8月14日/2023
自然治癒力セラピーの揺らぎを体験し、
2023年の今現在、”2020年に発表した記事”を振り返り・・
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前置き)今日は、三年を隔てた日記を公開させていただいた。
前者は、夫が寝たきりになり、リハビリ病院に居た頃(2019年)
さらに、自宅介護に踏み切る前の2021年の、原因不明といわれ、
自然治癒力への私の信念が揺らいだときの 苦しい思いで書いた
記事。
後者は、コロナが下火になった2022年、まだ歩けない、立てないの
車いす生活の夫(要介護4)を、薬から脱却させるため、自宅介護に
ふみきり、改善が見られた事実の手記である。
この時点で、もし、夫の生命力の発揮が証明されず、私自身の
自然治癒力セラピーへの信念が、”絵に描いた餅”と証明されたら、
私は、この協会をたたむ決意で 当時、真摯に自宅で夫と向き合
っていた。
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2020年 2/11
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私自身の本音・・・
私自身の本音・・・
今、夫は、健康を示す数値は、完璧なのに、寝たきり状態だ。
私自身と被施術者の体験結果からお伝えしてきた、
生命力の自然治癒力の素晴らしさを、信念として、このブログ
にも、その発揮方法を、想念エネルギーの振り向け方を
主軸に書いてきた。
しかし・・・である。
夫が寝込んでしまってからは、空々しい感覚がサッと、心の
片隅をかすめるようによぎる。
先端の西洋医学の技術をもってしても、精密検査結果は、原因が
わからず、病名もはっきり言えないという、夫の現在の状況・・
不可思議な要介護4認定を受けたその背景に、自分の信じて
いる方向性と違う、その矛盾に、どうしても、考えこみ、
これまでの信念の揺るぎすら、感じて初めていた。
夫に施術をする。
結果、確かに、データ的には何も異常がないのだから、施術は
効を奏していたのかもしれない。
だが、何故、かれは、急に、寝たキリになったのか?
去年6月に、勤めていた通信社に送る原稿を書き上げて、
”これが、最後の原稿となります。しばらく休みます”
というメールを先方に送ったときの寂しそうな横顔が印象的だ。
そして、それから、衰弱化が始まり、一日の大半は、寝付くよう
になっていった。
以前から言葉少ない夫だったが、寝たきりになってからは天井
を見ているだけで、言葉はほとんど発しなくなった。
食欲も激減した。
こうした状況の中で、私は、 ’~想念の持ち方で理想を実現
する~’というテーマで、ブログを書き始めた。
一方で、私の体験によって培ってきた信念が、一番身近な
夫に対して、当てはまっていないのではないか、と、冒頭に
書いたような、何か、空しさを感じるのだ。
2019年入院していたリハビリ病院の看護婦長に、言われた
言葉を思い出す。
“須田さんはやる気さえ起きれば、歩けるし、トイレもできる
ようになり、日常に戻る下地が十分できるはずです。
心療内科の薬を飲んで、少し、やる気をだしてもらいません
か?”
薬でやる気?がでるなんて・・信じられない・・と内心、
驚いた。
その結論を出すことは待っていただくことにした。
ここで、“やる気”というフレーズが私の心にささった。
”やる気”って何?
彼は、彼のこれまでの人生の中で、本当に自発的(やる気で)
に、仕事や趣味や余暇を過ごすことがあったのだろうか?
自発的に、という意味は、条件付けなしに、”欲する”という
意味だ。
お給料のため、世間体のため、義務があるから、云々なしに、
という条件なしに・・・である。
そして、私は、今、気が付いた。
もしかしたら、寝たきりになった彼は今、本当の自分に
なるために、リセットし始めたのではないかと。
私自身が、自然治癒力が発揮できるはずだという、
”一方的な期待” を抱くことは、今の彼にとって、
プレッシャーをあたえるだけなのかもしれない~と。
なら、私が、今できることは何?
