自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

"幸せ"とhuman being それとも human doing?

2024年04月25日 | 健康のための心の波動



”この世の私だけに通用する手形” = EGO(エゴ)意識
***********************************       2024年4月22日

朝、出勤前には 誰でも、鏡を見て、そこに映る自分をチェックします。
そこに映っている”私”は誰でしょう?

私(わたし)と呼ぶ、その人のなかには、実は、二人の”私”がいると、
覚者は言います。

①一つは、この世に生きている間しか通用しない、”私”【アハンカーラ】
②もう一つは、永遠に生きとおしの(意識を持った) ”私”【アートマ】

①は 外見上の私として、映ります。
その私は、アハンカーラと呼ばれて、エゴ意識を持っています。

②のアートマ、つまり、魂の純粋性は、外からは 簡単に、わかりません。
心(魂)そのものなので、感じることはできても、物質的に、触ったり
することはできません。

ここで、問題です。
次の ”私” は、①と②のどちらでしょう?

ア)は、この子なしには、生きていけない
イ)この子が離れて行っても、幸せならば、はそれでよい
ゥ)の財産は、生きている間は、誰にも譲らない
エ)の年齢は、肉体的には、30歳ですが、本当は、永遠なので、
数えようがありません
オ)会社の同僚で、の意見といつも衝突する人がいて協力体制がとれない
カ)の意見と反対の意見を持つ友人だが、彼女の幼児時代のトラウマ
体験を聞いたら、彼女の考える背景が理解でき、は今では、反対意見
にも素直に耳を傾けられるようになった。

ア、ウ、オ、カの前者は、①の私です。

どうしてかと言えば、①の私は、エゴ意識が主体になっているからです。
エゴ意識の特徴は、執着を持つことです。

”~に執着する”というのは、”~が自分に所属している”、という自覚です。

”自分の子だから、子供は、自分のもの、自分のものなら、自分の身近に
置いておきたいから、離れて行ってほしくない”、という執着です。

”自分が寂しい想いをしないために、子供がそばにいることが必要だ” という
自己中心的な考え方も、エゴ意識の特徴です。

(ゥ)も同じです。
子供の代わりに、財産への執着です。
子供も財産も、しょせん、この世に生きている間の、関係と所有物。
この世にしか通用しない私(アハンカーラ)の言葉です。

(オ)は、同僚でも友人でも、知人でも当てはまりますが、自分の意見
と同調しない人に対して、一緒に、協調関係は作れない、自分と不適応
の人、とレッテルをつける私です。

比較や批判、というような、レッテルを貼るのは、エゴ意識の特徴です。
比較も批判も、自分自身の考えが、正当であるという意識が、そうさせて
います。

自分の意見の正当性を信じるがあまり、反対されると、相手が自分を
認めていないとか、尊重してくれていないとかの不満に発展する可能性
もあります。

エゴ意識は、”思い込み”で思考を重ねていくことが多いようです

そして、残る三つは、②の自分(純粋性の自分)を表しています。

この世だけに通用する自分とは違い、いつまでも、変らない、本質
の自分でもあります。

自分の物とか、自分が正しいとかいう、執着がありません。
相手の心を十分思いやっての、気持ちの表れから、わかります。

①と②の自分と、揺れ動く環境に置かれたとき、決定的に違う点が
あります。

それは、揺れ動く原因となっている、”他者の意見や、自分の感情や 
秩序のない環境”などに ”影響を受けることなく、振り回されない” 
かどうか、の点です。

①のアハンカーラの自分は、大いに、影響を受けやすく揺さぶられるのです。
人の目や評判を気にしたり、人に良く思われたいとか、嫌われたくない、
仲間外れにされたくないなどと、心が外因によって、動かされます。

②のアートマの自分は、大黒柱のある家に似ています。
地震が来ても、倒れない家のようです。
そうした、外的状況は、それはそれとして、受け入れる体制で、しかも、
自分自身を失わないという安定性があるからです。

その理由は、自分が神(大生命力・宇宙意思・光など)と直結して
いることが実感できますから、どっしりと構えていられます。

私は、この どっしりと構えた、揺らぎの無い境地が、幸せ感の最高峰
だと、思います。

なぜなら、そうしたとき、人は、必然的に”穏やかで、愛深く、冷静
叡智” に満ちていますから、周囲のどんな混乱状況の中でも、落ち着いて
行動対処できて、常に、自分らしく、そのままで、幸せだからです。

表題の”human being" は、人の①と②を組み合わせた言葉です。
①のhumanは、”塵(物質)からつくられた”ということ、beingは”そのまま
で 幸せな状態”を意味しているのです。 

二つ合わせて、人 を意味するhuman being となります。

human doing は、本来の自分に立ち戻ることのないまま、物質的要素や
環境に、気ぜわしく、時間をとられて行動する(doing)人、

human beingは、物質的環境の中でも、本来の自分自身に立ち返る時間を
もって どんな環境においても、自分の”幸せの実態(being)"を、
味わうことのできる人を指しているのでしょう。











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