たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

セイヨウオダマキ(西洋苧環)

2023年04月20日 08時42分47秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

これまで、散歩・ウオーキングの途中や山歩き、畑地や我が家の猫額庭等で、やたら、コンデジで、カシャ、カシャ撮ってきた花の写真が、外付けHDに大量に溜まっており、時々、その気になって、不要、無用写真を大胆に削除しながら、散歩、旅行、山行・・・等のファイルに仕訳分類整理をしているところだが、懐かしい写真を見掛けると手が止まってしまったりもする。そんな古い花の写真の中から目に止まった花の写真を引っ張り出して、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことにしている。草花に詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては、新情報、新知識、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になっている。


この時期、散歩・ウオーキングの途中や、公園の花壇等で、よく見られる花の一つに、「オダマキ」が有るが、花色も花の形も多種多彩で、見掛ける度、「コレ、オダマキ?・・・・」となってしまっている。草木に超疎い爺さん、今更になってネット図鑑で調べてみると、どうも、標高の高い山で自生している日本原産の「ミヤマオダマキ(深山苧環)」、あるいは、「キバナミヤマオダマキ(黄花深山苧環)」とは異なり、ヨーロッパ等から渡来し、品種改良が重ねられて園芸品種のため、多種多彩になっているようだ。

「ブログ内検索」してみると、「セイヨウオダマキ」を、一番最初に撮っていたのは、
10年前、2013年4月26日、散歩・ウオーキングの途中だったようだようだ。

2018年4月16日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「セイヨウオダマキ」

2019年5月1日、東京都町田市の「町田ぼたん園」を訪れた時、撮っていた「セイヨウオダマキ」

2019年5月4日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「セイヨウオダマキ」

2019年5月4日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「セイヨウオダマキ」

2020年4月6日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「セイヨウオダマキ」

先日、2023年4月17日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「セイヨウオダマキ」


セイヨウオダマキ(西洋苧環)

キンポウゲ科、オダマキ属、多年草、園芸品種、
    和名「西洋苧環」は、西洋から渡来した苧環の意味。
    品種改良により、数多の品種が出回っており、
    一般的には、単に「オダマキ(苧環)」とも呼ばれているが、
    日本原産の「オダマキ(苧環)」とは異なる。
    別名 「アクイレギア」「アキレギア」「アメリカオダマキ」「ブルガリス」、
原産地 ヨーロッパ、北アメリカ
草丈 30cm~90cm、多種
花色 青色、白色、紫色、赤色、ピンク色、黄色、茶色、黒色、オレンジ色 等 多種、
開花時期 4月頃~6月頃、
花言葉 「必ず手に入れる」「勝利の誓い」


爺さんの備忘録的花図鑑「ミヤマオダマキ(深山苧環)」
👇
こちら


 


4月第3水曜日

2023年04月19日 21時55分15秒 | スイミング

当地、今日は終日、やや薄い雲が掛かっていたものの、「晴」
最高気温も25℃超、「夏日」となったが、
午前中、買い物の運転手で移動しただけで
ほとんど身体を動かしておらず
いかん!、いかん!、
やおら、重い腰を上げ、
19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスンに出席し、
先程戻ってきたところだ。

久し振り? 夕焼け

今日は、4月第3水曜日、
ベテランのN指導員による平泳ぎ中心レッスンだったが
毎度のこと、基本、基本、の繰り返し、
特に、ストローク、手の形、タイミングを重点的にチェックされた。
 
(参考)平泳ぎのストローク(YouTube) ⇨ こちら

M4グループ、今日は、何故か出席者少なく、女性7人、男性1人、
2レーン使用で、1レーン、4人
どちらかというと、距離を泳がせる指導員
アップ、ダウン、
平泳ぎと他の3種目を組み合わせて、
トータル 1,000m
かなり疲れてしまい、無理せず、
レッスン後の居残りスイムは、パスして
引き上げてきた。
泳いで帰った後の遅い夕食、
程よい疲労感とそれなりのすっきり感、
今日も、バタン、キューで 熟睡出来そう。

