11月22日、「いい夫婦の日」・・・なんだとか。
そんなことには、まるで無関心、無関係な老夫婦、
今日も、てんでんこに、あれやこれや・・・・、
ベランダに置いてある鉢植えの「シャコバサボテン」
先日から、開花し始めているが、
次々開花、満開に近い状態になってきた。
毎年のこと、「シャコバサボテン」が咲くと、
年末、師走が近いことを感じてしまう。
爺さんの備忘録的花図鑑「シャコバサボテン」
👇
こちら
11月22日、「いい夫婦の日」・・・なんだとか。
そんなことには、まるで無関心、無関係な老夫婦、
今日も、てんでんこに、あれやこれや・・・・、
ベランダに置いてある鉢植えの「シャコバサボテン」
先日から、開花し始めているが、
次々開花、満開に近い状態になってきた。
毎年のこと、「シャコバサボテン」が咲くと、
年末、師走が近いことを感じてしまう。
爺さんの備忘録的花図鑑「シャコバサボテン」
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先日、散歩・ウオーキングの途中で撮ってきた花の写真の中に、やはり、「君の名は?」だった花が有ったが、相互フォロワー登録している植物に詳しい方のブログを拝見していて、どうも、「ホソバヒイラギナンテン」らしいことが分かった。草木に超疎い爺さん、これまでも、何度か見掛けて、写真を撮っていたような気がするが、初めて花名を知り、「へー!、そうなの!」・・・である。
教えてもらっても、自分で調べても、そのそばから忘れてしまう老脳、またすっかり思い出せなくなる前に、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことする。
先日、2022年11月16日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた
「ホソバヒイラギナンテン」
2019年12月23日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた
「ホソバヒイラギナンテン」
ホソバヒイラギナンテン(細葉柊南天)
メギ科、メギ属、常緑低木、
別名 「マホニア」
「ヒイラギナンテン(柊南天)」の仲間だが、
葉が、「ヒイラギナンテン(柊南天)」より細い。
南天の葉にも似ているが、「ヒイラギ(柊)」の葉のように、
鋭いトゲが有る。
原産地 中国、
日本には、江戸時代後期~明治時代初期に渡来した樹木で、
庭木や公園の植樹等として利用されている。
樹高 50cm~1.5m
花色 黄色、
開花時期 9月頃~12月頃
花言葉 「激しい感情」「激情」「愛情は増すばかり」
昨日の午後から降り出した雨、朝方まで降っていたようだが、
今日の天気予報は、「曇のち晴」
昼頃には、すっかり晴れ上がり、清々しい秋晴れとなった。
雨が降らない日が続くと、カチンコチンになってしまい、
まとまった雨が降ると、トロントロンになってしまう土質の畑地、
前日に雨が降り、朝から晴れた日は、畑仕事にはもってこいのコンデションになる。
昨日の午前中は、カチンコチンで、無理、無理・・・、
中断してしまった、大根の土寄せ、
「今日、やるっきゃないか・・・」
午後になって、やおら、Go To 畑! と相成った。
(1)大根、土寄せ、
地面から、20cmから30cmも飛び出している大根、
このままでは、スが入ったり、腐ったりする可能性有り、
出来る限り、土を寄せて被せることに・・・、
(2)小カブ、サラダ菜、収穫
秋の日は釣瓶落とし
あっという間に、日没、
やれ、やれ、・・・
