一度、頭を空っぽにするとき~ 2018年1月19日
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ある友人から私は、真理に対して、”原理主義者”だと
いわれます。
真理に対して、究極を求め続けているという意味らしい
のですが、何が、究極の真理かは、その人によって、
皆、違うということ。
だから、誰の意見でもなく、自分の体験に基づいて、
感じて、ストンと胸に落ちたことを大事にして
いくことが、自分にとっての、真理への一歩では
ないかと思うのです。
それを、今回のイラン旅で、深く感じたのでした。
イランの旅は短い滞在だったが、これまで殆ど知らなかった
ペルシャの文化に接して、印象が大きく変わった。
戦争などで歴史上、一度も占領下になったことのない、
イランの国民のおおらかで親しみある心を体験してきた。
イランに行く前、正直、イラクとイランのイメ―ジが
はっきりしないほど、イランに関する知識は貧弱だった。
”イランに行く”と知人にいうと、’大丈夫?’と皆、
不安そうに聞いた。
自分がそうであったように、一般的日本人のイランの
イメージは 国際紛争にかかわった、テロリストの存在する
国、国際社会から半ば締め出されている 危険な国という
ような 暗いものではないだろうか~と思う。
今回のイランの旅が終えた今 5年前に書いたブログ記事を
読み返した。それは、与えられた情報を整理してみよう・・・
のタイトルで 以下の記事がそれである。
(イデオロギー・イメージ・モスリム 2012-09-27 13:34:17)
少々長くなるが、皆さまにも共有していただけたら
と思うので、抜粋して、引用させていただく。
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イデオロギー・イメージ・モスリム 2012-09-27 13:34:17) より
”私事で恐縮であるが、自分自身、宗教への偏見をなくすために、
さまざまな宗教の門をくぐった。
文字通り、くぐっただけの宗教もあれば、経堂にはいって、
経文(マントラ。祈りの言葉などのたとえ)を唱えた宗教も
あった。 中でもイスラム教は10年以上、お世話になった。
心の支えにもなった。
ラマダンの月には断食もした。モスリムしか入れない、
サウジアラビアのメッカへ巡礼へ行った。
イスラエルのエルサレムのモスク(ゴールデン・テンプル)
へ一人で行った。当時は今より、緊張は少ないとはいえ、
そのモスク周辺には、イスラエル兵による警備が厳重で、
私は一人の兵士に呼び止められ、パスポートの検閲が行われた。
なぜ、ゴールデンテンプルへ?と聞かれ、モスリマとして、
と答えても信じてもらえず、モスクのイマームが呼ばれ、彼の
判定にまかされた。
私は、そのイマームの前で、コーランの一節を唱えた。
その一説は、信者として必ず、祈りに使われるものだった。
そこで初めて、モスリマとして、兵士の前で承認され、モスク
への入室を許された。
Jame Mosque at Yazd,Iran
地下にある、キリスト所縁(ゆかり)の岩屋の部屋、そこで、
キリストが祈ったと記録されている場所にも訪れた。
ある旅では、バチカン王国へ行き、ローマ法王の教会で
祈りを捧げ 隣で祈る信者の女性に抱擁され、歓迎を受けた。
15年間のインド滞在時代、ヒンズー教を学ぶ機会に恵まれた。
ヴェーダ哲学を本源としているヒンズー教は、ある意味、
ガンジス川のように、鷹揚でもあった。
その、ガンジス川で沐浴をして、シヴァ神に祈る人たちの心
と同化した。
クンバメラという、12年に一度の、ヒンズー教徒のお祭りにも
参加した。この祭りには、ヒマラヤから聖者たちも俗界に
降りてきて、聖者も求道者も、一体になって、お祭りを行う。
父逝去して、母のそばで暮らすために、日本に戻ってきて、
これまで知識の少なかった、天成神道の勉強を始めている。
それは、古事記以前に書かれたとされる、秀真伝えの研究を
姑にあたる須田麻沙子に師事して親しむことができた。
姑とともに、古神道にゆかりある場所を訪れたり、伊勢神宮
で祝詞をあげ、念願の、熊野神社詣でも果たせた。
こうして私の真理探究欲は様々な聖地への巡礼となり、聖書、
コーラン、ダイヤモンド・スートラ(仏教・金剛経典)
ヴェーダ哲学 などを 紐解くうちに 一つの結論に達した。
それは、すべての、宗教の真理と源は一つであるということ、
体験的認識の大切さであった。
話しを元にもどす。
9・11事件(アメリカ国際ビル襲撃と報道される一連の事件)
以来、モスリムは、危険思想というレッテルが一層強く貼られた
ようだ。それ以来、モスリムゲリラを撤去するために、飛行場
での取り調べが強化された。
数年前、サンフランシスコ飛行場で、執拗に尋問を受けて
不快だったと、モスリム名を持つUCLAの先生が述懐された。
モスリムがそんなに危険なのかどうか?