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ミヤマオダマキ(深山苧環)

2023年04月19日 10時05分18秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

これまで、散歩・ウオーキングの途中や山歩き、畑地や我が家の猫額庭等で、やたら、コンデジで、カシャ、カシャ撮ってきた花の写真が、外付けHDに大量に溜まっており、時々、その気になって、不要、無用写真を大胆に削除しながら、散歩、旅行、山行・・・等のファイルに仕訳分類整理をしているところだが、懐かしい写真を見掛けると手が止まってしまったりもする。そんな古い花の写真の中から目に止まった花の写真を引っ張り出して、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことにしている。草花にに、詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては、新情報、新知識、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になっている。


山歩きから遠ざかって久しく、最近は、もっぱら、古い山の写真を引っ張り出しては、懐かしがっている爺さんであるが、高山植物についても、まるで疎かったことをつくづく感じている。
二十数年以前の山歩きの写真を見ると、ほとんど高山植物の写真は無く、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)で撮ったピンボケ写真をスキャナーで取り込んだものが僅かに残っているが、花名同定出来たのは、いずれも後年になってからのことが多い。

そんな中に、比較的早期に、「オダマキ」と教えられた花の写真も数枚有る。先日、散歩・ウオーキングの途中で撮ってきた「オダマキ」と、どう違うのかが、今もってよく分からないが、どうも、標高の高い山で自生している「オダマキ」は、「ミヤマオダマキ」、あるいは、「キバナミヤマオダマキ」と呼ばれているらしく、平地で見られる「オダマキ」は、品種改良されたもので、一般的には、「セイヨウオダマキ」、あるいは、単に「オダマキ」と呼ばれているらしいことが分かった。また、思い出せなくなる前に、書き留め置くことにする。

残っている「ミヤマオダマキ」の写真で一番古いものは
27年前、1996年6月30日、妻と二人で、
山梨県の三窪高原を訪れた時に撮っていた「ミヤマオダマキ」のようだ。

当時は、バカチンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、
プリントしてあったピンボケ写真をスキャナーで取り込んだもの。

同じく、1996年8月2日、妻と次男と三人で、
山梨県の鳳凰三山をを訪れた時に撮っていた「ミヤマオダマキ」

2015年7月23日、妻と二人で、
山梨県の北八ヶ岳を訪れた時に撮っていた「ミヤマオダマキ」

2016年6月18日、妻と二人で、
山梨県の入笠山を訪れた時に撮っていた「ミヤマオダマキ」


ミヤマオダマキ(深山苧環)

キンポウゲ科、オダマキ属、多年草、高山植物、山野草、
    和名「深山苧環」は、花の形が機織りに用いる糸車に似ており、
    山地に自生していることから付けられた名。
    花色が黄色のものは、特に、「キバナミヤマオダマキ(黄花深山苧環)」とも
    呼ばれている。
原産地・分布 日本、千島列島
    本州中部以北の亜高山帯、高山帯、北海道、千島列島等の草地や礫地に
    自生している。
草丈 10cm~30cm、
   改良品種「セイヨウオダマキ(西洋苧環)」に比べて、
   草丈、花の大きさ等、小さい。
花色 青色、白色、薄紫色 等 地域により花色多種、
開花時期 6月頃~8月頃、
花言葉 「必ず手に入れる」「勝利の誓い」


 


キエビネも咲き始め・・・、

2023年04月18日 13時24分14秒 | 暮らしの記録

先日、放ったらかしの我が家の猫額庭の雑草の間から、今年も、健気にも顔を出し、花を咲かせていた「ジエビネ(地海老根、地蝦根)」に気付いたが、今日、その近くで、「キエビネ(黄海老根、黄蝦根)」も、咲き始めていることに気が付いた。

「花の写真を撮るだけ係」の爺さん、
この時期、ぼーっとしてられない・・・?、


爺さんの備忘録的花図鑑「キエビネ(黄海老根、黄蝦根)」
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こちら