図書館から借りていた、宮部みゆき著、「おまえさん」(上)(下) (講談社文庫)を、やっと、やっと読み終えた。本書は、過日読んだ、「日暮らし」の続編、「ぼんくらシリーズ」第3弾の作品になるが、、なんと、(上)(下)合わせて1,190ページという、超分厚い文庫本で、もしかしたら、2周間では読破出来ないかも知れない?等と思いつつも借りてきたものだ。なにしろ、こんな長編に挑戦?するのは、初めてのことであり、なんとか読破したものの、やはり、肩が凝るは、目が疲れるは・・・、だった。各篇が、同時進行の2画面を見る形、行きつ戻りつ、内容が重複する部分有りの構成になっているが、それはそれで、物語が広く深く掘り下げられており、飽きさせない展開になっている。
▢目次
(上)「おまえさん」(一)~(十八)
(下)「おまえさん」(十九)~(二十一)、「残り柿」、「転び神」
「磯の鮑」、「犬おどし」
▢主な登場人物
井筒平四郎、妻女、小平次、
弓之助、淳三郎
間島信之輔、本宮源右衛門
浅太郎
お徳、彦一、おさん、おもん、おひで
彦一、お六、
幸兵衛、おえん、お秋、喜一、
佐吉、お恵、
瓶屋新兵衛、史乃、佐多枝、おとし、
大黒屋藤兵衛、
久助
玉井屋千蔵、おきえ、善吉
政五郎、お紺、三太郎(おでこ)、猪次、
松川哲秋
村田玄徳、上谷登、おしん、お駒、
丸助
おてい、仙太郎、
お継、お仲
▢あらすじ
「おまえさん」(一)~(二十一)
本篇から、本所深川方定町廻り同心間島信之輔が、物語の表舞台に新登場し、井筒平四郎と共に、諸々の事件の究明や下手人探しをするようになる。同心見習いから昇格したばかりの間島信之輔は、生真面目で醜男?、八百源の娘おひでを楯に包丁を振り回した仙太郎を取り押さえ、周囲の喝采を浴びたのだが・・・・。
一方で、間島信之輔から手札をうけている本所深川一帯縄張りの岡っ引き政五郎は、たまたま大雨で雨宿りした空樽問屋玉井屋で、おきえと出会う。おきえは、おでこ(三太郎)の実の母親。政五郎、お紺は神経を尖らせる。
(十九)・・お徳の店「おとく屋」の二階に集合した、井筒平四郎、間島信之輔、本宮源右衛門、政五郎、おでこ(三太郎)、佐多枝、おとし、を前に、弓之助が堂々、謎解き、解説する場面があるが、テレビドラマ「名探偵ポアロ」のシーンを彷彿させるような痛快さが有る。久助、信兵衛の事件、「仇討ち」?ではなく「成敗」・・とは?、
瓶屋の史乃にのぼせてしまった間島信之助が大失態を犯してしまう。結果、史乃が、出奔(駆け落ち)?・・。大莫迦者。その責任を被ったのは、大叔父、本宮源右衛門、「腹を切るなら儂の皺腹で事足りる、なあ、平之介殿」、また平四郎を親父殿を間違えている。しかし、その結果、本宮源右駅門は、幸兵衛長屋へ・・・。万事うまく運び・・・。平四郎は嬉しくて長い顔いっぱいに笑った。
「残り柿」
生薬屋瓶屋の史乃が松川哲秋と出奔(駆け落ち)してから1ヶ月経つ頃、本所深川を縄張りとする岡っ引き政五郎、お紺夫婦は、おでこ(三太郎)の実の母親である玉井屋の女将おきえの動向、疑念に神経を尖らしている。やおら、政五郎が動く・・・、ところが、玉井屋に異変?、疑念?、おきえのしぶとい生き方、決意に、舌をまいた政五郎。彦一、お六を呼び付け、「欲しいなら、なりふりかまわず、残り柿をもぎに行け」。諸々の事件で関わり合い、繋がり有った者達が織り成す人情模様が、そこに有った。
そして、その後、政五郎の手下(下っ引き)、鏡研ぎ職人の連太郎が、松川哲秋と史乃の居所が知らせてきた。
「転び神」
生薬屋瓶屋の史乃が松川哲秋と出奔(駆け落ち)してから1ヶ月経つ頃、瓶屋で起こった諸々の出来事等とは、全く関わりが無いはずの、十徳長屋に住む、男やもめ丸助の家に、お仲、おていが馴染んだり、藍玉問屋河合屋の三男淳三郎が、弓之助にくっついて現れたりし、丸助にとっては思いがけず、人との関わり、人の温もりを感じる篇になっている。淳三郎は、物語の表舞台に初登場人物であるが、同心井筒平四郎、間島信之輔は、掛け茶屋事件解決に仕掛ける、草(間者)として打って付けと決めつけ登用?、大成功を収める。「大年増も、たまにはいいもんですねえ」。
