自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

2014年のX’マス:ローマ法王の過激な挨拶

2014年12月28日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

 ”心を石にするなかれ””上司を神とするなかれ”  2014・12・28

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 今年のクリスマス、慣例のローマ法王のクリスマスの言葉が

全世界に向けて流された。

Japan News のクリスマスの日の朝刊に。次のような

ニュースが掲載されていた。


”Vatican City (AP) on Dec.24th (12月24日AP通信 ヴァチカン市発)

Vatican watchers said they had never heard soch a powerful , 

violent speechfrom a pop~


(須田訳:ヴァチカン市民はこれほど、法王が力強く、過激なスピーチを

したことを聞いたことはないと言った)


Francis turned the traditional, genteel exchange of Christmas Greetings

into a public dressing down of the Curia, the central administration

 of the Holy See that governs the 1.2 billion strong Catholich Church.

(スダ注:法王は、伝統的な穏やかなくX’マスの挨拶の代わりに、

12億人の世界中のカソリック信者を統括している法王庁の役人の

実態を批判したのだ。)

He made clear that his plans for a radical reform of the structures 

of church power must be accompanied by an even more radical 

spiritual reform of the men involved.


(須田注:法王は教会権力構造の過激な改革に対する計画を明確にし 

その改革は、これに携わる人々の過激なスピリチュアル改革によって

同時に、もたらされるべきだということを述べた”

 

さて、フランシスコ法王が語ったクリスマスのメッセ―ジのタイトルは

法王庁の病んでいる15の問題点” ということだった。

その病んでいる点は具体的に以下のような内容だった。

 

12月24日付の朝日新聞では

その15の問題点を以下のように日本語訳に置き換えていた

1) 自分たちが不滅で不可欠だという感覚

2) 働き過ぎ

3) 心が石のように頑固になっている

4) 計画しすぎる

5) 調和なく働くこと

6) 精神的な’認知症’ 

7) 張り合ったり虚飾に走っている

8) 存在の’統合失調症’

9) 陰口を言いあう。

10)上司の神格化

11)他者への無関心

12)お葬式のような深刻な顔

13)物欲

14)閉じられた’内輪’を優先

15)世俗的な利益を求め、ミエを張る

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まとめて、大きく分けると、3つのパーツにわけられるような気がする:


たとえば (1)、(3)、(4)、(6)、(8)、は心の内面の見直しを

促す言葉で(2)、 (5)、(9)、(10)、は働く意義や 組織内部

での心の持ちよう、(7)、(11)、(13)、(15)、は 欲得に

かられやすい人間のエゴに対する忠告ともいえる。

 

一番めの 自分たちが不滅で不可欠であるという認識 は 正しく

使われればむしろ、相手の中にその資質を認めることもできるわけ

だから、自然と相手を見る眼にも、謙虚さが伴うだろう。


それが悪く使われれば、自分のみ正しく、自らの反省や批判を

忘れてしまう想い上がりの高慢な妄想に取りつかれた人に

なってしまう。

 

4番目の 計画しすぎる事 に対する忠告は、人間所詮、

どんなに細密に計画たてても、自然災害や不可避な事態という

’計画の妨害’を予測することは不可能なことをさしている。


つまり、一生懸命、尽くして 天命を待つ式に、神のみぞ、

最期の完成と計画成就に恩恵を与えることができ、それがあって

計画が成就できるという認識も必要なのだろう。


キリスト教式に言えば”神の御心のままに為したまえ”という、

祈りの心に通じる。

神への信頼を持って、ことにあたれば、失敗してもよし、成功すれば

さらによしという心境になれるのだと思う。

 

法王のいう 精神的’認知症’とは何だろうか?

”神との出会いを忘れた人達”をさすらしい。

 

さらに存在の ’統合失調症’ という8番目に出てくる言葉の意味は?


存在そのものが、宙に浮いたような次元にいる人達、

現実の周りの人々や状況と向き合うことができない人達、

現場の状況を知らず、机に座って指示し、マニュアルを書く官僚の

ような現実を知らずに自分の独善的世界に浸っている人達、

をさすのだろうか?


法王庁の職員のみならず、多くの官僚機構型人間はこの類に

属するのだろうか?


それは3番目の、心が石のように頑固になる~というフレーズにも

つながりそうだ。

身の回りの人達の喜びをともに享受し悦び、悲しみをともに手をとり

励まし合う、そうした、他者の心の繊細な感情の襞(ひだ)に敏感に

なること、 だから、 (7)の張り合ったり、(9)の悪口を言い合ったり

11)の無関心を装ったりしないこと。


そういう人は組織人間になり、出世ばかり考えるようになる。

(10)の上司を神格化して、白くても、上司が”黒といえば黒”、

”赤といえば赤”というように、日和見主義の徹底化を自らに

課して良しとするのだろう。

 

これらの忠告は、全世界の人々へのメッセージであるとともに、

法王はバチカンの官僚主義的体質をこうした言葉で厳しく

批判したともいえる。


法王庁の体質改善を公にこうした言葉を投げかけながら、ローマ法王は

こう付け加えたそうだ。


”ニュースになるのは落ちたときだけ。だが、一人がおちれば、

教会全体が傷つく”

だから、法王は、

”聖職者とは飛行機のようなものだ”という。

 

本当にそうなのだろうか?

飛行機は高いところを飛んでいる。

勤勉家で こつこつと小さな糧を一日の糧としている蟻(あり)は、

飛行機を見上げてみることもできない。

逆もまた真なり。

 

多くの民衆は 国民は、毎日当たり前の小さな仕事を繰り返し

地道に、地味に、地を這うように生きている。


飛行機に乗っている聖職者では ヘリコプターに乗れる一部の

金持ちの人達しか 彼らと話し合えるゆとりはもてない。

 

地道に一歩一歩 大地を歩いている人にしか、蟻の存在を知ることは

できないのと同様、現実の生活を見たり聞いたり一緒に苦しんだり

喜んだりできる人達にしか、一般の人達、救いを求めている心身ともに

病んでいる人達の心を理解することはできない。

 

聖職者とは  本来 そうした努力をいとわない人達だと信じたい。


弱者や忘れかけられている人達をみつけて声をかけられる人。

僧侶や牧師、神父などの聖職者は本当はそういう方達であるはずだろう。

 法王のメッセージは そういう意味で、たぶん世界中の聖職者にも

もしかしたら ちょっと痛い言葉なのかもしれない、。

 

 

 

コメント
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