長崎・広島の祈念式典、イスラエルへの招待状の可否が話題だけど、
それはそれとして、
首相のメッセージだぜ、問題は。
安倍総理
「 私たちは改めて乗り越えられない試練はない そして、平和の尊さを強く感じる次第です 」
菅総理
「 私たちは改めて乗り越えられない試練はないこと そして、平和の尊さを強く感じる次第であります 」
岸田総理
「私 たちは改めて乗り越えられない試練はないこと そして、平和の尊さを強く感じる次第です」
いくらなんでも、首相3代でコピペ!ってありえないだろ。
試験や卒論だったら、一発アウト!
こんな恥ずかしい行いを国家元首がしてる国、日本!
はやいとここの体制に見切りつけないと、滅亡は目前だぜ。カンニングする優等生が学級委員って、学級崩壊間違いなしだ。
全責任は無能で破廉恥な政治家にあるんだが、もはや、あいつらに文句言ったって、馬の耳に念仏、鹿に説教、馬鹿につける薬はない。さっさと落選させるしかない。
が、待てよ、これってもはや慢性の宿痾なんじゃないか?
と、すると、病原を立つしか全治の可能性はない。
こういった政治家の答弁やメッセージ代書してる連中、秘書とか補佐官っていったやつら、この連中の人間性と能力を採点する必要があるんじゃないか。この裏方の力をアップする必要があるんじゃないか。
今、これらスピーチライターって、まったくの影武者だろ、それがうまくないと思うのさ。己の名前は前に出ないし、責任者はペーパーを読む無能の代議士、だったら、何も渾身の力作とか、人生懸けた表現なんて作るだけ無駄、手柄になるにしろ、落ち度と評判落とすにしろ、所詮、無責任先生方が評価されるだけ、だったら、適当に手抜きしとこうか、ってなるじゃないか。
まず、公の場でのスピーチその他については、著者の氏名を明記することにする。少なくとも関わったスタッフとして公表する。常に上質のスピーチに関わっていれば、名前も売れ、そこから望まれて政治家への転身が可能になったり、政策スタッフとして厚遇されるようになったり、外に出て評論家や学者としての道も開けてくる、こういったシステムを築くことだ。
今回、長崎市長のメッセージが高く評価されているが、その原案には被災者の方とか、式辞検討委員の考えが反映されているってことだ。優秀で真摯なバックアッパーの存在とその提案を誠実に受け止めた市長の姿勢があったってことだ。しかも、その裏事情も公表されている。
こういうことを、常時行っていくということだ。
優れた政策秘書がもっと脚光を浴び、その才能を使い切る政治家の能力が評価される、そんな仕組みを作り上げないと、いつまでこの無能で無責任で、誰も聞かない挨拶やスピーチはなくならないぜ。
新聞や週刊誌だって、個々の記者の責任執筆になりつつあるだろ、これを大幅に進めるってことだよ。
とは言っても、メディアなら腰抜け上層部を、政治の世界なら能無し政治家を刷新することが一番なんだけどな。
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