つい数年前まで自営業を続けていて、時間的、精神的、経済的余裕も無く、海外旅行どころか、国内旅行も、夢のまた夢だった気がする。我が家にとっては、せいぜい、子供を連れて、夫婦のどちらかの実家を訪ねるのが旅行であって、夫婦で観光旅行等、片手で指折り数える程しか出来なかったものだ。完全に仕事を辞めてからは、時間的、精神的余裕は出来たものの、今度は、気力、体力減退、旅行意欲も薄れてしまい、さらにコロナ禍で、すっかり出不精になってしまっている。夫婦にとって、そんな貴重な旅の写真は、以前 「デジブック」にしていたが、すでにそのサービスが終了しており、写真は、再び、外付けHDに眠ってしまっている。
今から5年前、2016年10月、まだまだ自営業を続けていた頃だったが、すでに、「その内いつか・・」等と言ってられない歳になっており、清水の舞台から飛び降りる思いで、旅行会社の格安ツアーに申し込みし、「紅葉のカナダ・メープル街道」を訪れたことが有った。旅行記は、当時、ブログにも書き込み、写真は、「デジブック」にしていたものだが、「デジブック」がすでに終了してしまっており、記事をコピペ、リメイク、古い写真を改めて引っ張り出して「ZUISO」にしてみた。
「紅葉のカナダ・メープル街道」その4
「滞在時間わずか2時間のモントリオール市内観光」
(ネットから拝借画像)
ローレンシャン高原・トレンブランビレッジを13時頃出発、約145km、所要時間約2時間で15時頃、モントリオール市街中心部に到着、早速、モントリオール市内観光となった。
モントリオール
セントローレンス川とオタワ川の合流点にある川中島、モントリオール島を中心に広がる、大都市圏の人口=約360万人のケベック州の最大都市、カナダ国内では、オンタリオ州のトロントに次ぐ2番目の都市。因みに、北米では、15番目、世界では、77番目の都市。
かって、モントリオールは、カナダ国内の最大都市だったが、1970年代の社会混乱期に、多くの企業が、トロントに移ったこと等もあって、現在は、トロントがカナダ最大都市になっている。
都市名の由来は、フランス語の「王の山(モン・ロワイヤル)」からだと、言われている。「モン・ロワイヤル」とは、モントリオール中央に有る、標高233mの山のことで、現在、「モン・ロワイヤル」の高さを超える超高層ビル建設は禁止されているのだそうだ。
モントリオールの住民の大半は、フランス系カナダ人だが、一方、人口の30%余りは、非白人等 世界各地からの移民だということ、多民族都市でも有るという。
1530年代に、フランス人の探検家等が次々とこの地にやってきており、1640年代以降、フランス人の入植、開拓、都市建設が進み、その後、毛皮取引の中心地ともなり、発展したモントリオール。現在も、モントリオール大都市圏の住民の7割弱は、第一言語をフランス語としているそうで、フランス文化の薫りが漂っており、「北米のパリ」とも 呼ばれているようだ。
日本との時差は -13時間です。
(1)ノートルダム大聖堂
モントリオール旧市街、アルム広場に面した位置にある、荘厳な外観の聖堂。
1820年代~1930年代に、
長い年月を要して建造された重厚な建物外観には、圧倒される。
聖堂内部の教会は、青色、金色、赤色、銀色、紫色等、多色で彩色されており
世界でも最も印象的な教会の一つとされているようだ。
(2)モントリオール旧市街
モントリオール発祥の地、石畳の通りや古い建物が残っており趣きが有る。
(3)ジャック・カルティエ広場
探検家ジャック・カルティエの名前が由来になっている広場、
旧市街の中心部に有る。
見たことは無いが、なんとなくパリの雰囲気が漂っている。
(4)モントリオール市庁舎
1878年に建造された、石造り5階建て建物。
1967年、当時のフランス大統領ドゴールが、ケベック州を訪問した際、
この市庁舎のバルコニーで、「自由 ケベック州」と演説したことが
語り草になっているのだそうだ。
モントリオール滞在時間、わずか2時間、超慌ただしい観光だったが、何故か強く印象に残った気がする。17時頃には、モントリオール市街地を出発し、バスは一路、オタワへと向かった。
移動距離、約215km、所要時間、約2時間30分。オタワの宿泊先ホテル到着は、21時頃。
ローレンシャン高原のトレンブラン湖遊覧船観光から、モントリオール市内観光、そして、オタワヘ。ハードな旅程の1日が終わった。
ZUISO
紅葉のカナダ・メープル街道(4)
モントリオール市内観光
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