それは、むしろ、静かに見守る事だ。
彼の中で、自分自身の意思、想い、感情を含め
”本当の彼の感覚”が、自然とわき起こるのを、待つこと
かもしれない。
それが、リセットだから。
リセットが、意欲につながるなら、本来の生命力が
そのとき、きっと、発揮されるに違いない・・
だから、私が今、固執している、’想念の力で自分の理想と
する人生を作り上げ、健康を計りたい’~という自然治癒力
の遠隔的エネルギーを送る方法は、今の彼に当てはまる
ものではないと、知るべきだろうと思った。
”遠隔思念”を送ることは続けても、その効果を、期待すべきで
はない・・むしろ、彼の今のメンタルを、あるがままに、
受け止めてあげたいという結論にいたった。
コトバを替えて言えば、理想とか、希望とか、夢とか語る前
に、彼の心のありのまま、を認める作業。
そう、思いつつ、謙虚に、このシリーズの続きをまた、発表
させていただきたいと思う。
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2023年8月13日~その後の変化:続き
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2022年、初春、コロナが下火になり、やっと、彼は
沢山の薬をかかえて、病院介護生活から、自宅介護へと
移行できた。
精神抗うつ剤や、大きな浣腸薬は、すべて捨てた。
一か月たたないうちに、夫は、車いすから 立ち上がり
トイレまで歩いていき、奇跡的な回復を見せた。
一緒に、ファミレスに行き、ワインを飲んだ。
昼間はデーケア、確実に、普通の生活へと、回復を
見せている夫に、ケアマネさんも、あと、半年くらいで
階段の上り下りも可能になると、太鼓判を押してくれた。
当然、その時の私には、”看取り”という意識はなかった。
夫は、本当に、”進化”ともいえる、”回復”を見せてくれたからだ。
が、彼は 7月、ケアー施設で、コロナの集団感染した。
通っていた施設は閉鎖となった。
当然、そばで、高熱を出している夫に、水分補給していた
私も、その3日後に 熱が出た。
介護が無理となり、やむを得ず、救急車で、彼だけ、入院
してもらうことにした。
コロナ中、飲まず、食べれずで、私は、5キロ近く痩せたが、
夫を迎えに行きたい思いで気が気でなかった。
夫は、病院で新薬の点滴をされていること、その薬の影響か、
彼はまたうつ状態になり、食事は一切とらず、身体も寝返り
を2週間することなく、硬直したように、横向きで寝ている
だけという情報が耳に入ってきた。
2週間後、普通に戻った私は、急いで夫を、迎えに行った。
信じられないほど、夫は、痩せ、言葉もなく、疲弊していた。
コロナ前まで、立ったり歩いたりしていたのに、コロナ後は
四肢が硬直したように動かせなくなっていた。
病院で、車の後部座席に乗せるのに、10分以上、奮闘したが、
どうにか、身体はシートに運べたが、座っておられず、
崩れてしまった。
自宅に、戻ったが、必要な介護用品は すでに、返品して
いた。
段差を移動させる、車いす用のスロープも、業者に返却して
いたので、屋内でスタック、さきに進めず、立ち往生して
しまった。
結局、寝室にまでたどり着けず、その晩は、二人で、簡易
な折り畳みの長椅子を横に倒して、一晩を過ごした。
翌日から、デーケアー再開。
迎えの職員さんが、数人がかりで車いすに乗せ、施設に
行ったが、あちらでも、彼の様子が、あまりに違うので、
”いつ何があっても、おかしくないと判断します”とスタッフ
から、電話が入った。
そして、その為に、訪問医師が紹介された。
事が起きた時、月に一度の往診で、警察沙汰に
ならないからという、配慮だった。
訪問医師は、私の意見を理解して、薬なしの、自然治癒力
を生かす方針で(看取りの可能性をも示唆)介護していく
ことを了承してくださった。
正直、私自身、退院後の、夫の変わりように、打ちのめ
された。
2019年、夫が、精密検査を受けて、原因不明と判断され、
寝たきりになった、あの出発点に戻った・・・というより、
さらに、現状は、マイナス地点に降下していた。