蔓延るシラユキゲシ(白雪芥子)
花名も、花姿も ちょっぴり可愛い気有りで、最初は歓迎した植物だったが、
ところどっこい、意外や意外、猛烈な繁殖力、
蔓延るだけならまだしも、
「シュウメイギク」、「ゴウダソウ」等々、他の草花を駆逐してしまう曲者で、
いまや厄介者、コマッタチャン、になっている。
刈っても、抜いても、毎年、ワッと出てくる。
どうも、地下茎で増殖するようで、最初から鉢植えにするべきだったと、
反省する妻、


爺さんの備忘録的花図鑑「シラユキゲシ(白雪芥子)」
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平岩弓枝著「はやぶさ新八御用帳(五)御守殿おたき」

2023年04月18日 09時26分15秒 | 読書記

図書館から借りていた 平岩弓枝著「はやぶさ新八御用帳(五)御守殿おたき」(講談社)を読み終えた。本書は、南町奉行所、内与力隼新八郎が活躍する長編時代小説「はやぶさ新八捕物帳シリーズ」の第5弾目の作品で、表題の「御守殿おたき」の他、「赤い廻り燈籠」「雪日和」「多度津から来た娘」「男と女の雪違い」「三下り半の謎」「女密偵・お鯉」「女嫌いの医者」の連作短編8篇が収録されている。一話完結の短編のせいもあり、読みやすく、一気に読破出来た。


読んでも読んでも、そのそばから忘れてしまう老脳。
読んだことの有る本を、うっかりまた借りてくるような失態を繰り返さないためにも、
その都度、備忘録として、ブログ・カテゴリー「読書記」に 書き留め置くことにしている。


▢主な登場人物
隼新八郎(新八、内与力、根岸肥前守の懐刀)、郁江(新八郎の妻女)
根岸肥前守鎮衛(やすもり)(南町奉行、新八郎の上司)、
宮下覚右衛門(南町奉行所用心)、高木良右衛門(南町奉行所用人)、
お鯉(南町奉行所奥仕え女中、新八郎の心の恋人)
神谷鹿之助(勘定方、郁江の兄、新八郎の義兄、幼馴染)、神谷伊十郎(大番組組頭、新八郎の義父)、
大久保源太(定廻り同心)、大竹金吾(同心)、勘兵衛(元岡っ引き、鬼勘)、
お初(勘兵衛の娘、小かん)、お久美(勘兵衛の孫)
藤助(岡っ引き)、熊吉(下っ引き)、

▢あらすじ
「赤い廻り燈籠」
内与力新八郎は、根本肥前守から、旗本進藤織部正(おりべのかみ)の妾宅で愛妾お三津が殺された事件を内密に調査するよう下知される。定廻り同心大久保源太等と共に探索開始。「私、人を信じて居りません」と言う織部正の正妻吉江、奥女中おもとは、「奥方が下手人?」と言い、女中お千代は?。怨恨?、金目当て?、下手人の目星つかないまま、事件から10日が過ぎ、赤い紙で出来た廻り燈籠から、ピンときた小かん(お初)がもたらした情報から・・・、秋山助三郎が捕らえられ・・・、1件落着。
小かん(お初)が茄子漬けを御番所に届けに来た直後から、お鯉が大車輪で茄子漬けを作り始め、「殿様、どちらがお口に合いますでしょうか」・・・、対抗意識丸出し?、女は変なところで強くなるものだというのが、新八郎の気持ちだった。

「御守殿おたき」
有徳人とされている永田屋光兵衛が18年前に拾って育てた娘お栄を、松平上総守斉政の御落胤であるとして、突然現れた堂々たる美人奥女中滝の井。見事な芝居で、礼金、衣装代、800両を騙し取られた光兵衛、倅政太郎の正体は?、お栄を引き取ったのは、小石川の大百姓善兵衛夫婦?、お栄の煙草屋の前に 町家の女房髷、小粋な女が一人・・・。
小走りに去って行く女の背に、新八郎は、「忘れてた。あんたの名前は・・・」、「お滝です。仲間内では、御守殿おたき」、まるで御殿女中のように、きりっとした美しいお辞儀を残して、夕暮れの中に消えた。
なんとも小気味良く、深く、味わいの有る作品である。