そして、その数日後、松川哲秋と史乃の居所が知れた。
「磯の鮑」
生薬屋瓶屋の史乃が松川哲秋と出奔(駆け落ち)してから1ヶ月経つ頃、間島信之輔はというと、自らの失態に打ちひしがれ、憔悴、針の筵、うろつき回っており・・・、底なしの莫迦と自嘲しているものの、それでも尚史乃のことが消えず。女の扱いを分かっていない信之輔、佐多枝にも、史乃にも、おとしにも、お駒にも、転がされ、説教される、おめでたい男?。信之輔にとって辛い1ヶ月だったが、村田玄徳の女中おしんが家出し、身投げしようとした事件が発生で、信之輔は・・・。ほぼ同じ歳の、生真面目過ぎる信之輔、遊び慣れている淳三郎の対比が愉快である。
そして、その数日後には、松川哲秋と史乃の居所が知れた。
「犬おどし」
生薬屋瓶屋の史乃が松川哲秋と出奔(駆け落ち)してから1ヶ月経つ頃、政五郎の手下(下っ引き)連太郎が、その哲秋と史乃の潜伏先を突き止め、いよいよ捕縛のため、向島の北方、小畑村へ向かったのは、井筒平四郎、間島信之輔、政五郎、弓之助、猪次、淳三郎。平四郎はというと、信之輔に対し、「哲秋を斬ってはならんぞ」と祈りながらも、捕物苦手で高みの見物。弓之助、危うし場面。淳三郎の機転と、信之輔の十手術で・・。哲秋は、水死体となり・・。
一方で、その頃、おとく屋の二階の学問所耕人堂の本宮源右衛門は、「ご隠居様」から「先生」と呼び方が変わり、おとく屋には、村田玄徳の女中だったおしんが身を寄せており・・・、
一段落した平四郎が弓之助を連れて、十徳長屋の丸助に会いに行く途中、弓之助が信之輔の十手術について平四郎に問うと、「あれはな、犬おどしという技だそうな」。
丸助の家には、お仲がいて、淳三郎が野菜担ぎ売りから帰ってきて、牢から開放された仙太郎がいる。
柿になったり、鮑になったり、鬼になったり、仏になったり、神になったりもするが、所詮、、人なんだ。人でいるのが、いちばん似合いだ。
ぼんくら同心井筒平四郎が関わった一連の事件の究明や後始末が、ほぼ終わった形になっているが、このシリーズ、続編が有るのだろうか。
(おわり)
普段、会話や文章で、あるいはテレビやラジオ、新聞等で、ごく普通に使われている言葉で、誰でも知っている言葉の中にも、いざ、咄嗟に漢字で書けと言われると、「???」となってしまう言葉が、結構有るものだ。
もちろん、漢字検定何級、漢字クイズ王なる人達にとっては、御茶の子さいさいなのかも知れないが、一度や二度、聞いても、教えてもらっても直ぐそのそばから忘れてしまう類の爺さんは、たまたまそんな漢字に出会うと、「へー!、そうなんだ・・」、その都度、目から鱗になってしまう。
今は、有難い世の中、漢字不勉強で語彙力の無い爺さんでも、PCやスマホの漢字変換ソフトのおかげで、ブログ等には、読めない、書けない難漢字でも、平気で、知ったかぶりして書ける時代だが、「じゃ、実際、自分で読んでみろ、書いてみろ」と、問題に出されたら、降参してしまうこと多しである。
先日、読んだ時代小説の中で目に止まった漢字「ひょうきん」も、そのひとつだ。ふりがながふってあり、なんなく読めるものの、これまで書いた記憶は無く、「突然、書いてみろ!」と言われたら、書けそうにない漢字である。漢字を知らなくたって、普段の暮らしで困ることも無し、今更覚えよう等という気はサラサラ無いが、書き留め置くことにする。
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(漢字)
剽軽
(意味)
気軽で、滑稽なこと。おどけること。
また、そのような様、言動、人。
(使用例)
「あいつは、剽軽な男だ」
(拡大してみると)
剽軽
当地、今日の天気予報は、「曇のち雨」。
朝から、今にも降り出しそうな雲行きだったが、
午前中は、なんとか、持ちそう?
