自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ハエのブンブンは 右から左に聞き流せば・・・

2024年10月25日 | 介護と自然治癒力
悟り(惑わされない空の境地)を得るためには、ハエが必要・・ 
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昨日の記事の補足です。

”空”を知るとか、なんとか・・煩悩の俗界に、災害
続きの自然現象に、人間関係のしがらみに、悩み、
傷つくこの世界に生きている、自分が、実は、とても
意味がある・・という

矛盾したお話です。

そんな 煩悩に焼かれる私たちだからこそ、
気が付く何か・・究極には”悟り”があるというのです。

インド時代、大師から教わった言葉があります。

自然の元素、火と水、土と風、これらに共通した
ことが一つある。

それは、その元素自身、自分自身の強さを知らず、
火は火で焼き尽くされることなく、
水は水で溺れることなく、
土は土で崩すことはできず、
風は風によって、乾かすことができない。

人の本質のアートマもアートマがこれだと
言い切ることはできない。

つまり、人のアートマ[空なる本質]は
日々の物質的生活の中に見え隠れしているにも
かかわらず、

それ自身姿を現すには もう一人の自分(エゴ)がいる。”


”私はなんて、ダメなんだろう!”と ため息をつく前に 
そのダメな私・・の役割を認めてあげたら?~ と言います。

なぜなら、
エゴを取り去れば 本当の自分が見えると信じて、
それをとりさりたいとおもっているのに、

エゴがなければアートマが見えないから

昨日の続きでいえば、
”空”なる本質に、戻るためには、空でない現象や
そこでの苦しみを味わう、自分がいてこそ、可能に
なる::ということだからです。
 

この苦しいと思う私の胸の内には、苦しんでいる
エゴ意識があるわけです。

一言でいえば、エゴはおしゃべりです。
たわいのないことを、次々と独り言して、思い
出させてくれます。

そこで、その独り言や 無駄な考えを捨て去るために、
座禅行があるのですが・・

それを一喝して、竹刀で肩を僧にたたいてもらいながら
座禅を組んでも、頭の中はいろいろな想いや感情を止める
ことはまずできないでしょう。

次々と連想ゲームのように、最初の想いが次の想いを生み、
次第に枝葉を伸ばして、気が付いてみると、最初の想いから
はるか離れたところまで、妄想している自意識に気が付いて、
また、ハット 瞑想に集中しようと喝を入れられる始末。

追い払おうとしても余計気になるうるさい ハエのようだ
~と思います。

大師は、そこで、こう言い切ります:
”ハエはハエで顏の周りを飛ばしておけ”

魂との対話を求めるのなら、このエゴのおしゃべりを
利用することができるのです

つまり、 エゴ意識に、十分話をさせて、それを、
じっと、聞き流している自分を意識するという方法です。

おしゃべりに耳を貸さず、ただ、流れていく雲を
みるように
そのおしゃべりが疲れて、エゴ意識が、口を閉ざすまで、
話をさせる方法です。

そうこうしているうちに、雲が途切れて青空が
心に広がるように静かな時が訪れるだろう~と大師は
教えてくれました
 
 

ここに、アートマ意識~higher self が見えてくると
いうわけです。

この空点に入ると、”誰も裁かず、何も選ばず”、そこに
意識を置く空点は、限りなく小さな点であると同時に

限りなく深淵で宇宙大にも広がる点ですから、それこそ
真の自由感のだいご味を味わえるでしょう。
 


もう一つの方法があります。
それは、他者のエゴを知ることによって
自分のエゴを抑制し、アートマを顕わす方法

誰でも、馬が合う人 合わない人、と感じたことが
あるはずです。

何となく、傍にいて、心が落ち着くという人もいれば、
妙にイライラさせられるという人もいるものでしょう。
 
性(しょう)が合わない~といわれるが、その性とは
何かといえば、相手のエゴ意識をさすのかもしれません。

相手の性分の何かが、何とも気になってカチンとくる
理由は、自分の中に そのカチンとくる要素と
同質のものがあるからです。

だからこそ、相手の中のそれを見出すことができる仕組み
になっているわけです。

そのカチンとくる性分は、自分自身の中にある要素で、
自分も不愉快で、引きずり出したくないエゴ意識である
からこそ、 今更、相手からも見せつけられたくない
という想いになるのかもしれません。
 
こうして考えれば、相手の嫌な面、それが、
自分の気づいていない自分自身のエゴの投影
あると気づけば、相手を責める前に自分を見つめる
謙虚さが生まれるでしょう。

こうした地道な、エゴ意識の修正が、自分自身の変わらず
常にある、”アートマ意識”という、心の原点(空点)に
到達させるのだとしたら、この娑婆世界の苦しさは、
決して無駄な体験ではない、と、感じる、今日この頃です。




コメント
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