「雪日和」
石州浜田藩松平周防守の若君鶴之助(14歳)は、侍女お喜久が生んだ子だったが、正室芳江が病死、側室藤世の子も病死したため、側室藤世の子として育てられた。その事実を知ってから反抗的となり粗暴な振る舞いをするようになった鶴之助、白金の大地主作兵衛に大怪我をさせてしまい、その後、御家人古沢藩兵衛の娘を馬で跳ね飛ばし死亡させるが、実は、その裏で画策が有ったのだった。重役佐野三郎兵衛兵馬父子と奥女中沢の井、藤世の父親重役岡野源太左衛門
襷掛けの侍4~5人、暗殺者?、「何の真似だ、兵馬・・・」、「母上・・・・手前の不心得・・・・お許しを・・・・」
国許へ出立する周防守と藤世を見送る馬上の侍は、松平鶴之助であった。まだどこか幼な顔の残っている若い殿様の両の頬に涙が光って流れ落ちるのを、橋の袂から、新八郎は感慨をもってみつめていた。

「多度津から来た娘」
新八郎の妻女郁江の母親左尾は、大番組頭能勢市兵衛の妹で、その能勢市兵衛の娘は大奥に奉公、将軍家斉の目に止まりお志賀の方と呼ばれていることから羽振りよく、毎年正月には、盛大な茶事初釜を行っていて、新八郎も招かれたが、そこで見掛けた新顔の娘お千賀に注目。多度津から出てきた京極家御用人塩津宗兵衛の娘だというが・・・?、なにかちぐはぐ・・・。多度津から寒中串鮑を運んで来た名主中村彦三が行方不明に・・・、事件?、事故?、大竹金省吾等と探索、お勝?、おたま?。御番所の居間で、根岸肥前守は、新八郎に、「新八の勘が当たったの」、「何故、女天一坊と気がついた」、「よくわかりません」・・・・。多度津から出て来た娘は、束の間、江戸の華やかな夢を垣間見て、短い生涯を終わった。新八郎は、この男らしくない深い吐息をついた。

「男と女の雪違い」
2月、雪が降り続く中、根岸肥前守の私用で向島村へ出掛けた新八郎、帰途、小かん(お初)と出会う。小かんの清元、踊りの弟子辰巳屋のお加代が、雪の中、行方不明になっているという。探索途中、流されてきた船にしがみついて子供2人を助けた時、新八郎が右肩脱臼、さらにお加代を襲う中間5~6人と斬り合い、お加代を救出したが、勘兵衛の家に泊まる。小かん(お初)が甲斐甲斐しく世話をし・・・。すると、翌日、勘兵衛の家へ、郁江が駕籠2挺で迎えにやってきて、気まずい空気、嫉妬?、人形のような郁江の女の情念?、春の嵐?
小かん(お初)は、小かんで、郁江を連れてきた熊吉に腹を立て、煙草盆を放り投げる等、大荒れ。お鯉は、お鯉で、夜更けまで湯を沸かし、飯の支度をし、長屋の様子を見続け、新八郎の帰りを待ち続け・・・、美女三人に、三様のヤキモチを焼かれる新八郎、それに気が付かないで御番所へ通うのんき者の新八郎だった。