ゲリラはある特定の宗教を持っているのか?
その話はまた、後日に譲りたい。
ここでは、モスリムの敬虔な家族を想いだすばかりだ。
私は、イエメンの砂漠でベドウィンの家族と1日生活を
ともにした。
あの時感じた、彼らの友好的な穏やかな人柄と質素で平和な
暮らしぶりを、モスリムに偏見を持つ人たちにわかって
もらうのは難しいだろうと思った。
砂漠の砂の上に頭を下げて祈る姿は、ミレーの晩鐘の絵の中
の敬虔な農婦の祈りとよく似ていた。
体験してみることと、外からイメージで判断する格差がある
という一例である。
Damavand Mountain
(イランの代表的な山、富士山にどことなく似ていた。)
根拠のないイメージは怖い。
情報を流す側の”やらせ”を含めて、イメージを作るプロが、
確かに 世間に存在しているからだ。
人工的に造られたイメージは、実際そこへ行ったり、
現地で生活すれば 覆(くつがえ)される程度のものだ。
それでも、イメージが膨らみすぎると民衆のパワーになる
から恐ろしい。イメージは想念だ。想念というのは伝染する。
その国の常識がその国のみ通用しないのも、
国民の想念が常識化するまで、膨らんでいるからだ。
そのために、その民衆のパワーを利用する政治家たちが
革命を起こしたり、戦争を煽ったりする。
私たちの周りには、情報が多いだけに、情報の選択も必要だ。
やみくもに情報を受け取っていると、知らず知らず、
ブレインコントロールされていることに、気が付かない。
相手を知り、その国の生活を味わえば、どこでも、だれでも、
基本的人権を保障されて、生き生きとした生活を送りたいと
願っていることがわかる。
理解と共感が生まれ、手を差し伸べたいという愛も生まれる。
政治がらみの情報にはどこか、流した側の意図が見える。
その意図を見破らないと、民衆パワーに飲み込まれる自分を
見つける。
そうならない前に、気が付いた人から、声を上げることも、
だから、必要だ。そうして、イメージを作るための意図ある
情報は、生活している人たちの心情は別のところにあると
いっても過言でない。
私たち一人一人が賢明に、情報の真実を確認しながら、
対象物や人を知ることの大切さを噛みしめたい。
イラン、古物商で品物を鑑賞
知れば知るほど、理解が深まる。
相違点、類似点含めて、互いへの尊重が生まれてくる。
自分と相手の共通点が見えてくると、共感が生まれる。 ”
今日のタイトルに、少々大げさな言葉だが、”顛倒妄想”と
副題を添えたい。
転倒妄想 というのは、イランの旅を終えてから、自分が
持っていたこの国に対するイメ―ジがまさに、マスコミや
他者や本などの、自分以外の世界から与えらえた無意識の
それであったことを理解し 反対のイメージに偏っていた
自分の考え方に反省した言葉だ。
たぶん、自分の気が付いていないだけで、数々の’顛倒妄想’
的な想い込みを私はしているに違いないし、してきたかも
しれない。
とはいえ、この国の奥底には、きっと、それなりに不満不平が
渦巻いているのだろう。
現実に今年(平成30年)新年の1月3日の読売新聞には
テヘランからの通信で、
”イランデモ 死者15人に” という見出しで、私が訪れた
イスファン地域近郊では、治安要員1人がデモ参加者に猟銃で
撃たれて死亡、1日は、テヘランなどの都市 20カ所でデモが
あったと報告されている。
しかし、このデモ記事から2週間ほど前 私が訪れた時は 会う
人々は温和で、街を歩いていて何人もの人や小学生から
”Welcome to Iran"(イランにようこそ!)と声をかけられるほど、
友好的な国民性を感じていたのだから、不思議な気がする。
旅で、出会った人たちの平和な情緒や雰囲気が、イラン人の芯に
ある気質だと信じたい。
平和を愛する国民であることを、多くの人に、もっと、知って
ほしいと思う。
数百年前に造られた 電気の無い時代に水圧を利用して
同じ高さの水が上がる噴水のある水路のある公園で。
今現在「1月14日午後6時】、NHKのニュースでイランの
デモは解除されたことを流していた。
インターネットでの規制をすべて解除する ということを
政府が同意したからだ。
実際、旅で親しく話す機会のあった、企業人は、インターネット
の規制について、’見るなと言われれば、見たくなるのが人間の
本性、もっと、自由をあたえるべきだ’とつぶやいていたことを
思い出した。
これは好ましいニュースかもしれない。