たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「G線上のアリア」(再)

2021年12月10日 18時06分48秒 | 懐かしいあの曲

6年前、2015年11月のこと、義姉の連れ合い(義兄)が亡くなったが、その葬儀、告別式は、故人の遺志、遺族の思いが、いっぱい詰まった、心に残る葬儀、告別式だったことを、ふっと思い出した。地方公務員を定年まで勤め上げ、さらに嘱託として働いていた義兄、将棋を愛好し、クラッシック音楽を良く聴いていたという義兄は、仏教徒では無かったため、義姉親子が選んだ葬儀は、仏式、読経、焼香による葬送ではなく、祭壇も簡素な会場に、親族、身内と、極く親しかった友人のみが列席し、「G線上のアリア」が流れる中、ゆったりと静かに献花し、お見送りするというものだった。クラシック音楽に疎い爺さん、義兄がよく聴いていたという「G線上のアリア」を、その時、初めてしっかり聴いて、脳裏に焼き付いたものだった。
ネット等で調べて、「G線上のアリア」は、ヨハン・セバスチャン・バッハの管弦楽組曲第3番の第2楽章「アリア」のピアノ伴奏付きヴァイオリン独奏のための編曲版の通称であること、ヴァイオリンの4本の弦の内、最低音の弦、G線のみで演奏出来ることから、「G線上のアリア」と呼ばれていることも知ったのだった。
YouTube等の「G線上のアリア」には、「もし、この世で最後の1曲を聴くことが許されるなら 私は、この曲を選びます」、「死を迎えることが、怖くなくなる程、癒しを与えてくれる名曲です」等々、多くのコメントが寄せられていて、納得させられたものだった。

バッハの「G線上のアリア」 Bach "Air on G String"  (YouTubeから共有)



 

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想い出の旅アルバム 「紅葉のカナダ・メープル街道」 その4 (再)

2021年12月10日 14時18分55秒 | 旅行記

つい数年前まで自営業を続けていて、時間的、精神的、経済的余裕も無く、海外旅行どころか、国内旅行も、夢のまた夢だった気がする。我が家にとっては、せいぜい、子供を連れて、夫婦のどちらかの実家を訪ねるのが旅行であって、夫婦で観光旅行等、片手で指折り数える程しか出来なかったものだ。完全に仕事を辞めてからは、時間的、精神的余裕は出来たものの、今度は、気力、体力減退、旅行意欲も薄れてしまい、さらにコロナ禍で、すっかり出不精になってしまっている。夫婦にとって、そんな貴重な旅の写真は、以前 「デジブック」にしていたが、すでにそのサービスが終了しており、写真は、再び、外付けHDに眠ってしまっている。


今から5年前、2016年10月、まだまだ自営業を続けていた頃だったが、すでに、「その内いつか・・」等と言ってられない歳になっており、清水の舞台から飛び降りる思いで、旅行会社の格安ツアーに申し込みし、「紅葉のカナダ・メープル街道」を訪れたことが有った。旅行記は、当時、ブログにも書き込み、写真は、「デジブック」にしていたものだが、「デジブック」がすでに終了してしまっており、記事をコピペ、リメイク、古い写真を改めて引っ張り出して「ZUISO」にしてみた。


「紅葉のカナダ・メープル街道」その4
「滞在時間わずか2時間のモントリオール市内観光」

(ネットから拝借画像)

ローレンシャン高原・トレンブランビレッジを13時頃出発、約145km、所要時間約2時間で15時頃、モントリオール市街中心部に到着、早速、モントリオール市内観光となった。


モントリオール

セントローレンス川とオタワ川の合流点にある川中島、モントリオール島を中心に広がる、大都市圏の人口=約360万人のケベック州の最大都市、カナダ国内では、オンタリオ州のトロントに次ぐ2番目の都市。因みに、北米では、15番目、世界では、77番目の都市。
かって、モントリオールは、カナダ国内の最大都市だったが、1970年代の社会混乱期に、多くの企業が、トロントに移ったこと等もあって、現在は、トロントがカナダ最大都市になっている。
都市名の由来は、フランス語の「王の山(モン・ロワイヤル)」からだと、言われている。「モン・ロワイヤル」とは、モントリオール中央に有る、標高233mの山のことで、現在、「モン・ロワイヤル」の高さを超える超高層ビル建設は禁止されているのだそうだ。
モントリオールの住民の大半は、フランス系カナダ人だが、一方、人口の30%余りは、非白人等 世界各地からの移民だということ、多民族都市でも有るという。

1530年代に、フランス人の探検家等が次々とこの地にやってきており、1640年代以降、フランス人の入植、開拓、都市建設が進み、その後、毛皮取引の中心地ともなり、発展したモントリオール。現在も、モントリオール大都市圏の住民の7割弱は、第一言語をフランス語としているそうで、フランス文化の薫りが漂っており、「北米のパリ」とも 呼ばれているようだ。
日本との時差は -13時間です。


(1)ノートルダム大聖堂

モントリオール旧市街、アルム広場に面した位置にある、荘厳な外観の聖堂。
1820年代~1930年代に、
長い年月を要して建造された重厚な建物外観には、圧倒される。
聖堂内部の教会は、青色、金色、赤色、銀色、紫色等、多色で彩色されており
世界でも最も印象的な教会の一つとされているようだ。


(2)モントリオール旧市街

モントリオール発祥の地、石畳の通りや古い建物が残っており趣きが有る。


(3)ジャック・カルティエ広場

探検家ジャック・カルティエの名前が由来になっている広場、
旧市街の中心部に有る。
見たことは無いが、なんとなくパリの雰囲気が漂っている。


(4)モントリオール市庁舎

1878年に建造された、石造り5階建て建物。
1967年、当時のフランス大統領ドゴールが、ケベック州を訪問した際、
この市庁舎のバルコニーで、「自由 ケベック州」と演説したことが
語り草になっているのだそうだ。

モントリオール滞在時間、わずか2時間、超慌ただしい観光だったが、何故か強く印象に残った気がする。17時頃には、モントリオール市街地を出発し、バスは一路、オタワへと向かった。
移動距離、約215km、所要時間、約2時間30分。オタワの宿泊先ホテル到着は、21時頃。
ローレンシャン高原のトレンブラン湖遊覧船観光から、モントリオール市内観光、そして、オタワヘ。ハードな旅程の1日が終わった。


ZUISO
紅葉のカナダ・メープル街道(4)
モントリオール市内観光
👇
こちら


 

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「クリスマス・イヴ」(再)

2021年12月10日 08時57分44秒 | 詩・エッセイ

7年前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代、
2014年8月12日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「クリスマス・イヴ」と題した詩(もどき)も有った。「昭和42年11月23日」と記されており、今から54年も前、独身の頃に、感傷と妄想で書き殴ったもののようだ。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思わなかったことであり、幼稚、拙劣、無茶苦茶、いい加減な俳句(もどき)で、自嘲もしてしまうが、これも又、過去のあしあとの一つと居直って、恥も外聞もなく・・・。

(ネットから拝借イラスト)

「クリスマス・イヴ」

雪の中をとんできた
今にも泣き出しそうな少女
冷たくかじかんだ小さな手を
暖かい光のあふれた
窓辺にさしのべて・・・・

さあ そんなところにいないで
かわいいお嬢さん・・・、
皆でローソク灯しましょう
今宵はクリスマス・イヴ
心温まる愛が
部屋いっぱいに広がって
少女もいつしか笑ってた
大きな瞳をかがやかせ
少女もいつしか唄ってた

(昭和42年11月23日)