なんだかんだで、もう、5日間も行ってないし・・・、
今日は、どうしても・・・、
雨が降り出さない内に・・・
ということで、Go To 畑! と相成った。
(1)サトイモ収穫第1弾、
もう少し、おいた方が良さそう?、と判断、
今日は、1/3程で、取り止め。
残りは、1~2週間後に、収穫することに・・・、
(2)タマネギの苗、植え付け下準備
サトイモを収穫した後を耕し、石灰散布、整畝
(3)育苗中のタマネギの畝の草取り(草抜き)、
生育イマイチ、
(4)ホウレンソウ初収穫
生育不良のホウレンソウだが、待ち切れず、ちょこっと収穫
ハクサイが、少し巻き始めてきた。
午前中、2時間程で引き上げてきたが、
天気予報通り、昼過ぎには、細かい雨が降り出し、
次第に、本降りになっている。
やれ、やれ、
足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。
百人一首で「恋」を詠んだ歌 その21
見せばやな 雄島のあまの 袖だにも
ぬれにぞぬれし 色はかはらず
出典
千載集(巻十四)
歌番号
90
作者
殷富門院大輔
歌意
(悲しい涙で色が変わってしまった私の袖を)つれないあなたにお見せしたいものですよ。
(あの古い歌のように)雄島の漁夫の袖でさえも、(波で)濡れそぼっても
(悲しみの涙で濡れたのではありませんから)色は変わらなかったのに。
本歌、「松島や 雄島の磯に あさりせし あまの袖こそ かくはねれしか」
(雄島の磯で漁をしていた漁夫の袖のように、私の袖も悲しい恋の涙で濡れてしまったことですよ)
(後拾遺集、源重之)の趣を利用し、さらに内容を深めた
いわゆる「本歌取り」の歌。
注釈
「見せばやな」は、「見せたいものですよ」
「つれないあなたに・・・」の意を含んでいる。
「雄島」=宮城県松島湾の島の一つ。歌枕。
「あまの」の「あま」は、漁夫のこと。
「袖だにも」の「だにも」は、「・・でさえも」と訳す。
「ぬれにぞぬれし」=「濡れて、濡れて(酷く濡れた)」の意。
「色はかはらず」=漁夫の袖の色が変わらない・・の意。
「自分の袖の色は変わってしまったのに・・・」の意を含んでいる。
殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)
従五位下藤原信成の娘、
後白河天皇の皇女亮子内親王(殷富門院)に女房として仕えた。
鎌倉時代初期の女流歌人で、歌合等で活躍した。
家集に「殷富門院大輔集」が有る。
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
(つづく)
gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き込んでいた記事、「いちょうは手品師老いたピエロ」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・・、
コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。
振り返り記事
4年前、2018年12月3日
「いちょうは手品師老いたピエロ」
午前中、車で妻を病院へ送迎したが、その通りすがりに、見事な黄色の絨毯の公園が有り、ちょこっと立ち寄ってみた。いちょうの落葉の季節、思わず、コンデジで、カシャ、カシャしてしまったが、こりゃ、掃除、片付けが大変だろうな・・等と思ったものだった。
いちょうの落葉風景を見掛けると、なんとなく思い浮かんで来る歌謡曲が有る。しっかり覚えているわけでもない曲で、ネット、YouTubeで確認してみたが、それは、フランク・永井が歌っていた「公園の手品師」だった。
今更になって調べてみると
「公園の手品師」は、作詞 宮川哲夫、作曲 吉田正、唄 フランク・永井で、1958年(昭和33年)2月に、発売された歌謡曲だった。なんとも、しっとりした風情、晩秋の物悲しさが漂った曲調で、脳裏に焼き付いているのだと思う。後期高齢者になった今では、またひとしお、身に染みる曲でもある。
「公園の手品師」 フランク・永井 (YouTubeから共有)
数年前からのこと、子供の頃や若い頃に聴いていた曲を、出来る限り思い出して、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留め置くことにしているが、そろそろ、それも限界に近付いた感有りだ。
