証人を目の前にして90マイルを5分で移動する 2020年12月13日
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前書き
2013年6月から10回にわたって、アメリカ調査団がヒマラヤ付近で
遭遇した聖者との体験記録をご紹介しました。
この世離れしている架空の話と、思う方もいらっしゃるかも
しれませんが、16年インドに住んでいた私にとっては、ただの手品
や物珍しさではない、正真正銘の真理が聖者との体験記に込められて
いるような気がいたします。
これから再度 数回にわたり、推敲したものを、再び、掲載させて
いただきます。
これまで、想念はエネルギーだという話題を何度か取り上げています。
皆様の想いがこの調査団の人たちと重なりヒマラヤの浄化された
冷たい空気に包まれ さらに清まりますように・・・・・
著者はしがきから
わたしは、1894年に極東を訪れた 11人の調査団の一員であった。
3年半にわたる極東滞在中、ヒマラヤの大師たちに接触した。
大師は私たちが 偉大なる法則の働きを実証されるのを実際に見るために、
大師がたの生活の中に親しく入り込むことを許してくれた。
私のノートを今ここに、“極東における、大師たちの生活と教え”と題して、
発表するが、そこに盛られた内容をそのまま受け入れるか、否認するかは、
読者の自由である。
ヒマラヤの小さな村 アスマーと呼ばれるところへ調査隊が向かったのは
1922年12月クリスマス以後 のことだった。
エミール師は 彼の配下の助手を2名、調査隊に付き添わせた。
調査隊全体の世話役のためだ。この二人の名前は ジャスト、ネプロウ
といった。
ジャストは 調査隊執行委員各、ネプロウはその助手で、命令の遂行を
見届け監督役でもあった。
出発当日の朝、エミール師は調査団へ 見送りの挨拶を述べた。
“みなさんはこれから、ジャストとネプロウの二人を同行して
調査旅行に出かけるわけですが、約94マイル先の次のおもだった
宿泊地まで、たぶん5日ほどはかかるでしょう。
私は暫く、ここに踏みとどまることにします。
90マイルの道のりを行くのに、私はそれほどの時間がかからない
からです。
そして みなさんの目的地で、到着をおまちすることにしましょう。
そこで、私からのお願いしたいことは、誰か一人、隊員の方にここに
残ってもらい、これからの出来事をよく観察し、証明する役を
引き受けていただきたいことです。
そうすれば、お互いに時間の節約にもなるし、ここに残ってもらう
方も、これから10日間までには、調査隊に加われるわけです。
私たちとしては、その方によく見ていただき、見たことを、よく
報告してくださるように、お願いするだけです。“(34)
調査隊は 大師の、その旨を受けて、証明人と大師たちを残して
先に出発した。
ジャスト達は、非常に良く手際よく働いた。エミール大師にこう
言わせたほどだ。
“この二人のやり方以上にテキパキとした胸もすくような仕事のさばき方
は想像もできないことを、特に、ここで申し上げておきたい。
どんなに細かいことにも 到れりつくせりの行き届きようで、いわば、
音楽のリズムと精確さとに ぴたっと合った感じである。“(34)
この二人は、大師の弟子であり、後々特別な能力を示すのだが、その時
はまだ、調査団はそれに気が付いていない。
こうして予定どおり、5日目の4時ごろ、調査隊は予定の村に到着した。
ここで、エミール師が、出発時に約束したように、彼らを迎え出て
いるはずであった。
それに関して調査隊の報告が以下に続く。
“読者に私たちの驚きが想像できるだろうか?
私たちは間違いもなく、ただ一本しかない道を、途中で交替して
日に夜をついで、急行する飛脚は別として、この国では一番早い
交通機関でやってきた。
ところが、年齢も 相当いっているはずの、また、どう考えても、
90マイルの道のりを 私たち以上の短い時日では 来られないはずの
人が、ちゃんと先着しているではないか!“(36)
つまり、大師は約束通り調査団を迎えて調査団の者たちを驚かせた。
調査隊の皆はその理由を知りたく、いっせいに大師に質問を浴びせかける。
師の答えは こうだった。
“あなた方が 御発ちになるとき、私は、ここで、みなさんをお迎え
しましょうと言いましたね。
その通り、私は、今 ここにいるわけです。
人間は本来 実相においては無限であり、時間・空間・制限を
知らぬものです。
ひとたび、人間がその実相を知れば、90マイルの道のりを行くのに、
5日も トボトボと歩かなければならないということはないのです。
実相においては、どんな距離でも一瞬にして、到達できるものです。
距離の長さなんか、問題ではありません。
私は ほんの一瞬の間の前に、あなた方が5日前に出発した村にいました。
みなさんがご覧になっている私の肉体は、まだそこで、休息しています。
あの村に残っている皆さんの同僚は、4時数分前までに、私が
~もう、今頃は着いているはずだから、出迎えの挨拶に行きましょう~と
言ったことを 後日、証言するでしょう。
このことは、ただ、私たちがどんな約束の場所、どんな定められた
時刻にでも、肉体を残したままであなた方に挨拶に来られることを、
お目にかけるためにしたわけです。
皆さんにお供してきた あの二人にも、同じことがやればやれたのです。
そういうわけで、私たちが、みなさんと根源を同じくする 普通の人間で
しかないこと、また、神秘めかしいことは何もなく、父なる神、全能
にして 偉大なる 壱なる存在が、総ての人間に与え給うた力を、
ただ皆さんより、多く発現させただけであることが、一層よく
お分かりになったでしょう。
私の肉体は、今晩まではあそこに置きますが、そのあとで、こちらに
引き寄せます。
それで、みなさんの同僚の方も、こちらに向けて出発し、いずれ
そのうちに到着することになるでしょう。
さて、一日ここで、休養を取ってから、ここから 一日分の旅程先の
小さい村に行き、そこで一晩泊まってから、また、こちらに戻って、
別の同僚に 会って、報告を聞くことにしましょう。
今晩 宿舎で集会をします。
ではしばらくの間 ごきげんよう“(37)
*後記******************************
このお話しのポイントは瞬間移動だ。
よく臨死体験で、亡くなる間際、死の瞬間に、離れている距離に
関係なく、愛する人の元に魂が会いに行くという、お話しに本質的には
同じ。
私たちは死んだあと、霊体になり、思ったところに、体がすぐ移行
することができるはずだ。
つまり肉体という重い地球服を脱ぎ捨てた暁には、私たちも大師
と同じことができる::空間、時間を越えた次元に行くわけだから。
引用箇所)
ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 全5巻
S54年6月5日第五版
ベアード・T・スポールディング著
仲里誠吉訳 霞が関書房