ゆうこさんのブログ読者コメント欄のご意見から :
私自身、今は、ゆうこさんのように、少しはゆとりが出てきたのかな~と感じている。
”介護する”という意識から”介護させていただく”の気持ちを
自分が心底 持てることができたなら、双方が幸せだと思う
ここでの ゆうこさんの投稿文のキーワードを列挙させていただく。
安心と温もり、感謝、介護させていただく=修行に繋がる意識
”ゆうこさんの体験”に 自分はゆうこさんの心情と努力されてきた年月を想像して、
一つぜひ、お聞きしたい箇所があった。
それは、相手を対等な一人の人間として付き合う~という言葉だ。
認知がすすんで自分の家族の名前すら覚えていない、
亡くなった身近な家族の名前も出てこない被介護者の場合、どのような形で、
対等な人間として向き合えるのかという疑問である。
介護現場では、まず、被介護者が明らかに理に合わないことを言ったり、
要求したりしても”拒まない”という態度をまずとる。
相手に会わせるのである。
”そうですね。そうしましょうね”と。
なぜなら、”No=ノー”のニュアンスを少しでも含む返答を介護者がしたとき、
被介護者は自分の言っていることを否定されたと思い、ただならぬ腹立たしさを感じて、
心を閉じてしまい、話を受け付けなくなることが多いからだ。
対等な人間として扱う~というスタンスについて、ゆうこさんに改めて質問させていただきたい。
どこまでの介護度の範囲で当てはまると考えられているのだろうか?
しかし、私はゆうこさんの 相手を人間として認めるという、ご意見に賛成する。
母が理不尽なことを言ったとき、今までは、受話器をそばに置きっぱなしにして、
何度でも繰り返す話、特に被害妄想からくる怒りの話に 最後までつき会う”ふり” をしていた。
最近は違ってきた。
あえて 母の魂に届くように、私の本音を、相手がわかるはずだという確信を持って、
一人の人格者に向き合うつもりでとこう語る。
続く・・・・
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