(DVD)
南アフリカ、ヨハネスブルグ。
高層ビルの立ち並ぶ大都会。
そこにはまた、広大なスラム街も同居していている。
アパルトヘイトの爪あとも生々しく、格差に病んでいる街。
ツォツィとは、「不良」の意味ですが、
主人公の少年は、周りからは名前でなく、このように呼ばれている。
つまり、札付きのワル。
窃盗は無論のこと、殺人もいとわない・・・。
いつもピリピリして、憎悪を撒き散らしているかのように見える。
でも、よく見ると、まだあどけなさを残した顔なんですよね・・・。
そんな彼があるとき、盗んだ車に赤ん坊が乗せられているのに気付く。
まだ、離乳食も始まっていないくらいの、生まれて間もない赤ん坊。
ふと、魔が差すとでもいうのでしょうか、彼はその赤ん坊をそのまま、家に連れ帰ってしまう。
誰かが手を差し伸べなければ、生きていけない。
このような存在に対して、たいていの人は見捨てては置けないでしょう。
それは彼も例外ではなかったのです。
そして、誰もが彼をみて嫌悪感をあらわすのに、
赤ん坊は、ただ無心にすがろうとする。
この、泣きたいくらいの無垢な存在に、彼は心奪われてしまう。
・・・それにしてもです、ミルクがなければ赤ん坊は生きられない。
オムツもなくて、いきなり新聞紙を巻きつけたところでは、
驚いたというか、そういう手があったか!と、感心さえしましたが・・・。
また、彼が赤ん坊を連れ歩く手段は、紙袋にいれて、ぶらさげて・・・。
お金持ちの家の赤ちゃんなんですが、なかなか、良く耐えている。
さて、彼は、たまたま赤ちゃん連れの女性を見つけて、彼女の家に押し入り、
銃を突きつけ、乳を与えるようにと脅すのです。
彼女は、赤ん坊への不憫さに母乳を与えますが、
その穏やかな姿を見るうちに、彼が思い出したのは、自身の母親の姿でした。
彼がまだ幼い頃の1シーン。
やさしく彼に語りかける病身の母がいます。
その記憶はまた、強烈につらいシーンへと続くのですが、
とにかく、彼にも母親に慈しみ育てられた時期があった。
その思いこそが、彼の再生の出発点なのではないかと思います。
片や、平気で人を殺しておきながら、
また一方では、小さな命を守るために必死になる。
人間の気持ちは不思議で、不合理です。
・・・でも、わかるんですね。
言葉や文化が違っても、どこの国の人でも、この感情は理解できる。
だから、映画ってすごいなあ、と思います。
ステキな映画を紹介していただいた、CD様に感謝。
2005年/イギリス・南アフリカ/95分
監督:ギャヴィン・フッド
出演:プレスリー・チェニヤハエ、ケネス・ンコースィテリー・ベート、モツスィ・マッハーノ、ジェリー・モフォケン