自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

物質世界:ひふみ神示~、諸悪の解釈

2022年03月23日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

物質的世界と霊界との善悪のつけ方          2022年3月24日  

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先日、一二三神示の第七帖を読んでいて、

侵略戦争とか、独裁者、犠牲者、被犠牲者、

ミサイル攻撃、生物兵器使用云々と、

このところ、ソ連とウクライナの

ニュースを見ながら、誰もが心を痛める中、

数年前に読んだ時と、違う実感がありました。

物質界、量子界、実相界(空の世界)が

あることを、前回の書いていましたが、

その続きとしてお読みください。

 

  ( 第7帖の原文~かなり、判読難解)

 

①”地上には地上の順序があり、法則がある。

霊界には、霊界の順序があり、法則がある。”

~スダ注:地上の法則と、天界での法則は、

異なる。

 

②霊界が、原因の世界であるからといって、

その秩序、法則をそのまま地上には移しえず、

結果しえないのである。

 

~スダ注:だから、霊界(具体的には、

時間空間を超えた、超物質界に、その原因

になるエネルギーの元があったとしても、

天界での法則は、地上では効果的に働かない。

 

③また、地上の約束を、そのまま霊界では

行い得ない。

しかし、これらの全ては、大神の歓喜の中

に存在するがゆえに、歓喜によって、

秩序され、法則され、統一されて

いるのである。

 

~スダ注:地上での約束は、霊界では

通用しないのだが、地上も天上の

世界も、共通していることは、一つ、

宇宙を創造・統一しているエネルギー体

は、喜びとか幸せとの塊のような

もので、結局のところ、それによって、

それぞれ、両次元の世界が保たれて

いるのである。

 

③その秩序、法則、統一は、一応完成

しているのであるが、その完成から

次の完成へと弥栄する。

ゆえにこそ、弥栄の法則をもって、

全体が呼吸し、脈拍し歓喜するのである。

 

~スダ注:その歓喜のエネルギー体は、

すべてを覆い、調和させ、統一と秩序

を保っているが、(現状のような

不完全の姿をもって)さらに、次へ

の完全なる完全へと、向いている。

これが弥栄(いやさか)の法則であり、

そのもとで、全てが呼吸して、

万物は生かされ、その法則が脈打つ

からこそ、喜びが生まれる。

 

ここで、付け加えれば、”悪人が栄えて、

善人が苦しむ”、という世の中の不条理も、

短い時間的スパンと狭い視野では、

その”弥栄(いやさか)”など、想像すら

できない。

しかし、長い目で見ていけば、人間の

知恵を超えた”知性でみれば、それら

の悲劇や不幸は、一時的で、もっと、

より良い世界が、待っていると

次のように言っている。

 

④これが、生命の本体であって、

限られたる智によってこの動きを

観るときは、悪を赦し、善の生長

弥栄を殺すがごとくに感ずる場合

もある。

しかし、これこそ、善を生かして、

さらに活力を与え悪を浄化して、

必要の悪 とし、必然悪 として

生かすのである。

 

~スダ注:これが(歓喜の中で

呼吸し、弥栄の中で伸びていくこと)

万物にとっての本体だが、人間の

ような限られた智慧で、その

動きを観ていると、悪いものが

許されて、良いものを殺している

ように感じるときがある。

しかし、その反対で、このような

ことが起きても必要悪であり、

さらなる活力が善の世界に

動いて、こうした悪は浄化されて、

より良き世界が生まれていく。

 

⑤生きたる真理の大道であり、

神の御旨なることを知り得るのである。

本来悪はなく、暗はなく、地獄なき

ことを徹底的に知らなければならない。

 

~スダ注:本来の変わらない真理の道と、

神の意思を、そういう時にこそ、知りえる。

つまり、本来は、悪と呼ぶものはなく、

暗さもなく、地獄のような実態は、

存在しないということを心底、

ここで観じて、知る必要が出てくる

 

⑤これは生前、生後、死後の区別なく、

すべてに通じる歓喜である。

一の天界に住む、天人が、二の天界に

上昇したとき、一の天界はきわめて低い

囚われの水の世界であったことを体得する。

須田注:それらが実態なく存在せず、

歓喜のみが存在している。

この歓喜は、一過性のものではなく、

生まれる前から、生まれた後、そして

死んだあとも、不滅に、通じている

歓喜である。

始めの天界にいた霊魂は、第二の

天界に上ったとき、初めの天界が

とらわれのある世界だったとわかる。

 

⑥さらに、一段上昇、昇華して、三の

段階に達したときも同様である。

地上人的感覚によれば、二の天界

に進んだとき、一の天界は悪に感じられ、

三の天界に進んだとき、一の天界は

最悪に、二の天界は悪に感じられる

場合が多い。

スダ注:こうして一段ずつ、登って

いくと、同様に以前の段階にいたときには、

悪があるように思えるだろう。

これを地上の物質世界に住む人間の

感覚でいえば、上の天界に進んだとき、

その前の天界は 悪が強いように

感じられるだろう。 

さらに上にに進めば、はじめの天界は

最悪な世界だったと感じるだろうし、

前にいたところは、悪い世界だったと

感じられることが多い。

 

⑦悪的感覚と悪的実態は自ら別で

あるが、この実情を感覚仕分け得て、

体得する霊人は極めて少ないがごとく、

地上人に至りては、きわめて稀である

ことを知らなくてはならない

 

スダ注:このように、悪だと感じる

感覚と、本当に悪なのか識別できる

ことは、別物である。

霊界の魂でさえ、正しい判断をして、

この二つを分けることは難しいのだから、

地上に生きている人間にとっては、

この二つの仕分け能力がある人は、

きわめて稀といえるだろう。

 

つまり、戦争や社会的悪といわれる

事柄に、それを起こす人たちや、

行動を悪いと感じることと、本当に

悪いのかどうか?と、識別をもって

分別することは、異なるし、

単純ではないということなのだろう。

一つの歴史の一コマと、その意義を

省み、理解するのには多大な月日が、

人類には要するのかもしれない。

 

 

 

一二三神示を自動書記した、

岡本天明氏について

 

1897年(明治30年)12月4日 - 1963年(昭和38年)4月7日

画家神道家、また、神典研究家である。

岡山県倉敷市玉島出身。

本名は信之、天明は「雅号」である。

信之は1944年(昭和19年)に

千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)の

麻賀多神社末社である天之日津久神社を参拝する。

その直後、同神社の社務所で『日月神示

(別名:『ひふみ神示』、『一二三神示』)を自動書記する。

この自動書記現象は約17年間にわたって続き

後に全39巻(本巻38巻、補巻1巻)にまとめられた。

なお書かれた文体は漢数字とカナ文字と記号などからなり、

書記した 天明自身、当初はまったく読めなかったといわれる。

(以上 ウィキぺディアより抜粋)

 

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