自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

唯脳論者と不可思議体験

2017年09月18日 | 健全生活のために”死”の常識を反転

唯脳論者の方へのメッセージ

******************************2017.9.18

 グリーティング カード, Gnome, 花, 庭

貴方は唯脳論者ですか?


唯脳論者というのは・・・

すべての自分が認識するものは、脳内の化学的反応である~

 

だから、文化や伝統、社会制度はもちろん、言語、意識、

心など人のあらゆる営みは脳という器官の構造に対応

しているという考え方。”

とウイキペディアには簡単な説明がある。

 

なぜ、このような質問をしたのかというと、これまで木内氏の

臨死体験の記事を二つ続けて投稿させていただいているからだ。


唯脳論者の方の反応は、たぶん、

“だから、何?

すべてここに書かれている事は、体験というより、

木内氏の頭で作り出したことではない?”

というものだろう。


自然治癒力の発動のために、いろいろなアプローチ

からお話させていただいているが、霊 とか、

不思議な現象 という話題に関しては

 

唯脳論の方は、

“脳の仕業(しわざ)”と結論付けすることから、創作物語か 

幻影のようなもので、あり得るわけがない”と否定観で見る。 


前置きはこのくらいにして、本題に入りたい。 

今日 ご紹介するのは、ベストセラー “生きがい論”シリーズ 

生み出した 飯田史彦氏の、体験記である。

 

当時、飯田氏は唯脳論者だった。


死後の世界とか幽霊とかいう話は、毛頭受け付けるはずも

なかった。

それが、なぜ、次のような、‘魂を救う3つの仮説’をたてる

学者になったのか? 

 

簡単にその仮説をご紹介すると、


①   人間はトランスパーソナルな(物質としての自分を

超えた精神的な)存在であり、その意味で、人間の生命

は永遠である。(死後生仮説)

 

②   人間の本質は、肉体に宿っている(につながっている)

意識体  (sprit, soul)であり、修行の場(学校)で

ある物質世界を訪れては、生と死を繰り返しながら、

成長している。(生まれ変わり仮説)

 

③   人生とは、死 病気 人間関係などの様々な試練

や経験を通じて学び、成長するための学校(修行の機会)

であり、自分自身で計画した、問題集である。

 

したがって、人生で直面するすべての事象には,

意味や価値があり、すべての体験は予定通りに順調な

学びの課程なのである。(ライフレッスン仮説)

 

唯脳論者だった飯田氏がどのようなきっかけで、

スピリチュアル的仮説を、世の中に発表するまでの

変化を遂げたのだろう?

 

それは、大学生時代のある体験が根底にあった。

ある日、突然、不可思議な体験に直面した。 

 

イメージとしては、心に’情報の入った箱’が届き、

それを開けると、声やヴィジョンとして、鮮明に

飯田氏の心に 翻訳され、時には映像として、

映ったという。

 

一番最初の体験は、ある男性の姿なき声 “あのう・・”

という心でキャッチした声から始まった。それを人は

幽霊の声と呼ぶのだろう。 

 

話しているうちに、その男の人は自殺霊だという

ことがわかったからである。

 

飯田氏は本の中でこう述べている(*1)

 

“私はがちがちの唯脳論者でしたから、当然ながら、

幽霊の存在など全く信じていませんでした。

すべての不思議な現象は脳の仕業にすぎないと、

思い込んでいたのす。”

 

幻想、幻覚は、脳の支障と考えた飯田氏は近くの医院に行き、

診察してもらう。

しかし、検査後、医者は、”何も悪いことはないから、

心身症ではないか“という。 

 

体験した幻覚・幻聴をいくら説明しても、わかって

もらえそうな医師はおらず、大きな病院で検査を受ける

ことを勧められた。

 

しかし、飯田氏は、大きな病院に行けば、

精神病を宣告される“か

”脳の手術を勧められるか“

の、どちらかと判断し、


”貧乏学生でしたから、これ以上の騒ぎになって、高額の

医療費がかかってしまうのが一番怖かったのです“ 

という理由で、不思議な現象には不可解さを残しながら

そのままでいた。

 

先の話に戻ると、その自殺霊が語り掛けてきた時、飯田氏は

自問自答しながら 分析する。

その声の主は、中性的、個性を感じられながら、気味の

悪い感じはなかった。

 

①   自分の脳が生み出す幻覚ならば、どうして、

自分の脳がそれまで抱いていたはずの、(霊は)暗くて、

気持ちの悪い、怖い物 というイメージをヴィジョン化

した幽霊ではないのか

 

②   その霊の語る言葉や行動は、“独自の意思を持ちながら、

言動している”ということ。 

だから、“実感としては、私(飯田氏)とは全く別の存在だ”

という感覚があった”こと。

 

③   その霊の語り口は、普段 飯田氏が使っているものとは

違った言葉使いをした。

例えば、“自分は”というような一人称は、使ったことのない

飯田氏は,本当に この会話は、自分の脳が作り出している

のかと疑問を持ったという。

 

ついに、飯田氏の信念を変えてしまうような極め付きの

出来事は以下の状況で起こった。 

 

その霊は、自分の残してきた親に、飯田氏を通して

メッセージを伝えてほしいと懇願した。 


そこで、その自殺霊は、’情報の箱’を次々に、飯田氏の心に

送ってきた。

とにかく、必死に、飯田氏を親に会わせようと努力したのだ。

霊は、実家の地図のヴィジョンを飯田氏の心に浮かばせた。

こうして、飯田氏を誘導していった。

 

ついに、飯田氏も、その気になった。

霊の言葉を半信半疑ながら、信じ始めたのだ。


そこで、霊が導くまま、飯田氏の心のヴィジョンに出てきた

通りの家の前に 飯田氏がたどり着いた。

飯田氏は当時を振り返って言う:


“私は恐れていることが、現実になって、身震いして

しまいました。 

もう驚くというレベルの問題ではなく、ただただ‘畏怖’

の念を感じたこと覚えています。

 

なぜなら、それは、まさに私がそれまで抱いていた

‘唯脳論’がガラガラと崩れて、まったく異なる

宇宙観・人間観・人生観が表れた瞬間だったからです。

 

私は恐れていました。 

彼が示す地図の通りに進んで、彼が見せるビジョン

通りの家が表れてしまうことを・・

 

なぜなら、それらは、私が全く知らない情報であり、

もしも、彼が私の脳の別人格だとすれば、‘(自分の脳の)彼’ 

が知るはずの無い情報だったからです。”

 

とりあえず、今日のお話はここまで・・

次回に続きます。

 

 

 *1) ”生きがいの創造”Ⅱ PHP研究所 2005年

 ファンタジー, 風景, ホイール, 空, 自然, 神秘的な, おとぎ話

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