思い当たる事があり、改めて、病院からの報告書を、読んだ。
コロナ入院中の2週間、夫は、食事を一切拒否して、西洋医学
に反抗的態度を取り続けていたことが、記されていた。
担当医師の報告書には、
”自死しかねないほど、落ち込んでいる”
”身体を2週間、ほぼ、微塵も動かさない一定位置で横に
猫背で横たわり、時々、乱暴な言葉も吐く”
などと、記されていた。
夫に与えられていた新薬の説明書きを 退院時に渡され
改めて読んだ。
新薬投与開始の許可を、電話で、そういえば、聞かされた。
私は40度の高熱(コロナ)でそれを聞き、口頭で、了承
した。
その説明書きを読んだとき、口頭では、説明がなかった、
重要な事項が 目に留まった。
それには、その薬は、まだ’効果がわからない状況下で、
’”副作用としては死もあり’と信じられない、注意書きが
添えられていた。
自分が、コロナになって、意識が朧として電話を受けて
いなければ、投与前に、この薬の副作用を十分に聞く余裕が
あり、この一行を知ったなら、当然、拒否していただろう
と考えた。
こうして夫が病院から自宅に戻り、わずか、2月後だった。
もしや・・という予感から、ある日、私は、海外にいた、
息子にvideo電話した。
そして、夫に、その携帯電話を手渡した。
夫は もう、言葉を話せなくなっていた。
が、意識は、はっきりしていた。
夫は、携帯電話の画面に現れた、息子を、必死で見ようと、
重い瞼をやっとの思いで、わずか、上げて、携帯電話
の画面を見つめた。
まつ毛がさざ波のように小刻みに、震えていた。
彼の意識は、はっきりと、息子の
”パパ、ありがとうね。ありがとう”
と繰り返す、息子の声を、聴いたと思った。
そして、それから半時間後。
予測外のことが起こった。
私と、水分補給の点滴往診でかけつけた、医師と
私の眼前で、あまりにも、静かに、ふっと息を止めた。
止めて、そのままになった。
”須田さん!!”という医師の異様な夫への、呼びかけで、
私は、夫の顔を見た。
私が、点滴をしようとする夫の痩せこけた腕から、
その顔に、視線を移したとき、夫は、すでに、帰らぬ人
となっていた。
今、振り返って思う。
私の自然治癒力と、そのセラピーの信念は、夫の介護に
生かされたの?という疑問。
答えは、”イエス”としたい。
コロナになる数日前までは、夫は、好きな本を読み
ながら、お茶を飲み、静かに語り、心安らかな状態に
復帰した。
何よりも、夫との、夫婦劇場の幕切れには、一生の
宝物となる言葉をご褒美のようにもらった。
それは、亡くなる二週間前の、9月の初めだった。
夫は、笑顔を浮かべていたので、思わず、携帯電話を向け
”ヴィデオにとっていい?” と聞いて、ONにした。
そして、その中で、夫は、こんな言葉を残してくれた
(形見の言葉となった)
”なんで、笑っているの?”
と私・・・夫は、 ”ヤスヨといれて、嬉しいから”と答えた。
そういえば、病院から退院してきた日に、深刻な顔していた
私に、
”笑っている顔が一番。笑って、もっと。”
とも、言っていたっけ。
自ら、携帯ビデオが回っているのを知りながら、
自ら、携帯ビデオが回っているのを知りながら、
数種類の、ヒョットコ顔をして、私を笑わせた。
新婚時代に、そんな風に、よく笑わせてくれたっけ・・
その彼が、こんな状態の最中(さなか)、復活するとは・・・
久ぶりに、声を出して私は笑った。
この時のことを、今でも、時々思い出す。
特に、口がへのじに曲がって考え込んでいるときに、
亡くなる2週間前の、衰弱しているときに、彼の私を
笑わそうと、してくれた変顔が、浮かんでくる。
そうだ、そうだ、笑わなければ・・・
彼は 残りの私の人生で、最大の、処世術を瀕死の状態
の中、ヒョットコ顔を何度も繰り返して、教えてくれた
のだから・・・
(上)コロナ前の彼。自宅介護一か月半後、車椅子から
立ち上がり、この廊下を3年ぶりに歩いた。
(冒頭写真)
コロナになる、1か月前、3年ぶりに会った友人と談笑
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