙かな

出典
千載集(巻十五)

歌番号 
86 

作者
西行法師

歌意
「嘆け」と言って、月が私に物思いをさせるのであろうが
いや、そうではない。恋がそうさせるのだ。
そうであるのに、月のせいにして、
恨めしそうな様子でこぼれ落ちる私の涙であることよ。

千載集の詞書(ことばがき)に
「月前恋といへる心をよめる」と有り、
月を前にして、恋人を恨む気持ちを詠んだ
「題詠」の歌であることが分かる。
古来、月は物思いをさせるものだという
伝統的観念の上に立っている歌。

注釈
「嘆けとて」は、「月が私に嘆き悲しめと言って」の意。
「とて」は、「と言って」の意。
「月やは物を思はする」は、月が物思いをさせるのであろうか、
いやそうではないの意。
「やは」は、反語の係助詞。
月を擬人化した表現。
「かこち顔なる」は、恨めしそうな様子をしているの意。
「かこつ」は、「かこつける」「他のせいにする」の意の動詞。
月のせいではないのに、まるで月のせいであるように
恨みがましい様子の意味になる。


西行法師(さいぎょうほうし)
俗名 佐藤義清(さとうのりきよ)。
その祖は藤原秀郷で、代々、北面の武士の家柄に生まれた義清も、鳥羽上皇の北面の武士として、左兵衛尉(さひょうえのじょう)となったが、23歳で出家し、諸国を行脚、仏道修業と歌作に専心した。藤原俊成と並ぶ、平安時代末期の代表的歌人で、新古今集には、最多の94首が入集されている。山部赤人以来の自然歌人として、後世、宗祇、芭蕉等から、範とされた。家集に「山家集」が有る。


川柳

西行の涙は月に呆れられ

西行は、月を見ていると悲しく涙が出ると言ったが、
月にしてみれば、「お前を泣かすような顔かよ!」と呆れ返った・・の意。
立場を逆にした句。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


 


読めない書けない難漢字 No.42

2021年12月27日 10時27分33秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

普段、会話や文章で、あるいはテレビやラジオ等で、ごく普通に使われている言葉で、誰でも知っている言葉の中にも、いざ、咄嗟に漢字で書けと言われると、「???」となってしまう言葉が結構有るものだ。
もちろん、漢字検定何級、漢字クイズ王なる人達にとっては、御茶の子さいさいなのかも知れないが、一度や二度、聞いても、教えてもらっても直ぐそのそばから忘れてしまう類の爺さんは、たまたまそんな漢字に出会うと、「へー!、そうなんだ・・」、その都度、目から鱗になってしまう。
今は、有難い世の中、漢字不勉強で語彙力の無い爺さんでも、PCやスマホの漢字変換ソフトのおかげで、ブログ等には、読めない、書けない難漢字でも、平気で、知ったかぶりして書ける時代だが、「じゃ、実際、自分で読んでみろ、書いてみろ」と、問題に出されたら、降参してしまうこと多しだ。

「寒さのため手足が凍えて思うように動かなくなること」「かじかむ」と言うが、昨日のブログ書き込みで、無意識に漢字を使っていたことに気が付いた。
昭和20年代、30年代、北陸の山村で暮らした子供の頃、冬季の暖房といえば、学校等には、薪ストーブ、後に石炭ストーブが有ったりしたが、一般の家庭は、炭火の、後に豆炭の「掘り炬燵」と「火鉢」位しかなかった。大人も子供も、何枚の重ね着し、綿入れの半纏等を羽織ったり、厚い靴下を履き、毛糸の手袋をしたりしていたが、朝昼晩、手足がかじかみ、アカギレシモヤケにも悩まされたものだった。最近の暮らしでは、ほとんど、かじかむ、アカギレ、シモヤケ等という言葉も使うことが無くなっているが、昨日は、思わず使ってしまった。PCやスマホでは、実際には、書けない漢字も、サラッと変換されて使えてしまい、後ろめたくもなる。

(ネットから拝借イラスト)











(漢字)

悴む

拡大してみると

悴む

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