わけのわからない、輩(やから)たちは退散しろ! 2017.9.23
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飯田史彦氏の“生きがい論”シリーズの中でも、
私は特に、このエピソードに興味を持つ。
今までにも何回か、ブログの引き合いでご紹介している
が、それは、先回書いた記事に出てくる自殺霊との
対話である。
先回の内容では、結局、飯田氏が恐れていたように、
心に語り掛けてくる声、その声が与えてくれる情報に
従って 誘導されるように、自殺霊の実家にたどり
着いたところまでご紹介した。
今日は、その間の 自殺霊と向き合っているとき
の飯田氏の葛藤を少しお話したい。
飯田氏は当時唯脳論者、神も霊の存在も信じておらず、
こうした幻覚幻聴が始まったのは、或る日、高熱を
出して、一晩寝込んだ時以来のことなので
その後遺症ぐらいに思っていた。
さて、飯田氏に話しかけてきた自殺霊は、恋愛の成就
が妨げられたことが原因で、自殺した男性の霊だった。
両親は自殺した息子の本当の原因を隠し、事故であると
周りに語っていた。
そして、自殺の原因が恋愛にあることを知らない両親
は、息子の働いていた会社の労働条件の不当扱いに
よるものと思い込み、会社を訴えようとしていた。
息子の自殺霊は、あの世とこの世の中間を漂いながら、
両親の悲しみと誤解を取り除かない限り、自分は
浮かばれないと感じていた。
なぜなら、両親が会社を訴えることで さらなる、
複雑なカルマを 両親に課すことになるからだ。
自分が魂意識として両親の傍らにいることを飯田氏を
通じて知らせたかったのだ。
その目的で、話しかけてきたこの自殺者の霊と
対話をしながら、半信半疑のまま、飯田氏は次のように
考えて 矢継ぎ早に霊が心痛める質問をしたという:
“その時の私には,自分の脳の中から‘、彼’に代表される,
‘おかしなものたち’をまとめて追い出したいという
願望しかありませんでした。”
そこで、飯田氏は 自殺霊にこう言い放つ、
“そもそも、あなたが自殺して、ご両親を裏切ったん
でしょう?”
“そもそも、ご両親をそんな目に合わせたのは(須田注:
息子をなくした悲しみ大きく、さらに次なるカルマを
作ってしまう両親の姿に、自殺霊は 責任を感じて
‘救い出したい’と飯田氏に話した後の会話)
あなた自身じゃないですか!”
“なんか言ったらどうですか?”
とたたみかけるように、自殺霊に言うと、
“その時、私の心がぶるぶると激しく振動するのが
わかりました。
‘彼’の魂が持つ、いいようのないほど、強くて深い罪悪感と
後悔の念が直接に伝わってきたのです。”
こうして、飯田氏は自殺霊の悲しみの深さを感じると
ともに、頭がガンガンと痛んできた。
そして、決心せざるを得なかった。
“この頭の痛みから逃れるためには、‘彼’を救うしかない。
この痛みは、‘彼’の痛みなんだから”
話は前後するが、なぜ、その自殺霊は、飯田氏に、
的を絞ったのか?
自殺霊が言うには、 寂しくて、光を求めてさまよって
いたら、一つの灯りのように見えたものがあったので、
’あのう’ と話しかけたという。
それが、光に見えたのは、飯田氏だったという。
飯田氏は聞く:
“なぜ、その光に話しかけたら、僕だったんでしょうね?”
霊:“自分にはわかりませんが、・・きっと、それが
あなたのお役目なんじゃないでしょうか?”
“使命です。・・暗闇でさまよう魂たちを、光にいざなう
こと・・
それが、あなたの使命であるに違いありません・
少なくても、自分にとっての光は、あなただったんです
から”
この一件のあと、飯田氏は、これまでの唯脳論を捨て、
その使命を自覚したかのようだ。
その後、見えない体を持つ 霊体の悲痛の願いを
聞き届け、日本中を飛び回り、多くの霊とその家族を
助けることになる。
しかし、当時は、まだ懐疑的だった飯田氏は、自殺霊に
次のように言う。
“それにしても、僕はまだ、20歳の大学生ですよ
・・略・・
魂みたいなものの存在なんて、まったく信じて
いないのです!”
さらに、
“魂なんて存在するはずがない。そんなこと非科学的だ。
バカバカしい。”
“あなたは、幻にすぎない。
あなたは、僕の脳が創作した、幻影なのだ。
魂など、存在するはずはない。冗談もいい加減に
してくれ!”
と 頭に血が昇ったようになって、”切れた”ように叫んだ。
一方、霊は飯田氏に 自分の置かれている状況を
どのように話したのか?
まとめてみると:
① 真っ暗闇の中で、自分が犯してしまった罪をひたすらに
反省している。
② そこは、非常に寂しいところだが、‘愛に満ちている’
③ 愛’という言葉が不適切なら、‘感謝の念’と‘確信’がある。
絶望のなどん底にいても、‘確かなる希望’をあたえてくれる
‘何か’が存在し それを‘愛’と感じる
④ 真っ暗闇の中に 贖罪のために、身を落として
(両親を悲しませるという最大の罪の一つを犯したこと
を言う)
猛反省して、‘自分は誰かに愛されている’という確信が
できた
⑤ 誰から?愛されているかといえば、‘すべて’に愛され
ている、
自分自身を含んだあらゆる存在が自分を愛してくれている
⑥ このことは、そちら(肉体の世界)で生きている間は
理解できなかった。
体を離れてから、ようやく、‘すべて’を理解できた・・・、
まるで、ただ、忘れてしまっていたことを思い出した’ように。(以上)
私(たち)は”霊魂とか魂は‘ある’、意識は‘生きとおしである’、
’‘すでに アートマでは、すべて悟っているが、この世で忘れ
ているだけ’、
’存在するものは、すべて有機的につながっていて、しかも、
愛で繋がっている’とか・・そうしたことを、頭では理解
しているような気になっている。
しかし、こうして、飯田氏のやり取りの中に表現されると、
罪深いとされた、自殺霊でさえ、”自分はすべてから愛されて
いる”という実感を抱くほど 、一元の世界(時間・空間を
超越して、物質の無い世界)では愛に満たされているの
かもしれない。
’その愛を分け隔てなく与える存在’を人は‘神’と呼ぶの
かもしれない。
だとすれば、‘神’とは文字であらわした観念や象形ではない。
実際に いつも微笑み、すべてを包み込むような優しさで
誰をも抱きとる愛に満ちたエネルギーを発している、
振動として表現される、空気のようなものなのかもしれない。
空気と違う所は、その‘優しさ’には 意思と想念があると
いうこと。
だから、気ままに、ある時は現れ、ある時は消えるような
自然現象的なものではない。
自殺霊が語る言葉、’自分が肉体を持っていて生きていた時は
忘れていた感覚’というのは、だから、あの世もこの世も
同様に、そうした愛で包まれた世界であることを、今、
思い出すことによって、感じ取ることが可能だという
ことかもしれない。
実相の世界、実存の世界と、夢のような儚い現実の
この世の世界と、重なり合っているのだろう。
この自殺霊が、肉体を失って思い出した、本来の愛
に包まれている自分を、この瞬間の今に、わたし達も
自覚することはできるし、それができれば、
至福を味わうことができるだろう。
結局、今の今、自分の意識をどちらの方向に向けるか?
それが 至福に通じる、幸せの境地を味わえるか否かの、
カギのような気もする。