スピリチュアリティと世間の風当たり 2017・6.15
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”人間・この未知なるもの” の著者 アレクシス・カレル
は ノーベル・生理医学賞を1912年に受賞した。
組織培養法を発見し,血管縫合術,臓器移植法を考案して
現代医学の礎を築いた功績が、たたえられた。
ところが、氏は、1904年に故国フランスを離れ、アメリカ・
カナダにわたっている。
その一番の大きな理由が、1902年に、巡礼団付き添い医師
として,キリスト教聖地、聖地ルルドを訪問した際、
重症の結核性腹膜炎の少女,マリ・バイイが聖水を浴び,
急速にその症状が回復した事実に遭遇したからだ。
そして、この時の事例を、「ルルドの奇跡」が実在したと
して、リヨンの医学会で発表。
これが、きっかけとなり、医師仲間からは非科学者と
そしられ、実質的な医療活動が 故国ではできなく
なったという背景があった。
カルル博士のような業績を残した医師でも ひとたび
霊的な話を業績に付け加えようとしただけで、いわゆる、
バッシングを受けるのは、きっと現代もあまり
変わりないのかもしれない。
シャーロック・ホームズの名前を知らない人はいない。
彼は、アーサー コナン ドイルが生み出した推理小説
の中の有名な主人公だが、この生みの親、コナン も
また、イギリスの王室からサーの敬称を与えられたにも
かかわらず、教会からは疎んじられる。
なぜなら、彼は心霊学に傾倒して、キリスト教では人は
救えないと背反的意見を述べていたからだ。
結局、没後小さな名も知られない教会の墓地に眠った。
科学のみならず、文学の分野でも、なかなか霊的なこと
や魂の話を溶け込ませて発表するのは、一般的には
難儀なようだ。
私は、宗教心理学研究会の末席にメンバーとして参加
させていただいている。
自然治癒力を語るのには、人の神秘性の洞察や深い内面
という形而上的な気づきがかかせない。
それは、日常と異なる宗教的次元の話になることから、
自然治癒力もその意味で”宗教的心理”と呼べるであろう
意識が関連してくる。
しかし、宗教 というと特定の限られた集団の信奉する
教えを指すと考えると、矛盾が出てくる。
私が考える、’宗教’ というのは、あくまで、人間の内面性
への憧憬と探究、そして人間の本質とか、生きる上での
道理などをさしている。
最近、研究会代表を務める先生とメールでこんなやり取り
をさせていただいた。
それは、宗教というのはスピリチュアル という広範囲な
捉え方で呼ぶことができるか?という質問と、 心療内科
設立者、池見博士が提唱している信条(*注2)は
宗教心理学の分野として考えて良いかという確認だった。
二つの質問に対して、肯定的お答えをいただいた。
が、心療内科でいう所のスピリチュアル的提示の方法は、
今後の課題となるだろう、というコメントも頂戴した。
やはり、専門的学会や、学者集団の中で、魂や霊的な
話はタブー視される風潮があるのかもしれない。
カレル博士がルルドのマリヤの奇跡によって、癒された
少女の事実を認め、かつ 医学分野の学会にその信念に
沿った意見の提唱を試みたことは 勇気ある行動で
あった。
カレル博士の心情を顕わした言葉をご紹介したい。
“祈りは、人間が生み出しうる最も強力なエネルギーである。
それは、地球の引力と同じ現実的な力である。
医師としての私は、多数の人々があらゆる他の療法で
失敗した後に、祈りという厳粛な努力によって疾病や
憂鬱から救われた例を目撃している”
カレル博士は、祈りがエネルギーであることを認識
している。
普通、人は漠然と祈る。
祈りながら心の隅で、この祈りが本当にかなうの
だろうかなどという猜疑心が浮かんでいたりする。
が、本当に祈る時は、宣言になる。
宣言というのは、すでに、その事は成し遂げられて、
必ず、現実になるという確信に近い感情で、
現実になったヴィジョンすら心に明瞭に浮かぶほどの
集中力で、祈るから、宣言に近いものとなる。
そのくらいの信念がある祈りならば、祈りの言葉と
ともに、大きな創造エネルギーが その瞬間、放出され、
空間にいきわたり、その祈りの成就にふさわしい、
対象物を引き寄せている~と先覚者は言う。
カルル博士は、そうした祈りの本質を魂で知って
いたのだろう。
だから、博士は 祈りを“現実的な力”と評している。
地球の引力と同様の力だという比喩は、祈りの法則、
つまり、祈った時、必要なものが引力のように、
引き寄せられるという、祈りの本質を知っているから、
そう言えるのだろう。
”自分は治る” と信じれば、本当に治るのだ。
”本当に信じれば” の条件が付くけれど。
自分は成功するのだ~と本当に信じている人は、
どんな困難があっても、困難と思わずに
障害物競争のように、突破していくだろうし、
反対に、恐怖心を持っている人には、その恐怖して
いる対象がいつもその人に付きまとう~だろう。
私自身、少しずつでも カレル博士のように、
勇気をもって、自然治癒力体験、信念と体の
関係、そして、人間の本質が’神性’という資質で
あることを、発信し続けていければと改めて思った。
引用部分:
1. 人間-この未知なるもの:アレキシス・カレル著,
渡部昇一訳・解説,三笠書房(1992)
2.池見博士は人間回復を目指す医学のかなめは、
むしろ、”宗教と医学の出会い”だと、明言されてる。
心理学会でも人間回復の心理学(humanistic phycology)
指針が池見博士の信条と重なる。
それは、人間回復の医学に重要とする考え方と
以下のような 共通項が見られる。
( 1). 人は人間として全体的な総合性をもち、
単なる部分(パーツ)の集合体ではない。
(2). 人間は自分の意思があり、自ら選択する自由がある。
自由があることは責任を負うものでもある。
それは生涯的事実であり、幼児期に個性が形成される
という決定論からははみ出す存在である。
(3). 人間には気づきがある。
知的解釈のみならず、体験的、直観的に把握される。
気づきを考慮しない抽象的な心理学は 観念的に
なりやすく本来の人間の実態に反する。
(4). 人間は身体と感情をもつ。
否定的・肯定的感情に限らず、身体と感情の関係、を
見直しする必要性。
(5). 人間は、一人では充実した生活を送ることは
困難だ。本当の自分を把握するには、他者との関わり合
いぬきには難しい。
“彼に実在を与えるものは他者である” というインドの
詩聖タゴールの言葉の意味は真実である。