こんなふうに・・・・😀😔 😊
******************2024年10月1日
以下は、9年前に書かれた記事です。
今日、私はこれを読み直して、なぜか、気が楽になり
ました。
今、自分が考えたくなくても押し寄せてくる、様々な
この世の不幸や不条理、戦争や災害地からの慟哭の
想念の波を、どう受けたらよいのか、が、示唆されて
いたからです。
スピリチュアリズムについて、書いている時ですから、
これも、関係のある内容でしょう。
今、ここに、生前に、霊体の自分自身で想定した、
人生歴を 今ここで、なぞっていると考えられたら、
今、起きていることは、すべて起きるべきして起きて
いると、受容できる・・かもしれませんから。
受容してこそ、それに対峙する勇気や力も、湧いてくる
のですから・・
ご紹介させていただきます。
2015・10・8
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ここに、ある魂がいる。
指導霊でもある天使たちと、これから生まれる生の
設定を、決めている最中である。
この魂は、最後に天使たちから、‘次の生の死について’
選択を迫られる。
次回の人生予定では、こんな体験をしてみる?というように・・
たとえば、
自動車事故?
コカインの過料摂取?
失恋させた相手に殺される?
ベランダから偶然に落ちてきた落下物にあたって死ぬ?
溺死? それとも自殺?
人生テストに点数がつくとしたら、火あぶりの刑など、
苦しみが大きいほど、得点が加算されるという。
“500点という加点があるので、火あぶりされたカタリ派
(11~12世紀の黒魔術、いわゆる魔女)の多くが 輪廻転生の
サイクルを終わりにすることができました。”
現代では、それに代わって冤罪など
“無実の罪で電気椅子に掛けられた人”、
癌患者で“全身に転移した場合は”300点以上の”加点になる
という。
これは物語上の話だが、実際、自ら命を絶つより、他者
を助けようとして殉死した魂は、加点が高いのも納得できる。
語弊があるかもしれないが、広島長崎で犠牲になった人達も、
きっと、天国で極上の加点を与えられているような気が
してならない。
むごい原爆の犠牲になることで世界の人々に平和を、
核兵器放棄を、戦争反対の大きなメッセージを 後世に
ほぼ半永久的に、残してくれたからだ。
生命は永遠だと、賢者はとく。
肉体は一瞬にして奪われてもそこから脱した瞬間
生命は文字通り生きた命として違う形で
復活するという。
原爆の犠牲者の方達は 熱い地獄のような火の海から
愛の手で天上に引き上げられる瞬間、
すでに苦しさは取り除かれ、安寧と、静けさと喜び
の中に 天使たちに誘われて天国に上っていくヴィジョンが
私の脳裏には、はっきり映る。
さて、話を基に戻すと、選択を迫られた“魂”は天使
にこう答える:
“わたしは加点はいらないから、さっさと死にたいですね。
夜寝付くときは生きていて、
朝おきたときこと切れているとか・・”
それに対して天使は
“残念だが、ドチュウ―さん(須田注:この魂の名前は
ドチュウ―だった)あなたの現在の得点、マイナス230点
ではそれほど快適な死を提供できません。
次回の生の 死に際はどちらかというと、暴力的な
ものにしかならない。
それも、あなたの描いた絵画作品に、何らかのオーラを
与えるものになるだろう“
ここで天使は一人の有名な画家の名前を出す。
ヴァン・ゴッホだ。
力強いタッチで原色に近い色を選び、点描したその絵は
有名な“ひまわり”の作品をはじめとして、同じ印象派の
ルノワールやモネなどと、異なる“情熱”を示している。
彼は極めて多くの作品を残し、名前も世に出ないまま、
作品を、姉に託して死んだが、当時はほとんど評価されず、
姉も、がらくたをもらったぐらいしか思っていなかった
ようだ。
現代では、億もつく単位で売買されるようになった
彼の絵は、数奇な運命をたどって天国にいるゴッホの目に
