「ぐるりのこと」 梨木香歩 新潮文庫
通勤バスの中では、たいていさらっと読めるエッセイなどを読みます。
梨木香歩は、「村田エフェンディ滞土録」という本で、すっかりファンになりまして、でも、このたびは軽く読めそうなエッセイをバッグに忍ばせたのですが。
ところがこれがまた、そうさらっと読めるようなものではなく、一文一文を抱きしめながら心して読むべき本であると思いました。
「ぐるりのこと」とは、自分を取り囲むもろもろのこと、ということですが、その対象となる万物の話をしているのではなく、自分と自分を取り巻くものの境界について考えをめぐらせています。
自己と他者の境界。
それはさりげなく九州の山小屋のこちらとお隣の境界の話から始まるのですが、
ある時はイギリスのドーバー海峡を望む断崖絶壁で、
またあるときは旅先のトルコで、
時には愛犬との散歩の道すがら、折にふれ、考える。
折にふれ、食べ物とお酒のことなど考えてる私とは大違い。
それは作家という職業からのこともあるでしょうが、見習うべき生き方であると感じ入りました。
自己と他者。
それは拡大すれば自分たちの群れと対する相手側の群れ、
また、自国と他国の関係でもあります。
人類のそれは対立関係、戦争の歴史でもあります。
でも、人類は行きつ戻りつしながらも、ほんの少しづつその境界を埋めようとして前進しているのではないか。
梨木さんはその方向性を信じようとしているように思えます。
また、群れの中の個という問題もあります。
群れを重視するがために、個が押しつぶされることがしばしばある。
本来群れは個が所属し、安定を得るためのものだけれど、その群れが逆に個から安定を奪い命をも奪うようなものだったら、群れなど必要ない。
国家と個人を考え合わせる時、この考えは痛烈です。
結局は、群れ対群れではなく、個とそのぐるりの境界の問題なのだろう。
一人ひとりがまず、自分のぐるりに心を開き、うんと垣根を低くしてみればいい。
あるいはイギリスの生垣のように、うんと幅広く、緩衝地帯を持った境界とすればいい。
ただ、個はやはりなくしてはいけないのだ。
いつしかその個をとりまく境界があいまいで、行き来自由になるといい。
そんなことを私もつらつらと考えたのでした。
満足度 ★★★★