自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ヨガの大元=”不二一元論”のイロハ(1)

2021年02月20日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

序章   2021-2-20

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前書き)

ヨガの大元とは、ヨガ理論の基本という意味で、そこにはヴェーダ哲学の

不二一論説がある。

ヨガの語源はユージュナーというサンスクリット語で、これは本来の

自分の中にある神と、身体を持った自分の意識を結びつけるという

ところから来ている。

インド古代からはヨガの熟練者をヨギと呼び、彼らはその意味で

、神と一体化する修行を積み、これが今言うところのヨガとなっている。

様々な身体のポーズをとるハタヨガが健康的体操のように

人気を博しているが色々な種類のヨガがあり、今、ここで皆様が

こうしたものを読んでいらっしゃるのも、ギャーナヨガと呼ばれる

真理知識を吸収するという、ヨガの行法の一つである。

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昨年2020年の12月、富士山のガイドさんをしている方の

お宅でお茶を戴いた。

その際、サイババ師のことが話題に上った。

すでに師が天国に行かれて何年になるのだろう。

私はスワミ(と師のことを呼んでいた)が亡くなるその年に、

友人のRさんとご一緒にスワミの住むアシュラムに伺ってダルシャン

(スワミと直接会って祝福を得ること)を得ていた。

当時の日本では、その何年も前からテレビの特別企画で、サイババ師

の奇跡がマジックかどうか?という話がとりあげられていたり、

サイババ師は不二一元説を教える師というより、奇跡的行為の

好奇心が勝って、多くの人の興味を引いていたようだ。

 

実際、今からもう、30年近く前に初めてサイババ師のアシュラムに、

印度の首都ニューデリーから飛行機やタクシーを乗り継いで

半日かけてたどり着いたとき、日本から来た信者さんたちが

20名ほどのグループを作っていたのが印象的だった。

皆、静かに、サイババ師の 講義を聞いていた。

サイババ師は講義でアートマという人間の本質を説いた。

その言葉を私は2012年に自然治癒力セラピー協会を立ち上げたとき

に正式な協会の名前として登録しようとした。

”アートマセラピー協会”と名前を付けた。

ところが、”アートマ”という言葉が当時はインターネットの索引検索

にも出てこなかったため、内閣府の担当部署から却下された。

その理由はアートマという”意味不明”な用語があるからといわれた。

ところが、昨今、印度の古典聖典のヴェーダやヨガスートラに

出てくる用語、アートマンとアートマなど、いろいろ

な人によって、解説されていたのには喜ばしい変化だと、嬉しく思った。

 

スワミ(サイババ師)は高等教育は受けていないのにかかわらず、

その講義には冒頭から美しいサンスクリット語のヴェーダの

フレーズが幾つも歌うように、スワミの口から語られた。

これから数回にわたり、私が学んだ、不二一元論説を、皆様と

一緒にシェアーしていけたらと願う。

それが自然治癒力の想念学的エネルギーの根本になっている

が、前にもお話ししたように、当時はまだ”アートマ”という言葉すら

意味不明の言葉として理解されない時代だったから、ブログに書く

こともためらわれた

が、今は世間が一転しているように思う。求道精神の高まりと

ヴェーダに対する興味、ヨガの実践者が増えて、真理への探究心が

深まってきているように思える。

さて、今日のお話しはブラフマンという言葉について・・・

 

①全宇宙は”ブラフマン”から出現した。そして、元の”ブラフマン”

に帰融するだろう。

”ブラフマン”の支配を超えた場所がはたして存在するだろうか? 

兄弟よ、純粋のサットヴァなるものを見よ!

