目に見えない世界からのエネルギーを手綱としている実感
2017・2・6
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先回の続きから~
日本人の目からはスラム街に映るだろう。
そこを行き来している人たちは、訪問客はほとんどおらず、
私が入っていくと、虚ろによそ者を見つめる。
しゃがんで日向ぼっこをしている、住人達から、
固い視線を体中に受けた。
アッサム出身のインド人と、インド人たちには映るかもしれない、
日本人の私は、ここでは明らかに着るもの、立ち振る舞い
などでよそ者とわかるらしい。
そんな瞬間は、肌で感じ、道をすり抜けているのも、
多少勇気がいるものだ。
お茶を一緒にと誘ってくれた 住人のボビーとともに
タクシーを降りた。
このブログに登場する、我が家のお手伝いさん、サントシさん
を紹介してくれたのは彼だ。
彼の父親は5年前に亡くなった。
ボビーは、すでに日本に住民票を移した私に、国際電話で
父の訃報を知らせてきた。
私とボビー親子との繋がりは深かった。
だいぶ前のブログ記事に、黒魔術の体験を載せたことがある。
その時、私の家に現れた、ラジャスタンのタントラの僧侶は
ボビーの父親の師であった。
ボビーの父親は、眼光するどく、眉間に一本しわがはいり、
無口ではあるがどこか芯を感じさせた。
洗濯とプレス(アイロンがけ)の職人だった。
さて、ボビーは 私がデリーの家に着いた17日早朝、我が家
に出勤するサントシと、ばったり出くわし、
”須田マダムは いつインドに来るのか?”とサントシに聞いた
らしい。
彼女は 私がその日もう、デリー宅で休んでいることを
知っていたが、しらばっくれて
”さあ、ホーリーの頃(インドのお祭り、通常3月)かしらね”と
言葉を濁したと、私の顔を見て、笑った。
ボビーが 第六感で私の存在を察知していたように、私も、
彼の事が気になっていた。
今回の目的、銀行の用事の合間をぬって、ボビーに電話した。
電話口で驚くボビーに 取り急ぎ、家に来てもらい、一緒に
タクシーで彼の家に向かった次第だった。
私が来ると、事前に夫から連絡を受け、お茶のしたくのために、
アイロンがけの仕事を休んだ妻も出迎えてくれ、
家族全員の歓待を受けた。
ボビーの母親は、少し認知症になっているということだったが、
通りすがりに目があった私の事は、はっきり認識した。
数年ぶりの再会に、路上で日向ぼっこしていたが、石階段を
不自由な足で上ってきた。
彼女は、日の当たらない、窓がない、ボビーの家族の住む、2階の
部屋に入ってきた。
6畳ぐらいの広さ一間(ひとま)しかない部屋に置かれた
ベッドに 家族とともに、一緒に座り、私の息子や日本の
家族など、いろいろと事細かに消息を尋ねた。
そして、5年前に亡くなった彼女の夫をしのんで涙ぐんだ。
職人気質のタントラの修行をしたボビーの父親は
遺言を残していたことを私は思い出していた。
その遺言の中にある、父の願いをまだ、家族がはたして
いないこともわかっていた。
ベッドを囲んで皆でお茶をし、ボビーの妻がつくった、
質素な炒めご飯を食べ終わり、団らんの時間になった時、
和気あいあいの雰囲気の中、頃合いをみはからって、
私は、今の家の主、ボビーの弟(家長の役目を果たしていた)
に質問した。
”ところで、どうして、儀式をまだはたしていないの?
お父さんとの約束でしょう?” というと、弟は
顔をあげて私の目をみつめた。
”この間、夢を見てね。
お父さんがいう事には、自分の遺言に残した約束を
果たしてもらっていないために
あの世でまだ心残りになっている。
心残りというのは、その遺言の約束を 残された家族たち
が守ってくれないため、
こちらから祝福の気を送っても、結局、そちらに届かない。
ボビー兄弟たちは、自分たちで 天から送られるはずの、
自分たちの幸せ、天からの祝福という、贈り物を拒んで
いるのが残念だ。
~とお父さんが、言っていましたよ。”
弟が背骨をまっすくにして、身を乗り出して、聞いた。
”なんで、マダムはそのことを 5年もたつのに思い出して
言うのですか、というより、どうして知っているのだろう!
自分にも死ぬ間際、その通りの事を言って死んだのを思い出した”
この話題、は周りでそれぞれ何かをしていた子供たちや
弟の妻やボビーの妻の興味を大いに引いたらしい。
みんなベッドの周りによって来た。
ボビーの妻が声を大きくして 弟に言う:
”やはり、早くしましょう。 しなければ。ねえ、約束を
はたしましょう。”
弟は 頷き
”マダム、すごい、うん、そうだ、わかった。
2月?いや3月? パンディット(占い師)に
良い日を聞かなければ”
と口早に答える。
成人した子供たちも 弟の妻も驚いたように
話し合っている私たちの顔を交互に見詰める。
その父親との約束とは、こうだった。
ボビーの弟は、インドでは社会的に認められる職業である
教師という職に就いて、生活もボビーより
安定して、実際の父親亡き後の家の頭領になっていた。
しかし、子供に恵まれていなかった。
妻は現在28歳。
父親は、亡くなるとき、タントラの行に基づく、儀式を
執り行うように、兄弟たちに頼んだ。
そうすることで、父親の魂は再び 生まれ変わることができる、
できれば、ボビーの弟の子供に生まれたいという願を伝えた。
教養ある弟は、それをあまり本気にしなかったようだ。
ボビーは、父親のタントラの教えを自分でも間近に学んで
いたせいか、その儀式を行うことには積極的
だったが、彼の給料ではとても、その儀式を一人で
行う余裕はなかった。
タントラは、カーリー神を信仰する。
シヴァ神の妻である。
カルカッタの カーリーテンプルはインドでも
カーリー神をまつる寺として最も有名だが、山羊を
ささげるという生贄の儀式は近代まで行われていた
ようだ。
ボビーの父親も 自分の亡き後の弔いの儀式には、
もちろん、最も古典的な生贄(いけにえ)の儀式を求めた。
続く