たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「お父さんはお人好し」(再)

2021年12月04日 22時28分00秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

7年前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代、
2014年6月22日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


「お父さんはお人好し」(再)

M男が、小学校高学年から中学生の頃の話である。ラジオしか無かった時代、しかも、電波状態が極めて悪く、NHKラジオ第1放送1局が、雑音混じりで辛うじて入るような、北陸の山村で暮らしていたが、夕食後の団欒の時間帯、家族全員、茶箪笥の上に鎮座?していた、そんな中古ラジオに耳を傾けていたものだ。例えば、当時、「お父さんはお人好し」という、ラジオ放送劇が有った。後年になって分かったことだか、昭和29年に放送開始され、10年以上続いた番組だったようだ。多分、今、その番組を懐かしく思い出せる人の数は、かなり少なくなってしまっているのではないかと思っている。
花菱アチャコ浪速千栄子が演ずる夫婦と、12人の子供達等が繰り広げる、ドタバタ喜劇だったと思うが、当時は大変人気が有った番組だった。今で言う関西発ラジオ番組だったのだろう。
毎回、たわいのない出来事で大騒ぎする内容だったが、番組のエンディングに、アチャコの決め台詞、「もー、むちゃくちゃでござりまするがな・・・」が有り、未だに、その声が耳にこびりついている。
「お父さんはお人好し」は、毎週月曜日の午後8時から8時30分に放送されていた番組だったが、やはり、同じ月曜日の午後7時30分から8時には、「三つの歌(司会=宮田輝)」という、聴取者参加番組も有って、通しで聞くことを常としていた気がする。
また、午後6時30分から7時には、「一丁目一番地」というラジオ放送劇も有ったり、午後8時30分から9時台には、「とんち教室」「私は誰でしょう」等という、バラエティー番組やクイズ番組も有ったり、記憶曖昧だが、「今週の明星」とか、落語、漫才、漫談、浪曲等寄席物も有って、毎夜、なにかしらの番組を聴いていたのだと思う。「夜は、家族で、ラジオ」という暮らしだったのだ。今からわずか60~70年前の話であるが、隔世の感有りである。 

懐かしい 昭和20年代、30年代の農村風景
「チャンバラごっこ、ニワトリに餌やり」
相互フォロワー登録している「気ままぶらぶら」たなのぶ様のパソコン画。
ご本人のご了解を得て拝借している。

 

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ドウダンツツジ(灯台躑躅・満天星躑躅)

2021年12月04日 17時46分12秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

10月下旬頃から師走に掛けての散歩・ウオーキングの途中等で、
民家の庭や生け垣等で、見事に紅葉している低木をよく見掛ける。
「ドウダンツツジ」だ。
春に可愛らしい白い花を咲かせ、晩秋から初冬に掛けては紅葉する低木、
1年に2度楽しませてくれる樹木であり、
これまでも、やたら写真を撮ってきたように思うが、
外付けHDから、古い写真を引っ張り出して、
ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録花図鑑」に、書き留め置くことにした。

2021年11月12日に撮っていたドウダンツツジの紅葉

2020年11月9日に撮っていた写真

8年前、2013年4月17日に撮っていたドウダンツツジの花
植物、花に疎い爺さん、

実は、その時、初めて、ドウダンツツジの花を知ったような気がする

2016年4月9日に撮っていた写真

2017年4月29日に撮っていた写真、        2018年4月7日に撮っていた写真

 

2020年4月9日に撮っていた写真

2021年3月27日に撮っていた写真

 


ドウダンツツジ(灯台躑躅・満天星躑躅)

ツツジ科、ドウダンツツジ属、落葉低木、
   和名「灯台躑躅」は、枝分かれした姿が、
     「結び灯台」(宮中等で用いられた照明の一種)の脚に似ていて
     「トウダイ」から「ドウダン」に転じたもの。
   和名「満天星躑躅」は、中国名の表記をそのまま用いて和名の読みを
     当てたもの。
原産地 日本、
樹高 1m~2m
花色 白色
開花時期 4月~5月頃
花言葉 「上品」「節制」


 

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明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな

2021年12月04日 11時17分48秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからである。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。

(ネットから拝借画像)


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その8

明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほ恨めしき 朝ぼらけかな

出典
後拾遺集(巻十二)

歌番号 
52 

作者
藤原道信朝臣

歌意
こうして夜が明けてしまうと、やがて日が暮れて、
またあなたに逢うことが出来ると分かってはいますが、
それでもやはり恨めしい夜明けであることよ。

男性が、女性の所に、夜訪れ、
夜明けに帰らなければならないというのが
当時の結婚の習わしだったが、
その翌朝の別れの恨めしさを詠んだ歌。

 注釈
「明けぬれば」・明けてしまうと、
「知りながら」・・知っているけれども、
「ながら」は、逆接の接続助詞、
「朝ぼらけかな」・・夜がほのぼのと明ける頃、
「かな」は、詠嘆の終助詞、


藤原道信朝臣(ふじわらのみちのぶあそん)
太政大臣藤原為光の子、藤原道兼の養子。
和歌の才能に恵まれ、従四位上、左近中将になったが、23歳で早逝した。
「大鏡」「今昔物語」に人物伝が有る。


川柳

もてぬ夜はなほうらめしき朝ぼらけ


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)

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