 

このフレーズはスワミが美しく歌うように、講話の初めに語りかけ

聞かせる部分である。

ブラフマンというのは、正式には

サティアム・ジナナム・アナタンム・ブラムハと言う。 

ブラフマンはスワミはここでは固有の神をさすのではなく、

真理の存在”と語った。ブラフマンは永遠であり、真理であり、

変わらない普遍的な存在であることから、ヴェーダーンダ

哲学では、同義語とされている。

 

どんなに科学技術が発達して、人類の物質的進歩が著しく促進されても、

人間に内在している神性の尊厳が蝕まれているとスワミは嘆く。

学識があり、物質的に成功した人がインドでももてはやされて、

現代の社会のリーダーたちは、”真理”と”正義”を放棄した、学歴の

在る人たちによって占められつつあり、彼らは上辺は”国家を守る”

と言いながら、実はインドに害を及ぼしているとスワミは講義の中

で嘆いた。

 

人生の本来の目標、それらは4つある。4つのプルシャルダと呼ぶ。

それらはダルマ(正しい行為)、アルタ(富カーマ(欲望)そして

モクシャ(解脱解放)である。

人間の体でいえば、ダルマは足にあたり、モクシャは頭にあたる。

最終的にアルタやカーマなどの物質から解き放され解脱を得るために、

正しい道へ進んでいく足を持たなければならない。

 

スワミはここで聴衆の注意を喚起した。それは

”人は、アルタとカーマだけを渇望しているのでその結果、社会と

国家全体に無秩序と不安定を生み出す原因になっている”と。 

ダルマ(正しい行為)は忘れられ、真理への回帰は無視され、

人間性も健全に身体とともに成長することが難しい世の中になって

きているというのだ。

 

人間性の正常な成長にはサムスクリティ(文化)への理解が

必要だという。

サムスクリティの語源はサムスクリタムで、この意味は、

あらゆる物体を人間が使えるようにするために改善し

磨きをかける過程”というニュアンスがある。

喩えれば、稲を食卓に米として載せるまでの過程のようなもの。

刈った稲を束にして脱穀する。

それから米粒を

もみ殻から分離させる。

叩いたりウスにかけて玄米から皮を取り除く。小石や雑草の種子

など不要なものを取り除き米をきれいに洗う。

こうしたサムスクリティ(仕上げ)は人間の教育に当てはまると

スワミは語った。

生まれたままの状態から、内在の神聖な人間性を開花させるために、

学問的知識のほかに内面を、脱穀してもみ殻を取るが如く、

エゴや動物的資質などを取り除いていく作業が必要だと教えた。

 

神聖な人間性の中でも特に〝愛”の尊さを説いた。

そして愛ある行為を実行するためには、ダルマを守ることに

通じると言った。

ダルマとはある慣習や形式を守って正しい行いをしていくという

意味だけではなく、もっと広義にとらえられた。

つまり、想念と言葉と行為の調和、一致である。想いだけでは

ダルマは果たせられない、想いがあっても、それが言葉と裏腹

であればダルマは成立しない。

想いと言葉で表現しても、それを行動に移せなければ、ダルマ

にはならないのだ。

この三つの要素をトリカラナ(行動のための三つの道具)と呼び、

ダルマを成す人の三つのトリカラナは純粋性と調和がとられて

いることが第一条件とされた。

 

真理、ダルマ、その次に大切な言葉がアートマである。

ブラフマンとアートマは同義語である。それはアートマは不変

であるから。肉体が滅びても滅びないもの。

自分は誰か?何者か?エゴか?肉体の意識とは何か?

アートマ意識とは何か?

人は神なり、とヴェーダ哲学では説く。それなら、なぜ、こんなに

現象では人間は、不完全なのか?

アートマの自覚で生きるためにどうしたら良いのか?・・・

スワミはその後の講義でそれを説く。

 

この序章の最後に、スワミはインドに残る精神遺産を

次の三つの言葉にまとめた。

それは、”カルマ(普遍的義務)”ヨーガ”(心を制御して神と融合すると)、

ティアガ”(現世の執着を断つこと)。

つまり、カルマの遂行を現世の執着をはがしながら、神と融合

することによって行う資質のある国民性が印度人の特性と賛美した。

これは、決してインドだけの話ではなく、私たちすべて、地球人

として生まれたこの星の上での生活の中で、そうした性質を実現して

行く目標でもあるのだと思った。

 

 

 

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