本当の自由になりたい(5)
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35年前は、携帯電話は一般的ではなく、固定電話や郵便が、
伝達手段でした。
パソコンも、普及しておらず、まだ、アナログの世界でした。
グーグルなどでの”検索”はなく、辞書で調べ、友人の電話番号や
誕生日などは、記憶してました。
ところが、今は、AIに自分の意見をまとめてもらい、自分で論文
を書く時代から、上手に書いてもらうスキルが必要な時代に
なりました。
そして、SNSの通信手段で、情報が一瞬で伝わり、多様性があっても、
同志がまとまって、意見を発表していけば、読んだ多くの賛成者と
つながり、一つの大衆意識を、形成できるようになりました。
こうした組織の発表する、主張や意識波動には、ほとんど負の波動、
(”社会的不安の煽り” や、”個人的心配”)が含まれています。
それらの波動は、電波のように、蔓延していきますから、直接、関係の
ない人たちも、心のアンテナでキャッチすれば、なんとなく、不安な
気持ちにさせられることもあるでしょう。
パソコンやスマホに頼る生活で、だんだん、本来の、原始的能力や、
’純粋な真性’ や、”人間らしい’愛の心”を、思い出すことがなくなって
いるようです。
それが、’自由になることを、妨げている’としたら、どんな関係があるの
でしょう?
たとえば、ここに、二つの舟(ボート)があります。
二つのボートに、同時に足をかけたら、重心を失い、両方のボートは
ひっくりかえります。
一つは、”愛”のボート、もう一つは、”不安”のボートと呼ばれて
います。
愛のボート は、乗ると、平和と愛と、安定を感じるボートです。
不安のボート は、心配や負の感情に揺さぶられるボートです。
これは、私たちの生活を’湖水’に、ボートを”メンタル生活’ に
喩えています。
つまり、一日の、どんな瞬間を切り取っても、その時のメンタルは、
’愛’ か ’恐怖’ のどちらかのボート(感情で)を漕いでいます。
イライラしているときは、恐怖のボートに乗っています。
焦っている時もそうです。
一心不乱に打ち込んでいる事も、動機次第では、恐怖のボートです。
”こうなるのが不安だから、そうならないように、そうしよう”~
という、不安が その行為の原点にあれば、”不安”のボート。
人を喜ばせたいと、活動しているのなら、”安心”ボートというように。
ところで、現代人は、イライラが、日常茶飯事です。
自分の思っている通りにならず、相手や、事の結果が自分の期待を
裏切るかもしれないという ”不安感” が、イライラの原因かも
しれません。
たとえば、友人と待ち合わせして、約束時間が15分過ぎて、携帯電話
に連絡も来ないとき・・・私は、イライラし始めます。
どうしても見たい演劇の開演時間に、もう少しで、遅れるからです。
切符は、相手が持っているのです。
ところが、同じ状況でも、イライラしない方法があります。
自分の思う通りの結果を、相手が出せなくても、失望させられそう
でも、安心の愛のボートに乗っていることが、可能なのです。
どのようにして?
まず、人は、自分の願う通りに、行動しなくても、”あたりまえだ”と
思っているからです。
だから、自分の期待に反する行為(遅れる)をする相手の、事情を
くみ取ろうとする心のゆとりがあります。
この場合なら、15分遅れているのに、メールも来ないのは、途中で
事故にでもあったのだろうか?
家族に不慮の出来事でも起きて、連絡もできないのだろうか?などと
想いを馳せるでしょう。
背後にある状況を、理解しようとします。
そんなとき、やっと、相手の姿が見えました。
遅れてきた相手には、それなりの事情がありました。
そして、開演時間に間に合わなくなることを、心配してました。
私が相当立腹しているだろうと、ハラハラドキドキで 駆けつけて
きたのです。
もし、私が、不安のボートに乗っているままなら、遅れた友人には、
”早く行かないと、はじめから観れないのよ”と、焦燥感でイライラ
が増して、相手の言い訳も聴く余裕はなく、ダッシュで劇場に滑り
こみ、でも、一幕途中から観る劇は面白くなく、相手に八つ当たり
して別れ、楽しいはずの、一日が台無しになったでしょう。
反対に、愛のボートに乗っていたなら、遅れてきた相手の事情を冷静に
聞いて、理由によっては、遅れても、来てくれたことに感謝したかも
しれません。
恐怖心のボートは、別名、不安のボートとも、怒りのボートとも
呼ばれます。
不安や怒りで、乗船している間は、まったく、気分はよくありません。
でも、これでは、悪循環だと気が付いて、途中で、愛のボート に
乗り換えることは簡単です。
自分の ”意識” の ”切り替え” だけがあれば 可能です。
自分の意識を、”恐怖・怒り・不安”から、”愛と理解” という意識に
変換するだけです。
人生、予想外のこうした小さな ハプニングの積み重ねです。
それが起きるたびに、自分の心を乱したり、恐怖や怒り、不安に落ち込む
ことほど、”本当の自分自身” に失礼なことはないし、エネルギーの
無駄遣いをするだけでしょう。
自分へのリスペクト、それが、愛の舟の切符です。
”あなたが遅れたせいよ”と責めても、楽しみを台無しにされたと思う
心持は晴れません。
相手が謝っても ”もう、最終公演だったし、二度と観れないのよ”と
嫌味を言うかもしれません。
心の悪循環が始まります。
”何か自分の予想外の不幸なことが起こる”、それに対して、どういう
向き合うかを決めるのは、自分自身の選択しか、ありません。
’不平のボート’ か、’安寧のボート’ か、どちらに乗るか?の選択です。
自分をリスペクトしていれば、自分らしい、舟の旅が続きます。
自分らしくとは、本当の自分の純粋な心を、見失わないでいられます。
自分の純粋な心は、平和で、安定している、落ち着いた状態です。
”恐怖のボート”から”愛のボート” に 乗り換えするのは誰?自分自身
です。それを選択するのは誰?自分自身です。
なら、自分の力で 乗り換えは容易に、できるはずです。
ストレスフリーのボートに、ストレスフリーのメンタルで、乗ることほど
”私自身”にとっては、自由で、快適なことはないのですから・・・・