自然治癒力への信頼 2019・10.03
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私はインド在住の最後の3年間は、社会人としてインド人の
スタッフ達とともに、ニューデリーのヴァサント ビハール地区
にある日本に本社をおくIT企業の会社で仕事をしていた。
昼となれば、会社のビルの前の芝地にテントを張った
カレーの露店(ダーバ)でその日の野菜カレ-と
ナンかチャパティを買ってきてランチを社内でとった。
その塩辛さは、インド人家庭のホームメードのカレーより
塩辛かったし、赤トウガラシも多めに入っていたから、
汗をかきかき食べたものだった。
でも、仕事をしていた身には発汗量が多いせいか、
塩辛さもちょうどよく感じた。
そんな刺激的な昼食と対照的な食事を思い出す。
それはガンジス川流域のアシュラム(修行所)でいただいた
ものだった。
そこで、1週間の瞑想の行をしていたのでほぼ終日、一部屋に
こもって窓にはカーテンをして外界と隔離された生活だったが、
一日2回、差し入れのオートミールもどきの食事が支給された。
塩気がなく、さすが7日めには塩が恋しくなり、カバンの中に、
エアーインディア機内の食事時に添えられていた、塩の小袋が
入っていたのを思い出し、ガサゴソ探して、それを見つけた時の
安堵感は忘れられない。
早速、小袋の封をあけて、口に塩粒をそのまま放り込んだ。
面白いことに、塩辛いどころか、どことなく、甘みすら感じ、
体内に吸収されていくのが感じられた。
外気は40度近く、ただ、室内で、じっと瞑想にふけっている体
にとって、塩気は必要としないとされていたが、やはり、塩は
身体が、多少は欲していた。
汗をかけば塩辛い食べ物でも、ちょうどよく感じ、動かない
ような生活をしていれば、京都のお公家さんの薄味の料理の
ようなものが口にあう~~ということがよくわかった。
関西人が、関東の汁の色は、色濃くて、塩辛く見え、あまり、
食欲がそそられないというのも、わかるような気がする。
関西は、もともと公家料理が伝統料理の主流として残って
いるからだろう。
が、先の、インドの修行場で、徹底的に減塩してしまうと、
7日めには、少量の塩さえ、口に含んでみると、甘みすら
感じた体験から、塩が体にとって必要だということは
理解した。
このように、体の需要に応じて、味は、いかようにも、
受け取られるということだ。
さらにそのことをひっくり返せば、美味しさを決める
データや平均値や標準値というものがあったとしても、
その時の体の状態で変わってくるし、あまり、そうした
一般的数値にだけ、頼ることはできないかもしれない。
極端な例がある。
インドでは、マラリアは比較的日本よりかかりやすい病
であったが、梅毒の人は、マラリアにかかれば、梅毒症状が
治るということが知られていた。
マラリアにかかるのは喜ばしいことではないが、難儀な梅毒
が、それで治るのはそれなりの意味がある。
私は、生まれつきのアトピー性皮膚疾患とアレルギーを
持っていたが、妊娠して出産したら、その症状は少し緩和
したし、妹も同様の体質だったが、二人の子供の出産を
契機にほとんど、アトピー性皮膚炎に煩わされることが
なくなった。
アトピーを治すために処方されていたステロイド系の
塗り薬やかゆみ止めなどは一切、17歳のときから捨てて
それ以後は摂取しなかったから、ある意味、安全な体で
子供を生めて、さらに、アトピーが消えたというのも
何か、体の中の因果関係があるのかもしれない。
このブログでも時々触れている、上手な風邪の経過の仕方
ということでもあてはまる。
つまり、熱や痛み、下痢などの症状も慌ててそれを抑える
ということはもしかしたら不必要なことなのかもしれない。
なぜなら、体が、その症状が必要だからこそ、その症状に
よって、もっと体質を元気に正常に変えようとプログラミング
しているからこそ、出ている症状の場合が意外と多いからだ。
同様、体が正常に機能している限り、その体が表す症状は、
自らが自らの力で元の正常に戻すための生命力の発動結果
といえるだろう。
ヒトの体ほど不思議なものはない。
たとえ、検査結果のデータが極めて問題なくても、問題のある
体調を抱えている人は多いし、逆にデータが悪くても、
とても元気に活動している人もいるのだから、面白い。