たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

2021年まもなく終幕・・アンコール !、アンコール !

2021年12月31日 15時57分16秒 | 懐かしいあの曲

戦前生まれの後期高齢者である。戦後の貧しい暮らしの中で育ち、高度成長期に乗り、バブル崩壊から経済低迷期に身を置き、昭和、平成時代を生きてきて、ようやく仕事から離れ、令和時代を生きようとした直後に、今度は、人類史上に大きく刻まれることになるであろうコロナ禍時代に、くしくも遭遇してしまったことになる。自粛生活を余儀なくされて早2年が経過、老い先短い年寄りには、2年間のブランクは大きいような気がしてしまう。体力気力意欲減退、あと何年、令和時代を見届けることが出来るのだろうか。あと数時間で、2021年(令和3年)も終わるが、コロナ禍が収束する見通しはまだ見えてこない。来たる2022年(令和4年)も、1日、1週間、1ケ月間、1年間を、我が家、我が身の出来る範囲で、自分流、マイペースで楽しんで暮らしていくしかないか・・と思っているところだ。


記憶力減退爺さんの
「自分のための記憶補助ツール」「備忘録、雑記録、回顧録の類」
決め込んでいる当ブログ・・・・、
にも拘わらず、
見ず知らずの数多の方々からエールを送っていただき、
それを励みにして、今年もまた1年、ブログを続けることが出来ました。
フォロワー登録していただいている数多の方々や、
随時覗いて下さる方々に、改めてお礼申し上げます。
いつも「ブログを書き込めなくなった時が、本当のお終いだな?」等と
つぶやいてはおりますが、
願わくば、1日でも長く、
来年も、再来年も、続けていきたいものだと思っているところです。
来年もよろしくお願い申し上げます。

(ネットから拝借イラスト)


2021年(令和3年)の終幕、
アンコール!、アンコール!、

ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団の「ニュー・イヤー・コンサート」のアンコール曲の定番になっている、ヨハン・シュトラウス一世 作曲、「ラデッキー行進曲」
クラシック音楽に疎い爺さん、今更になってネットで調べてみると
「ラデッキー行進曲(Radetzky Marsch)(作品228)」は、1848年に、オーストリアのヨハン・シュトラウス一世によって作曲された楽曲で、ヨハン・シュトラウス一世の最高作と言われており、クラシック音楽全体の中でも人気の高い楽曲だった。

ヨハン・シュトラウス一世
(ネットから拝借画像)

因みに、ヨハン・シュトラウス一世は、「ワルツの父」と呼ばれ、さらに息子のヨハン・シュトラウス二世は、「ワルツの王」と呼ばれ、父子で功績を残している。

この曲が作曲された1848年頃、当時、オーストリア帝国の領国だった北イタリアに独立運動が起こったが、これを鎮圧、オーストリアの危機を救ったのが、ヨーゼフ・ラデッキー将軍。ヨーゼフ・ラデッキー将軍は、たちまちオーストリア国民の英雄となり、それを称える曲として、ヨハン・シュトラウス一世が作曲した楽曲が「ラデッキー行進曲」なのだそうだ。

ヨーゼフ・ラデッキー将軍
(ネットから拝借画像)

そのような歴史的経緯からも、「ラデッキー行進曲」は、オーストリア国民の愛国歌ともいうべき存在になり、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団のニュー・イヤー・コンサート等で、必ず演奏されるというのも頷ける。

小澤征爾指揮、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団の「ラデッキー行進曲」
(YouTubeから共有)


思わず笑みも浮かび、気分も高揚する「ラデッキー行進曲」を聴きながら
2021年(令和3年)の「締め」にすることに。

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名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな

2021年12月31日 06時57分04秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。

(ネットから拝借画像)


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その15

名にしおはば 逢坂山の さねかづら
人に知られで くるよしもがな

出典
後撰集(巻十一)

歌番号 
25 

作者
三条右大臣

歌意
逢って(共に)寝るという名を持っている逢坂山のさねかづらは
本当にその名の通りならば
そのさねかづらを手繰り寄せるように
他人に知られないで、
あなたのもとに、私が逢いに来られるような方法が
有って欲しいものだなあ。

注釈
「名にしおはば」は、「名の通りの実質を持っているならば」の意。
「逢坂山のさねかづら」の「さねかづら」は、つる性の低木。
山の名の「逢坂」の「逢う」と、人に「逢う」が掛詞になっている。
「さねかづら」の「さね」と、「さ寝る(共に寝る)」が掛詞になっている。
「人に知られで」は、「人に知られないで」の意。
「くるよしもがな」の「くる」は、「来る」の意。
さねかづらの蔓が伸びているのを「繰る(くる)(手繰り寄せる)」が
掛詞になっている。
「もがな」は、願望、詠嘆の係助詞「も」+終助詞「がな」。
「して欲しいなあ」の意。

愛する女性への切実な心情、他人に知られない恋の複雑さ、
どうしようもない恋の悩みを歌っている歌。


三条右大臣(さんじょうのうだいじん)
藤原定方(ふじわらのさだかた)のこと。京都三条に邸宅が有ったことから、そのように呼ばれた。父親は、内大臣藤原高藤。宇多天皇、醍醐天皇の両朝に仕え、要職を歴任。和歌、管弦にも優れた人物。家集に「三条右大臣集」が有る。中納言朝忠(藤原朝忠・ふじわらのあさただ)は、定方の次男。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


 

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