「三下り半の謎」
3年前、本多内蔵助の上屋敷に盗賊が入り、2代将軍秀忠から拝領した天目茶碗が盗まれた責任を取らされ解雇された江口兵吾が、本多家の隣の土屋家の屋敷に入った盗賊の中にいたという事件で、新八郎は、表沙汰にならないよう探索するよう、根岸肥前守から下知される。江口兵吾には、女房おふゆと娘お千代(7歳)がいるが・・・。散茶女郎お松とは?。2日後、江口兵吾が殺され、財布に残っていたのは、三通の三下り半(離縁状)?。「みや殿」「おしろ殿」「ゆふ殿」、???、謎。荒次郎、万吉、百太郎、岩之助、鬼神組一味は召し捕られたが、盗賊一味から持ち出した500両の行方が不明?、「どうじゃ、お鯉、金の隠し場所に心当たりはないか」、肥前守がお鯉に聞く。江口兵吾、おふゆには、5歳で病死したお孝という娘がいて、その墓は?、「ここは、宮城村だな」

「女密偵・お鯉」
男子禁制の紀州家上屋敷の奥で、金無垢の薬師如来像が紛失した事件の探索のため、お鯉が密偵として働くことになった。女達の確執が原因であろうと睨む新八郎は、「知らぬぞ、また泣いても・・」。御簾中(正室、種姫)、側室 おむら、御年寄 千とせ、藤尾、民野、女中 おきみ、おとよ、台所人 清助
小かん(お初)も連絡係として参加するが手がかり無し。「どうも、女のごたごたは厄介だ」と新八郎。
9日経過、魚市場で小かん(お初)が、紀州家の裏門で見掛けた若い男を見つけ・・・。お鯉が直感、千とせと側室おむらの妹女小姓弥生が。。。、御簾中(正室、種姫)の寝所に走り込み・・・、全て明らかに・・・。
お鯉が、御番所に戻り、上機嫌の根岸肥前守がお鯉と楽しげに飲食、お鯉が心配で夜も眠れず、紀州家のを周りをうろついていた新八郎は、やや憮然。

「女嫌いの医者」
「男と女の雪違い」で、狼藉者に襲われた危難から救出したお加代(小かんの弟子)の父親料理屋辰巳屋平治郎から、新八郎は、三河岡崎藩(藩主本多中務大輔忠顕)には、内紛が有るらしいとの情報を得る。そこに、平治郎の亡き先妻の姪で仕出し屋吉松に嫁いでいるお加津が、若い医師吉山宗典を連れてきた。帰りがけ、小かん(お初)勘兵衛藤助に同行して、新装開店の熊吉の一膳飯屋で飲食し、店を出たが、誰かを追って凄い勢いで走ってきた様子の本多家の侍達と出くわす。翌日、宗典の家に深傷を負った一人の侍が・・・。うわ言に、「さかいさま・・・」。???。藩主忠顕の奥方が、酒井左衛門中尉忠徳の姪?、藩主忠顕の愛妾、お袖の方?、服部玄太郎?、岡崎藩藩士2名の葬式?、吉松の内儀お加津が本多家の中屋敷へ手伝いに行くことを知っていた宗典。その宗典に惚れ込んでしまったお加津。お加津に口説かれるが、際どいところで逃げ出してしまった宗典とは、いったい何者?。
御番所根岸肥前守の居間、「その内儀は、美人か」・・・、「新八なら如何致した」、殿様とお鯉と、同時に睨まれ、新八郎は狼狽した。「いや、手前は、やはり、その・・・・」


(つづく)

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花の命は短くて・・・・、

2023年04月17日 09時40分03秒 | 散歩・ウオーキング

あっという間に4月も中旬、
加齢と共に時の過ぎ行く速さが加速しているかのようにも感じてしまっている。
散歩・ウオーキングの途中で見掛ける花も、あっという間に咲き、散って・・・、
まるで 走馬灯の如し・・・、
季節の巡りに追い付いていけなくなっている爺さん、
  右左上下キョロキョロ花散歩
スマホの歩数計で、約5,600歩、

つい先日、満開だった八重桜も、散り始め・・・、

セイヨウオダマキ(西洋苧環)が咲き誇り・・、

リナリア(姫金魚草)                ヤエヤマブキ(八重山吹)

 

コデマリ(小手毬)

キバナオドリコソウ(黄花踊子草)             コバンソウ(小判草)

 

エッ!、もう、スズラン(鈴蘭)・・、

 

