たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

想い出の旅アルバム 「紅葉のカナダ・メープル街道」 その6 (再)

2021年12月17日 20時55分24秒 | 旅行記

つい数年前まで自営業を続けていて、時間的、精神的、経済的余裕も無く、海外旅行どころか、国内旅行も、夢のまた夢だった気がする。我が家にとっては、せいぜい、子供を連れて、夫婦のどちらかの実家を訪ねるのが旅行であって、夫婦で観光旅行等、片手で指折り数える程しか出来なかったものだ。完全に仕事を辞めてからは、時間的、精神的余裕は出来たものの、今度は、気力、体力減退、旅行意欲も薄れてしまい、さらにコロナ禍で、すっかり出不精になってしまっている。夫婦にとって、そんな貴重な旅の写真は、以前 「デジブック」にしていたが、すでにそのサービスが終了しており、写真は、再び、外付けHDに眠ってしまっている。


今から5年前、2016年10月、まだまだ自営業を続けていた頃だったが、すでに、「その内いつか・・」等と言ってられない歳になっており、清水の舞台から飛び降りる思いで、旅行会社の格安ツアー「カナディアン・ロッキーと紅葉のメープル街道」に申し込み、カナダを訪れたことが有った。旅行記は、当時、ブログにも書き込み、写真は、「デジブック」にしていたものだが、「デジブック」がすでに終了してしまっており、ブログ記事をコピペ、リメイク、古い写真を改めて引っ張り出して「ZUISO」にしてみた。


「紅葉のカナダ・メープル街道」その6
「オンタリオ州のアルゴンキン州立公園ミニハイキング」

(ネットから拝借画像)

オタワ市内観光終了後、バスで、およそ3時間30分、オンタリオ州の「アルゴンキン州立公園」のビジターセンターに到着した。そそくさと屋外ベンチで弁当昼食した後、トレッキングコースの一つ、「ルックアウト(Lookout)コース」のミニハイキングだった。


アルゴンキン州立公園

「アルゴンキン州立公園」は ローレンシャン高原の南方にあり、オンタリオ州、マスコーカ地方に位置するオンタリオ州の州立公園。面積は 7,653,45k㎡。静岡県や宮崎県、熊本県等とほぼ同じ広さをもつ、オンタリオ州最大の自然公園だ。
公園内には、2,400以上の湖沼が有り、1,200kmに及ぶ川が流れており、距離、所要時間、難易度の異なる15以上トレッキングコース、ハイキングコースが設けられている。州内でも最も人気の有る公園の一つだが、世界中から、自然愛好家やハイカーが訪れており、公園内は、大自然をそのままの姿で保全するべく配慮されており、人工物を持ち込まず、動物植物等自然物は持ち出さず、「リーブ・ノー・トレーズ(後を残さず)」が、徹底されている。


(1)「ルックアウト(Lookout)コース」ミニハイキング

「ルックアウト(Lookout)コース」は、15以上有るトレッキングコース、ハイキングコースの一つ。所要時間、約1時間、高低差の少ない周回コースで、ミニハイキングコースだ。各所で、現地トレッキングガイドのジョニーさんによる植物、動物の解説を聞きながらも、集合時間があるため、のんびりは出来ず、どうしても急ぎ足になる。コースの中間地点には、1枚岩の展望台があり、しばし休憩、紅葉の絶景を満喫出来た。

1枚岩の展望台から眺められる景色は、アルゴンキン州立公園のほんの一部。ジョニー氏が広げた大きな公園地図上で、親指の先端程の範囲しか見えていないのだという。公園の広大さが分かる。

ミニハイキングを終えて、「ルックアウト(Lookout)コース」入口に集合、16時頃、バスは、一路トロントに向かって出発した。快適に疾走するバスでも、広大なアルゴンキン州立公園を抜け出るまでが長く、バス車窓からは見事な紅葉風景が走馬灯のように見られ、その都度、歓声が上がっていた。
移動距離、約270km、所要時間、約3時間で、トロントの宿泊先ホテルに到着したのは、19時30分頃だった。夕食は、ホテル内のレストランでチキン料理だったが、その日もハードスケジュールの1日だった。


