自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

断食の科学的思考

2013年05月01日 | 健康のための心の波動

古い条件づけ解消法  平成25年5月01日

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断食の効果と科学

 

健康を保つことと、断食の効果が言われて久しいが、断食や絶食は、

宗教家のみならず、サンヤシと言われる、世を捨てずに、修行を試みる

人たちにとって、身近な修行法のひとつである。

筆者は、イスラム教の断食や、ヒンズー教の断食、などの体験を通して

その効果が、精神面に与えるものは、決して少なくないと確信している。

ヒンズー教の場合、ラマダンのイスラム教徒が行う断食ほど、

厳格な決まりはなく、各々、多少融通のあるところで妥協している場合がある。

 

今回、インドから帰ってくるとき、(4/13)、知り合いのヒンズー教の女性が

その、2日前から、ノーラットリー と称して、断食に入っているので、

筆者の昼食の誘いを、やんわりと 断った。

彼女は、それから一定の期間、菜食に徹し、玉ねぎすらもとらないという。

紅茶程度、果物程度を口にして、 一日一食取る人も、”断食をしている”、

という表現をする場合がある。

いずれにしても、イスラム教徒の、水も食べ物も 一切、日没まで取らない

という 確固たる規則 はないようだ。

 

印度古典音楽で打楽器タブラの神様?と言われる、ザキール・フセイン氏に コンサートの

後、夕食を御馳走になったことがある。

その時、

なぜ、ファティマ(筆者のモスリム名)は断食をするか?”と聞かれた。 

”肉体に 意識的に、負荷をかけると、精神面がクリアーになるからだと思う。

意識的に、食欲を抑えることで、スピリチャルな意識が明確になる場合がある”

と答えたら、

”なるほど、それも、そうかもしれない”と 同意してくれたようだった。

ある、モスリムの友人は、食事もとれない、同胞の心の痛みをともに、

分かち合うために食をする~と言っていた。それも一理あるのかもしれない。

 

イスラム教では、断食の月(ラマダン)が定められ、

ひと月、太陽が昇っている間は水分と固形物の食を禁じている。

イスラム教の国々は多くは、アラブ地方や東南アジアにみられるため、

日本の夏に、水分を取らないのと同様、かなり、身体にはきついものである。 

 

それは、修練として、あるいは、貧しく苦しい人の痛みをわかるためにと、

神との約束である以上、老若男女に限らず、5回の祈りと共に、断食を進んで

行う。

 

お釈迦様が悟られたときも、断食をして、骨と皮に痩せ細り、悟りを開いた。

スジャータ という村の少女のミルクに 口をうるおし、断食を解いた。

断食までいかなくても、少量の食べ物こそ、長生きの秘訣だと提唱している

医師もいる。

心と体のバランスをとるには、食欲を根一杯満足させていては、

きっと、精神的に怠惰になるのだろう。

 心身医学研究者である、秋田大学の 長谷川直義氏や 

東北大の鈴木仁一氏は 絶食の科学的効用 を発表した。

脳を中心として古い条件付けが 解消されやすいという効果をもち、

そのため、セルフコントロールの回復効果 がみられるという。

古い条件付けとは、幼児期など無意識の時期に 環境から受ける

刺激によって造られた、自然対応の条件 をさす。

 

たとえば、厳しく育てられた親に対し、子供は愛情が欲しいゆえに

無条件に従うという癖がついているとする。

すると、何か 自分の心に、反対意見が湧いてきても抗せず、

おとなしく振る舞う術を身に着ける。

 

そのプロセスは:怒られると

~相手に従う

~自分を隠す

~自分の抵抗心を抑える

~知らずの内に、ストレスがたまる

~たまっても、おとなしく振る舞う

反抗期という大人になる次期にも、実の心を押し殺し、セルフの適応が

難しくなる

~大人になると、情緒不安定のみならず、対人関係に支障が生じる。

 たとえば、他者と同等で理解し合うという 関係を築く前に恐怖心をいだき、

 一人のカラにこもりがちになったりする

 ”幼児期の古い条件付け”とは、

この場合、”親の命令”に対し、自分の抵抗心を押し隠す”ということになる。

 

絶食や断食によって、一種の、エネルギーの開放が行われるという。意識下に

抑え込まれていた、思考や情動、感覚が説き離れたとき、古い条件付けも 

解消されるのだ。

特に、絶食中に自律訓練法を行うと、より大きな効果を生むという。

 

イスラム教で絶食を行い、祈りを捧げる。そして、神との一体感を増す効果が

あるとすれば、こうした、脳の生理的反応効果があるといってもいいのかも

しれない。

ただし、卵が先か、ニワトリが先かの質問になる。

”脳の生理的反応があったから、神との一体感を得られたのか?”

或いは、

”神との一体感を得るために、断食したから、脳の生理的反応があったのか?” 

或いは、

”神との一体感を味わっているから、断食も苦しい中できたのか?” 

 

科学的な思考は ”論理解析” から入る。宗教的アプローチは、”情感と信念” 

からはいる。 

筆者の考え方は、論理を超えた、”super consciousness”(意識を超越した

領域)から入っていければと思う。

それでは、生命的アプローチ というのは、どうであるか?

脳生理学的なアプローチも、”生命的アプローチ”という もう一つの観方を

プラスさせてみると、すべてを、論理で組み立てることに無理があることに

気がつくのかもしれない。

 

これまで見てきたような、池見博士の掲げる、東洋的発想法”と、

東洋的真理”へのアプローチが、”心療的医療”への、欠かせないエッセンス

だとするのも、そういうところに理由があるのかもしれない。

 

 

 

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