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キヌサヤ 初収穫、他

2023年04月16日 18時56分58秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、朝方は、曇っていたが、次第に晴れ上がり、気温も上昇、
午後には、真夏の雲のような雲がモクモク、

前日に、まとまった「雨」が降った、「晴」の日は、畑仕事には、
もってこいのコンディション、
午後、やおら重い腰を上げ、Go To 畑! と相成った。

(1)前回、途中で止めて、やり残したネギの畝の草取り(草抜き)、
   土が柔らかく捗り、一気に終わらせた。
   やれ、やれ、1件落着、

(2)ジャガイモの畝の草取り(草抜き)

(3)夏野菜等植え付け場所の草取り(草抜き)

(4)キヌサヤ 初収穫、
   春先まで、超生育不良で、半ば諦めていたキヌサヤが、
   ここにきて、俄然、元気になってきており、
   予想外?の収穫・・、
   大量の花が咲いているので、しばらくは、
   「トレスギチャッテ、コマルノー ♫」状態になるのかも知れない。

(5)ノラボウ菜、サニーレタス 収穫

 

畑地の隣りのお宅(空き家)のフェンス際の藤が満開、

 

畑地のど真ん中で蔓延るヤグルマギク、
雑草と一緒に引っこ抜いたものを、妻が持ち帰り・・、

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君の名は?花に尋ねつ爺散歩

2023年04月16日 09時48分09秒 | 散歩・ウオーキング

昨日は、久し振りに1日中、雨が振り続き、
大地は、たっぷり潤った感じがする。
今日も、早朝は、雨模様だったが、次第に青空も見え出した。

  君の名は?花に尋ねつ爺散歩

ちょこっと近くを歩いてきた。

ツツジ

ハナミズキ

シャクナゲ?                 オオツルボ?

 

オオデマリ?

トキワマンサク?

モッコウバラ?


「ふるさとのはなしをしよう」

2023年04月15日 13時26分38秒 | 懐かしいあの曲

当地、今日は、久し振りに、朝から雨が降り続いており、
気温も、昨日までとは打って変わって、ぐんと下がり、
体感的には、冷え冷え・・・。
足、腰、痛!、痛!、体調イマイチ、どこに出掛ける予定も無し
休養日と決め込んで・・・。 

昼下がりの手持ち無沙汰な時間、ふっと、古い歌謡曲「ふるさとのはなしをしよう」が思い浮かんできて・・・・、
「ブログ内検索」してみたら、6年前にも、ブログに書き込んでいたことが分かったが、コピペ、リメイクすることにした。

今更になってネットで調べてみると
「ふるさとのはなしをしよう」は、1965年(昭和40年)に、作詞 伊野上のぼる作曲 キダ・タロー唄 北原謙二で、発売された歌謡曲だった。

昭和から平成、令和へ、時代は変わり、環境、暮らしもすっかり変わってしまったが、纏った鎧を外して、素になった高齢者にとっては、子供の頃や青春時代に過した、ふるさとが、俄然懐かしくなってしまうことがよく有る。昭和30年代、40年代には、そんな、ふるさとを想う歌謡曲が、めじろ押しだったような気がするが、当時は、さほど思い入れもなく、なんとなく聞き流していたと思う。それが、かなり後年になってから、それらの多くの、ゆったりした曲調、ふるさとへの思いが詰まった歌詞に、「いい歌だったんだなあ」と気が付いたりしたものだった。童謡もそうだが、昭和の歌謡曲からも 古き良き日本人の心が、伝わってくる気がするのだ。
なーんて、古い物事を懐かしがるのは、老人の最も老人たるところと、自嘲してしまうが・・・。
生まれ育った地、一時期住んだ地、山川に囲まれた寒村だったり、都会のド真ん中だったり ふるさとと思う地は、人それぞれ違うわけだが、誰にも、生涯忘れられない地が有るのではないかと思っている。

北原謙二の「ふるさとのはなしをしよう」(YouTubeから共有)