どう映っているのだろう。
天使はこうつぶやく
“ゴッホは良く描いた。多く悩み、苦しみ 死んでいった。
しかし彼は純粋な霊に戻り、苦しみの生で600点加点されて、
輪廻転生のサイクルを終わらせることができたのだよ。”
その真偽は もちろん、わからない。が、この言葉は、素直
に心に残る。
ゴッホは、狂気的に、自分の耳をそぎ落とした人だ。
たぶん、うつ状態から統合失調症的な精神状況で苦しみ、
悶々とした最後だったのだろう。
自画像をみると、鑑賞者を見つめぬく瞳には、深い湖の
暗さの中の鋭い閃光を感じるようだ。
余談だが、ゴッホは私の最も惹かれる画家のひとりだ。
オランダで、彼の作品を掲げた美術館を訪れ、ゴッホの
揺らぎ多いがゆえに求めた“光”が随所に輝く多くの作品に
触れ感動した。
この“光”こそ、モネやマネ、ルノワールの平和な光と異なる、
異色性をもつ、美と狂気の両極端を揺れ動く“人間の魂の幅”
を示したものだと感じた。
だからこそ、多くの人たちを魅了することもうなずけた。
私たちは どんな人間でも、結局“光”を求めているのだ。
太陽の、月の、心の、そして本来の人間の細胞原子のミクロ
の世界にきらめく生命の光を。
その”光の点”を描き続け、それを見る人達に 生命と
生きていることを感じさせるエネルギーを与えてくれた
彼の功績は、確かに大きなものがあったのだと思う。
話がそれてしまったが、ドチュー氏は 結局 “自殺”を
選択した。
カミソリでバスタブのぬるま湯で動脈を自ら切る~
という選択だ。
天使は次回の彼の人生の、シナリオの大筋を以下のように
まとめる;
“では最後に。
あなたは次世で、女性として生まれ、
体力は 下、
美しさは 上、視力は 上、声質は 中、
カリスマ性は 特上、
ウイットは 下、
嘘つく才能は 上、
技術は 下(たとえば、洗濯機の操作が上手くない
とか運転が下手だとか)、
知性は 中、
誘惑能力は 上、
忍耐力は 下、
根気は 上、
料理才能は 下、
怒りっぽさは 上、
楽器演奏能力は 下、
ピストル射撃能力は 上、
スポーツ志向は 下、
出産願望は中、喧嘩の才能は 上、
泣き真似の才能は 上、
冒険志向は 下・・・“
こうして、この魂が、次に生まれてきたときの性格や人生
を形成できる詳細な、設定がここで決められた。
こうしたことまで決める必然性はあるのかどうか・・・?
ちょうど、それは、演出家が、ドラマの登場人物の
役柄を設定するにあたり、明晰にその役柄を演じる
役者が演じやすいように、細かく‘実際存在しているが如く“
リアル性をだすために、描写設定をするのに似ている。
だから、今の、私たちの性格が、多少ひねくれていても、
欠点があっても嘆くのに値しないということかも
しれない。
反対に、相手が同様であっても、受け入れられるはずだ。
なぜなら、今の生を生きるにあたって、現世舞台を演じる
ための”人柄”まで 私たちが自ら、事前に設定してきたの
だから・・・
そうした設定によって、私たちの魂が、この現世で学ぶ
”何か”が、得られる条件なのだから。
さらに、この世で受ける試練や、苦しみ、不条理でも人の
ために為す行為への報復、などなど、戦争や災害を含め
無情にも、命を落としたように見えていても、そこには、
魂の加点があり、無駄死ではなく、その魂の次の新しい
人生設定に 必ず、影響を与えるものだとしたら?
だとしたら、今の自分は、そうした設定してきた役柄を
演じながら、どこまで、自分の人生の使命を全うできるか・・
そこに集中するしかないだろう。
そして、すべての人たちが設定を変えて生まれてきている
以上、自分が理解できない、相手のハンディも欠点も、
負い目も長所も含めて、偏見や憎しみを、愛のある観方に
変えていくことが可能になるだろう。
結局、お互い様ななのだから・・・
それが、この劇の完成度を高める秘訣のような気がする。
引用部分
“タナノート” ベルナール ヴェルベール、
日本放送出版協会、1996