非難・賞賛に関係なく、健康を維持するために・・・
2024年2月15日
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前書き)
昨年2023年に ジャニーズ事務所の性的被害の被害者の一人が自殺する衝撃
的事件がありました。
先週、マスコミ取材を避けていたそのご家族の最近の様子を報道番組で
見ました。
その被害者は、妻は反対したものの、事務所を相手にきちんと対処したいという
ことで、実名を公表したのですが、マスコミに取り上げられると、プライバシー
情報が拡散されて、ネット上での誹謗中傷が激しくなって、自殺に追い込まれた
のではないかということでした。
”非難・中傷”について、考えさせられました。
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そもそも、批判や非難をするのは、自分が正しいと信じている基準
があるからです。
その基準は、何でしょうか? 公正な基準は存在するのでしょうか?
時代時代で、社会的価値観は変化してきました。
並行して、個人的価値も、社会的価値観に影響を受けている限り、
変ってきてます。
家庭や社会環境、教育、なども、価値観を左右します。
スピリチュアル的にみると、価値観の決定条件はその人がこれまでの、
生き様(前世)があります。
何度も生まれ変わって、創り上げてきた気質(怒りっぽい、穏やか、
せっかち、のんびり屋など)が左右しています。
カルマ(前世で魂の記憶の中にあるトラウマや信念、やり残した課題)
も価値観に影響与えるでしょう。
他にも、現在の家庭環境や、国や郷土の文化環境、教育を通して子供の
頃から教え込まれた”正しい事”が 自然と心に根付いています。
さらに、親の遺伝子、生まれた家の先祖の因縁、などが絡んでくると、
価値観はもっと、多様性を持つでしょう。
双子でも、魂はそれぞれ、別個の歴史を持っていますから、価値観は、
異なっていて当然でしょう。
そう考えると、この世に生きている人の数だけ ”正しい基準”が
存在していることになります。
性格によって環境によって、親の遺伝子によって、前世での体験によっても、
価値観の基準は、異なっていて当然だということになります。
であれば、自分と違う価値観を持つ人に、どう対処できるのか?
たとえば、自分の価値感を理解させたいとか、同意させたいとか、説得して
納得してもらいたいとか、感じますか?
そして、それでも理解してもらえず、期待通りの成果が得られなければ、
イライラ感や、軽い怒りを感じたりするようなことは、ありませんか?
ヒトは、期待に反する結果に対して、相手に無意識に’怒り’を感じること
があるようです。
では、価値基準が違う相手に対して、どうしたら、平穏な心持でそれに
対応できるのでしょうか?
私は、それぞれの人たちの、”主観や正しい判断”とされる価値観は、
”その人の好み”のようなものだと位置づけることにしました。
そう思えば、自分の考え方や価値観と違うからといって、反論されたり、
批判されたりしたとしても、受け入れられやすいからです。
価値観は違っていて当然~と思えば、相手が自分の価値感と違うことに、
傷ついたり、誤解したり、執着したりすることがありません。
たとえば、相手の好みの黒いジャケットを、友人にプレゼントします。
相手は、それを着ようとしません。
そこで、私は、”なぜ、あなた好みのジャケットを、着ないのね?”と、
聞いて、”ごめん、黒色は、嗜好が変って着なくなったの”といわれたら、
仕方ないと思うだけです。
親と子供、妻と夫との家族関係には、毎日顔を合わせているために、
価値観の違いがあからさまに、出て衝突する確率は高いようです。
好みの違い、というように簡単には、いかないかもしれませんが、
とりあえず、自分の好み(価値観)を主張する前に、相手の好み(意見)
聞いて、”受け止める”姿勢をとることは そのあとの会話の流れが
スムーズにいく秘訣のようです。
”理解しようとする”姿勢が、こちら側になければ、相手も聴こうとする
態度は示さないでしょうから、お互いの意見を言って、平行線でおわる
ことでしょう。
自分とは全く違う意見でも、それを受け止めてみる・・価値はあります。
なぜなら、その人の考え(たとえ家族でも、魂は、旅人同様)は、
自分の想像を逸した、相手の’魂の長い歴史’の体験から、今の感受性や
性格が形作られ、今現在の、その人の”思い”’価値観’となって
いるからです。
冒頭のジャニーズ事務所に所属していたとき、被害を受けた40代の男性が、
実名を公表して、裁判に臨もうとした積極的な姿勢を、”金銭目当て”とか
”家族もグルになっている詐欺師”とか、”早く消えろ”などの執拗な中傷
を受けていたこと・・
その時の辛さは、家族の想像を超えていて、彼は、”死んだほうがましだ”
と、妻にもらしていたといいます。
しかし、その実名を出して真正面に闘う姿勢に対して、応援をしていた人
たちも、大ぜい、いたはずです。
非難があれば、賞賛する人もいるはずです。
さまざまな批判や中傷は、好意や高評価を含めて、その人達の”魂の歴史”
にもとづく、観方や価値観のあらわれということでは共通しています。
自分ではない、自分の外側の世界の人々の意見や価値観は、自分の価値感
や考え方では無いということ:::
”是非の論争”は、無数の種類の”価値観”が在る以上、それに振り廻され
自分自身を失うことほど、残念なことは無いと感じます。
自分にとって、正しいと思える価値感を造るのは、他者の誰でもなく、
外部の世界でもなく、自分の内側で判断できる、自分しかいないということ、
ならば、自分の価値感をもっと、意義を持たせ、尊重し、自信をもって
それに従って行動するのも、自分しかいません。
つまるところ、それが”自分を大切にして生きる”ことの、第一歩のような
気がします。
これは、健康の維持に対しても、効果を持つでしょう。
”自分にとっての正しいと思える価値観”を大切にしていれば、
病になった時に自分にとって何が適切な処置かを、自分が納得でき、責任
持てる対処ができるはずです。
それは、”自分が納得でき、自分で決めた以上、誰をも責めることない
でしょう。
そして、ベストな効果をもたらすことでしょう。
そうした価値観を大切に生きてきていると、自分の身体の一番の名医は
自分であるという自覚が生まれます。
病院を選ぶ時も、セコンドオピニオンはサードオピニオンを聞いて、
自分の価値感で、どこが一番 納得できる治療が可能か?も判断できる
でしょう。
こうした周囲の思惑や、評価に頼らないというメンタルの強さを持つ
ことで外部からの病の情報や 様々な”健康を保つ価値観”にも、
自分に合うものを選び、不必要な病の恐怖感をもつこと無く、無駄な
くよくよ考え心配するメンタルなエネルギーを使わないですむこと
でしょう。
外部から常に与えられている不安や恐怖から解放されること、それが
自分の心を平和に保つ第一条件です。
自分の心が平和でなければ、自分自身を大切にすることは不可能です。
自分自身を大切にできたとき、身体中の細胞は協力して、免疫力をアップ
させ、自然治癒力を発揮させながら 新陳代謝がすすむことでしょう。
生き生きと 活き活きと、生命力を活性化しながら生活するコツは、
人の趣味と、価値観には、口出しせずに それも有りと受け入れ、自分の
価値感を大切に、周りの自分への賞賛や非難に左右されることのない、
心の羅針盤をしっかり持つことだと、つくづく感じます。
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