             1 砂山に さわぐ潮風
               かつお舟 はいる浜辺の
               夕焼けが 海をいろどる
               きみの知らない ぼくのふるさと
               ふるさとの はなしをしよう

             2 鳴る花火 ならぶ夜店に
               縁日の まちのともしび
               下町の 夜が匂うよ
               きみが生まれた きみのふるさと
               ふるさとの はなしをしよう

             3 今頃は 丘の畑に
               桃の実が 赤くなるころ
               遠い日の 夢の数々
               ぼくは知りたい きみのふるさと
               ふるさとの はなしをしよう

 

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セイヨウジュウニヒトエ(西洋十二単)

2023年04月15日 09時01分20秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

草花にも超疎い爺さん、ブログを始めた頃までは、我が家の庭に咲く花であろうが、道端、空き地、畑地、川原等で蔓延っている野草であろうが、公園や植物園等で鑑賞出来る草木であろうが、まるで関心も興味も無しで、見ても、花名も知らず、分からず、覚えられずで、ほとんど珍紛漢紛だった気がする。数多のブログを拝見するようになってから、その無知ぶりを痛感、初めて、花名等を知ろうという気になったものだったが、教えてもらっても、自分で調べても そのそばから忘れてしまう老脳、出来る限り、写真を撮ってきて、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に書き込むことで、少しづつだが、分かる草花が増えてきたように実感している。草花に詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては、新情報、新知識、「爺さんの備忘録的花図鑑」は、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になている。


ブログを始めてからのこと、我が家の猫額庭に次々咲く花等も、ブログ・ネタに、やたら、カシャ、カシャ、撮るようになっているが、その中の一つに、「ジュウニヒトエ」も有る。「ブログ内検索」してみたら、一番最初に「ジュウニヒトエ」を撮っていたのは、11年前、2012年4月28日だったようだ。多分、その時、「花と庭の係」妻から、花名が、「ジュウニヒトエ」であることを教えられ、以後、確かめもしなかったものだが、昨日、相互フォロワー登録している方から、その花の花名は、正しくは、「セイヨウジュウニヒトエ」であることを教えていただき、「へー!、そうだったの・・・」、目から鱗・・・、になっているところだ。忘れない内に、これまで「ジュウニヒトエ」としていたものを訂正、リメイク、書き留め置くことにした。

11年前、2012年4月28日、我が家の猫額庭で撮っていた「セイヨウジュウニヒトエ」
「ジュウニヒトエ」という花名を、初めて知ったのは、
多分、この時だったのだのではないかと思う。

2013年3月28日、我が家の猫額庭で撮っていた「セイヨウジュウニヒトエ」

2020年4月4日、我が家の猫額庭で撮っていた「セイヨウジュウニヒトエ」

 

2021年4月15日、我が家の猫額庭で撮っていた「セイヨウジュウニヒトエ」

 

先日、我が家の猫額庭で撮っていた「セイヨウジュウニヒトエ」


セイヨウジュウニヒトエ(西洋十二単)

シソ科、キランソウ属、多年草、
    和名 「セイヨウジュウニヒトエ(西洋十二単)」は、日本固有種の 
    「ジュウニヒトエ(十二単)」に良く似ていて、ヨーロッパ原産であること
    から付けられてもの。
    「十二単」は、花が重なり合って咲く姿が、平安時代の貴族女性の
    宮中の礼装とした十二単に見立てられたもの。
    別名・流通名 「アジュガ」、「セイヨウキランソウ(西洋金瘡小草)」。
原産地 北ヨーロッパ、
    日本には、栽培品種として輸入されたが、1970年(昭和45年)頃から
    野生化が進んだとされている。
草丈 10Cm~30Cm
花色 青紫色、ピンク色、白色、、
   茎の先に何段も輪生し、下から上へ咲き上がる。
開花時期 4月頃~6月頃
花言葉 「強い結びつき」「強い友情」「心休まる家庭」


爺さんの備忘録的花図鑑「ジュウニヒトエ(十二単)」
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