「もっと有るはず、思い出せ!、思い出せ!」、老脳にハッパを掛けても、なかなか出てこなくなっている。
メロディーが思い浮かんでも、曲名が思い浮かばなかったり、その逆だったり、歌手や演奏者を思い出せなかったりである。
「ラララー、ラララー、ラララー、ラララー ♫」、
1年も、2年も前から、なんとなくメロディーの一部が思い浮かんでいながら、曲名が出てこない曲が何曲も有る。
それでも、何かのきっかけで、それが分かることも有り、すぐさま、YouTubeで探し、
「おー!、この曲だ!」、
やっとたどり着いた瞬間は、
カチカチで、なかなか出なかったものが、やっと出たような、すっきり気分になり、
何回も、何回も、聴いて、破顔してしまっている爺さんである。
今日、ふとしたことから、「小さな靴屋さん」が、分かった。
早速、YouTubeで確認、
「おお!、この曲だ!」
また、思い出せなくなる前に、書き留め置くことにする。
今更になってネットで調べてみると
「小さな靴屋さん(Le petit cordonnier)」は、1953年(昭和28年)に、作詞 フランシス・ルマルク(Francis Lemarque)、作曲 ルディ・レヴィル、唄 イヴェット・ジロー(Yvette Giraud)で、発表されたシャンソンで、翌年、アメリカで、英語詞が付けられ、ユーゴー・ウインターハルター楽団をバックに、エームス・ブラザースが歌い、大ヒットした楽曲だった。
日本では、ペギー・葉山、ザ・ピーナッツ等が、日本語詞で歌い、当時、よくラジオ等から流れていたような気がする。
イヴェット・ジローの「小さな靴屋さん」 (YouTubeから共有)
ペギー・葉山の「小さな靴屋さん」 (YouTubeから共有)
gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、数年前に書き込んでいた記事、「一十百千万の健康法」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・・、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。
振り返り記事
「一十百千万の健康法」
もう、6年前の2016年11月の話になってしまうが、我が家から車で30分程の丘陵住宅地で、当時一人暮らしになっていた義姉から、その前年に亡くなった義兄の「家族身内だけの形ばかりの1周忌法要(?)をするが出席してもらえないか」との相談が有り、出席したことが有った。
義兄の墓は、小高い丘陵の上部に出来た新しいタイプの墓地内に有り、その墓地には、昔風のお墓のイメージしか持っていない人間には、エッと驚くような現代風で?、おしゃれな?お墓がずらっと並んでいた。その日は快晴で、丘陵からの眺望もよく、三々五々訪れる墓参の人達にも、なんとなく明るい雰囲気が漂っていたような気がしたものだ。
法要(?)と言っても、義姉の家は、仏教徒では無く、当然、お坊さんによる読経等は無く、最寄り駅より墓地に直接参集した、二人の息子(甥)、義兄の兄弟、義姉、我々、極く少人数で、1時間程、墓前で故人を偲びながら語らい、その後、全員で、タクシー、電車で移動、予約済みの和風レストランで会食し、散会したものだったが、会食も、終始和やかに、身近な会話等が途切れず、あっという間に、時間が経ってしまった感じだった。帰宅後、その会食中に、隣り有った義兄の兄弟夫婦から、こんな話を聞いたと妻から報告されたのが「一十百千万の健康法」。お互いに高齢者同士であり、多分、病気や健康法、認知症予防対策・・・、等の話から、出たのだと思われるが、早速ネットで確認してみた。
「一十百千万の健康法」
(1)1日に 1人と出会う
(2)1日に 10人と話す
(3)1日に 100文字を書く
(4)1日に 1000文字を読む
(5)1日に 1万歩を歩く
どなたからの受け売りか、あるいは、テレビの健康番組かなんかから聞き覚えたものなのだろうが、「なるほど」と思ったり、やさしそうでも毎日続けるとなると、結構大変かも?、後期高齢者になった今、しかもコロナ禍時代では、ちょっと無理!無理!等と、思ったりしているところだ。
(ネットから拝借イラスト)