昭和20年代から30年代前半、幼少期を北陸の山村で過ごした爺さん、当時 聞いたり、話したりしていた言葉(方言)も、ほとんど思い出せなくなっている。根っからの地元民ではなかった家族の中で育ったこともあり、身に染み込んでいなかったからだと思う。それでも 時々 何かのきっかけで ふっと思い出すことがある。記憶曖昧、多少ニュアンスが違っていたり、勘違いだったりの可能性も有りだが またすっかり思い出せなくなる前に 爺さんの引き出し、ブログ・カテゴリー「懐かしい故郷の方言」に、書き留め置くことにしている。
当時の北陸の山村の実家の近くの風景
村落で自動車を保有している家等無かった時代、
当然、現在のような除雪車両等無く、
根雪になると、雪解け時期までは、雪上をかんじきで踏み固めた一本道を
長靴でズブズブ埋まりながら往来、登校したものだった。
No.50 「おまんた」
「あなたがた」「お前達」という意味合い使ったり、聞いていたような気がする。
「おまん」=「あなた」「お前」「君」の複数形。
例えば
「オマンタ マタキテクンナイネ」
(あなた方 また来て下さいね)
「オマンタ マメデオンナルカネ」
(あなた達 元気で暮らしていますか)
「オマンタト オラウチデ ヤルマイカ」
(お宅とウチで やりましょう)
太平洋戦争末期、戦禍を逃れ 東京から 父親の郷里北陸の山村に疎開し そのままその地に定住した家で育ったこともあって、根っからの地元言葉(方言)が 身に染みついていなかったのだと思う。ほとんど思い出せなくなっているが、これまでふっと思い出して ブログに書き留めた言葉(方言)を まとめてみた。
そうでしたか。ふきさん、能登半島のご出身でしたか。
日本海に注ぎ込む河川で北方が開けた山村で育ちました。晴れていれば水平線に連なって浮かぶ能登半島が見え、私にとっての故郷の原風景のひとつになっています。
「元気でいてくれないといけませんよ」。分かります。普段すっかり忘れていても 方言が出ると 故郷や 親兄弟、幼馴染等の情景が思い浮かんでくるものですね。
参りました!、これぞ越中弁!
越中弁の家元?みたいなおばあちゃんですね。それを記憶されている立山連峰さんも凄い。拍手。
さすがに通訳していただかないと分かりません。「お茶にせんまいか」は 確か「お茶にせまいか」だったような気がします。ヒントをいただき感謝です。
故郷を離れて半世紀になりますが
兄弟での会話は「能登弁」になってしまいます
ブログに書かれてある方言のだいたいを理解でき
鬼籍に入った両親達に 想いを馳せています
「元気でおらなだちかんぞ!」
母からよく言われました
「あのっさん、あんで弱っとんがやちゃ」
「か、なんちゅ かっちゃかちゃにしとんがけ」
「お茶にせんまいけ」
「さ 何ね、はがやしないけ」
「ういてういて しんころめにおうたが」等々
これからさらに、世代が変わる毎に どんどん使われなくなり、その内、地元でも郷土資料館等でしか わからなくなるかも知れません。
コメントいただき 有難うございます。
思い出せ!、思い出せ!、老脳に発破をかけるんですが、なかなか出てきません。方言も 元になる言葉が有って、地方地方で 少しづつ変化していったものなんでしょうね。しっかり聞けば 似たり寄ったり、納得する言葉が多いような気がします。担げる・・正統派?だと思います。こそばい・・関西お笑いでよく使われていますね。
私も宇部出身ですが北九州が長いです
標準語をと心がけていますが、何かしらの時
ふと出てきます
しかし、会話の糸口に方言はいい場合がありますね!
以前、takejiisanさまが方言を書かれたこと
あるいは北陸の山村のことを書かれるところに
興味があります(^_-)-☆
奈良でも高齢者は「かたげる」と言います。
「よばれる」・「めんどい」は同じ意味で使います。
「こそばしい」は「こそばい」です。
全然違う意味の言葉もありますが、けっこう似ていますね!
探せばもっとあるかもしれませんね。