自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

三つのケア:どうしたら癒される?

2017年09月13日 | 介護と自然治癒力

 

メンタルケアとスピリチュアルケアの違いと意味

***********************************2017. 9。13

  

クリシュナとアルジュナの会話(ギータ)から、

ヨガ(神と一体になる方法)の分類をして、ブログでご紹介していたが、

翌日の解析データをみると、皆様の反応が薄いのがわかる。

テレビ番組の視聴率ではないので、閲覧数を気にする必要はないのだが、

皆様のニーズにあまり、適していないかも・・と思わざるを得ない。

そこで、話題を少し変えて気分転換のつもりで、数回、木内氏の臨死体験

の話などをご紹介したが、翌日、トップページを開けてくださった数は

アップしている。

 

今日も横道にそれて、皆様と考えてみたい話題を提供させていただけたら

と思う。 今日のテーマは、“人生で人が必要とする、ケアとは何か?” 

ということ。

 

1.physical  care~肉体のケアー

ケア とは、痛みの緩和や 病の治療、精神的なストレスの軽減処置や

人生相談などのような、悩み解決援助など、さまざまなところで

使われる言葉だと思う。

自然治癒力 も、ケアのための一つの手段であるし、他にも、

人はそれぞれ納得した方法で、処置を行っているようだ。

病院などでの、医療技術を使っての、身体的ケアは physical care

(フィジカルケア)と一般に呼んでいる。

 

2. mental care~精神的なケアー

精神的悩みの解決やストレス緩和のためのカウンセリングなどは

mental care (メンタルケア)という。

母が認知症に認定されたとき、どう向き合うべきかと、具体的に

ケア・マネージャーさんから、言葉の選び方などを教えていただいた。

母が理不尽の事を要求しても、否定的言葉はあまり用いないこと、

言っていることは辻褄(つじつま)が合わなくても、肯定的に

対応すること、それが基本だった。

私が癌手術を行うとき、当時の担当医は、必要以上に“大丈夫ですよ”

という言葉を投げかけてくれた。 

それがかえって、当時の私にとって、不自然な気がして、

“本当に大丈夫かしら”と一抹の不安を抱かせた思い出がある。

しかし、タイミングよくつかわれる“大丈夫”という言葉は、

きっと、最大の励ましの言葉の一つなことは確かだ。

 

カウンセラーをしている友人に、メンタルケアの特質を聞いてみた。

”自分と相手の信頼関係を築くこと。

それから、相手が安心していろいろなことを話し出してくれたら、

ひたすら、相槌(あいづち)を打って、聞いてあげることかしら。

“ という。 

不安を抱えている人は、その不安を吐き出したい。

孤独感に打ちひしがれている人はなおさら、寄り添ってくれる人を

無意識に求めている。

話を聞くということは、誰かが自分の気持ちを共有してくれている~

という思いにつながるだけでも、ずいぶん、励ましになるものだろう。

怒りや嫉妬で心のバランスを崩している人は、話の中に、そうした

負の感情を出していくうちに、重かった心の引き出しの整理がつく

ということもあるらしい。

カウンセラーが意見を言って、相手を混乱させたり、相手の引き出しが

余計重くなっては逆効果だ。 

とにかく、人は、自分の話を聞いてもらいたがっているものだ。

アドヴァイスは、相手から意見を求められた時や、相手の話をより一層

奥深く引き出せそうなタイミングに 手短にすることが秘訣のようだ。 

相手の心の引き出しがいっぱいの時は、アドヴァイスしていても

聞く素振りをしているかもしれないが、本当のところ、耳は上の空だ。

聞き上手で向き合えば、相手が自分のぺースで話を進めるうちに、

自然と、納得する答えが浮かんだりするときがあるらしい。

相手の”心の中”に見つかった答えは、納得している答えだから、

次のステップ、行動に移ることは容易だろう。

プラスの方向に転換していく、ステップでもあるだろう。

 

3.spiritual care~霊的ケア

最後に一番難しいケア、それは、spiritual care(スピリチュアル・ケ

ア)といえる。

このケアは、人生最後に差し掛かり、死を恐怖する人たち、

自殺を繰り返し、生きる意義を失っている人たち、

信仰生活に絶望した人たち、などと、かなり深く、心の源まで掘り下げる

必要があるのだろう。

そのため、セラピストには、生命と死、生きる目的と意義、神と人間、

死後の世界、宗教的知識などが、カウンセリングにあたり、

要求されると思う。

死を目前に意識しているxx子さんに、

“死んだら、灰になって、おしまいでしょう?”と聞かれたとき、

“いえ、あなたの意識は 死んでもちゃんと残っていることが、いろいろ

な研究で報告されているし、蝶になって肉体という蛹(さなぎ)から

飛んでいくのに似ているのです。

意識は、今のxx子さんと同じように、死後もあるんですよ。”と 

自信をもって 説明できることはそう簡単ではないと思う。

“あなただって、今、生きていて、死んだ体験をしたわけでは

ないのに、なぜ、わかるの?” と聞かれるたら?。

そうしたら、いくつかの、臨死体験をした人達の話などの知識があれば、

いろいろな例を示してあげられることと思う。

 

生きる意味を失っている人には、‘生きている“こととは?と

基本的な疑問にともに立ち返って考えることも手かもしれない。

大概、そういう人は、自分自身の価値を否定的にみているものだから、

そこを受け入れたうえで 次のような話に展じることはいかがだろうか?

”生かされている“ ということは、何か必ずその意味があること。

あなたが、存在していることだけで、きっと、誰かの役にたっている

ということ。 そういうことは、時間が経ないとなかなか、自覚する

ことは無理かもしれないということ。

誰も、生まれるときは、この人生での課題を知っていること。

この世に落とされた瞬間、魂の記憶は消えるようだが、その課題を

果たすまでは、次のステップに望めないこと。

などなど、いろいろな角度から、話し合うことが可能かもしれない。

 

マザーテレサが、インド、カルカッタの 死に行く人のために

開設した’死の家’の現場で、路上で死にかけている人が収容された

とき、その人に、語り掛けている言葉があった。

それは、

“あなたの存在は大きいのですよ。

私だって、あなたと会えたおかげでこうして、

あなたの生きてきた素晴らしさを感じられ、一緒に神様の愛を共有

できるのですから。

誰にでも無駄の人生なんてなかったのですよ。”と。

こうした対応をするためには、セラピスト自身が、生きる苦悩や

悲しみの中に 生かされているという意識や、その喜びとともに、

自分にも他人にも常に微笑むことのできる’ゆとり’ を心に

持っていることが、大切なのだろう。 

 

自分を許さないで、どうして、他人を赦せるだろう? 

自分を愛さないで、どうして 他人を愛せるのだろう? 

他人を赦せず、愛せない人が、どうして、相手をケアできるのだろう?

言葉を換えれば、スピリチュアルケアのセラピストはまず、

自分自身がすでに救われている’価値ある存在’であるという自覚、

その自覚が深まれば、相手も本来、救われている存在であることが

わかるだろう。

ならば、今、絶望の淵にあっても、必ず、変容することが

可能だと、長い目で相手の本質性を、信頼することができるはずだし、

その信頼は、きっと、本当の意味での’祈り’となり、少しずつでも変容を

可能にさせることだろう。

 

 

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