ZUISO
紅葉のカナダ・メープル街道(6)
アルゴンキン州立公園ミニハイキング
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(つづく)

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思ひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり

2021年12月17日 11時29分56秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからである。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。

(ネットから拝借画像)


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その11

思ひわび さても命は あるものを
憂きにたへぬは 涙なりけり

出典
千載集(巻十三)

歌番号 
82 

作者
道因法師

歌意
恋人に逢えず(冷淡にされ)、このところ、思い悩んでいるが
それでもまあ、命だけは今までつないでいるのに、
このつらさに耐えきれないのは涙で、後から後から
こぼれ落ちることよ、

苦悩がどんなに深くても、なんとかそれに耐えて生き長らえているが、
涙の方は、ついつらさに耐え切れず、もろくもこぼれ落ちるものだという
恋の悩み、つらさをアッピールしている歌。

 注釈
「思ひわび」は、恋人に冷たくされたのを思い悩んで、の意。
「さても」は、「さ(然)ありても」が詰まった言葉、
そうであってもやはり、の意
「憂きに」は、「憂し」の連体形、つらいことに、の意。
「こと」が、省略されている。


道因法師(どういんほうし)
俗名藤原敦頼(ふじわらあつより)のこと。崇徳天皇に仕え、従五位上右馬助までなったが、出家して延暦寺に入り、道因(どういん)と称した。歌道への執着心が強く、90歳になっても歌合(うたあわせ)に出席し、「秀歌を詠ませ給え」と住吉神社に祈願したという。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


 

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「ぼけたらあかん長生きしなはれ」

2021年12月17日 06時12分50秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

昨日、相互フォロワー登録している「けいのブログ」様のブログを拝見していて、「あっ!、これ!、おもしろーい!」と思ってしまった詩?が目が付いた。見ても、聞いても、知っても、直ぐ忘れてしまう爺さん、忘れない内に、ネットで調べてみると、この詩?の作者は、石川県小松市の真言宗自生山那谷寺の元貫主だった故・天牛将富で、この詩?に作曲家の遠藤実が曲を付け、歌手の杉良太郎が唄っていることも分かった。流し目の杉良太郎の熱狂的ファンだったら、知っている曲なのかも知れないが、初耳。「へー!、そーなんだ」、目から鱗・・である。七五調で小気味良く、超高齢化社会の人生訓のようでも有り、思わず笑えてくるシルバー川柳の世界でもある、「ぼけたらあかん長生きしなはれ」、書き留め置くことにした。

「ぼけたらあかん長生きしなはれ」
作詞 天牛将富、作曲 遠藤実、唄 杉良太郎

歳を取ったら 出しゃばらず
憎まれ口に 泣き言に
人の陰口 愚痴言わず
他人のことは 褒めなはれ
聞かれりゃ  教えて上げてでも
知ってることでも 知らんふり
いつでも阿呆で いるこっちゃ

勝ったらあかん 負けなはれ
いずれお世話に なる身なら
若いもんには 花持たせ
一歩下がって 譲るのが
円満にいく コツですわ
何時でも感謝を 忘れずに
どんな時でも 「へえおおきに」

お金の欲を 捨てなはれ
なんぼゼニカネ 有ってでも
死んだら 持っていけません
「あの人はええ人やった」
そないに人から 言われるよう
生きてるうちに バラまいて
山ほど徳を 積みなはれ

というのは それは表向き
ほんまはゼニを 離さずに
死ぬまでしっかり 持ってなはれ
人にはケチやと 言われても
お金が有るから 大事にし
みんなべんちゃら 言うてくれる
内緒やけれど ホンマだっせ

昔のことは みな忘れ
自慢話は しなはんな
わしらの時代は もう過ぎた
なんぼ頑張り 力んでも
体が言うこと ききまへん
あんたはえらい わしゃあかん
そんな気持ちで おりなはれ

わが子に孫に 世間様
どなたからも 慕われる
ええ年寄りに なりなはれ
ボケたらあかん そのために
頭の洗濯 生きがいに
何かひとつの 趣味もって
せいぜい長生き しなはれや

「ぼけたらあかん長生きしなはれ」 (YouTubeから共有)

 

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