般若心経~無有恐怖遠離一切顛倒夢想 10月16日 (火曜日)
心 無罣礙 無罣礙 故 無有恐怖遠離一切顛倒夢想、
究境 涅槃 三世 諸仏 依 般若波羅蜜多
故 得阿耨多羅 三藐三菩提 故 知般若波羅蜜多 是大神呪
是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実 不虚 故 説 般若波羅蜜多 呪 即説呪曰
掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆詞 般若心経
今日は、短いですが、ピンク色のラインの恐怖が無いということが
テーマです。
恐怖を感じていない人はこの世に誰もいません。
"怖い"という感覚ですが、潜在意識の中に 前世からの体験を含め
私たちはすでにこの感覚を持って生まれてきています。
誰もが、今まで何度も生まれ変わっているわけで、過去の人生で、
たくさんの苦しみや悲しみを負っています。
清算されていないそれらの苦しみや悲しみは、今回の生で、改めて違う
形となって私たちの前に提示されるでしょう。
それらから、顔をそむけ、逃げることはできない~人生劇のプロットに
それらの克服が私たちの人生のテーマのひとつだからです。
過去生の、苦しみや悲しみのが 現在も なんとなく、恐怖の残像として
残っています。
たとえば、高所恐怖症や水恐怖症など、~恐怖症と名前のつくものが
それの一つです。
セラピー中、時々、過去生のヴィジョンが私の脳裏に映ります。
或る方の過去の人生で、高い崖から海へ、突き落とされている場面が
見えました。
水恐怖症として、現生で水が怖いのは、そのせいかとも思われました。
また、或る方は、火に対して異常な恐怖心を持っていました。
そして、その方が依然ヨーロッパの中世で魔女狩りのため 火あぶりの
刑に処されたことがあるという記憶をセラピー中に思い出しました。
そこで、その人は、火の恐怖を克服するために、或るお寺の、
薪行(たきぎぎょう)に参加しました。
”想いを滅すれば火もまた熱くない”と、その火への恐怖を断ち切るため
に挑んだのです。
見事に火傷もせず、渡り切って、今では、火に対する恐怖心はなくなった
このように、過去生のトラウマが現在の人生に後をひいていることは
枚挙にいとまがありません。
生老病死 という人間の定めの過程に、恐れはつきものです。
”いつ、病気になるのか?”
”老いぼれて誰が面倒見てくれるのか?”
”どんな死にざまをするのだろうか?”
老いも若きも、誰しも、心の中にそんな、恐れを抱いていないと
いったら、嘘になるでしょう。
保険会社が繁盛しているのも、日常の私たちが潜在意識の中に抱えている
恐れの大きさのためです。
般若心経では、このような恐れに対して次のように言います。
心 無罣礙 無罣礙 故 無有恐怖(しん むけげ むけげ ごむうくふ)
”無罣礙”とはとらわれがないこと、
この行の意味は、”心にとらわれが無いから、恐怖も無い” となります。
捕らわれが無い ということはどういうことでしょう?
それは先回のお話しの、菩提薩埵 依 般若波羅蜜多 故
から続きます。
つまり、菩薩(ボーディサットヴァ=心の安寧を求めル修行者)が
般若波羅蜜多(悟りの地にいくための人間知を超越した大きな智慧)
に帰依し、理解することで、心にとらわれがなくなったということです。
ハンニャー(バンニャー=真理の智慧)によって、
色即是空、 空中 無受想行識 を知り、自分の心の実相
が理解できたとき、苦しみや悲しみは本来無いとわかったので、
心に捕らわれがなくなった。
だから、恐怖がなくなったというわけです。
遠離一切顛倒夢想、究境 涅槃 三世 諸仏 依 般若波羅蜜多
と続きます。
(おんりいっさいてんどうむそう くぎょう ねはん さんぜ
しょぶつ え はんにゃはらみった)
意味は、遠離とは、遠く離れる事。
一切の顛倒夢想とは、ひっくりかえった夢の想い、つまり、すべての
思い込みや妄想などをさすのでしょう。
三世とは、現在・過去・未来に渡る仏さまです。
究境 涅槃、の意味は ’ねはんに行きつく’という意味です。
ねはんとは、悟りの世界です。
ですから、この行の意味は、
”悟りの智慧に依って、過去現在未来の仏(菩提が悟って仏となる)は
一切の妄想や思い込み(現象世界の事象や感情が実在だとおもうこと)
が無くなり、心のとらわれも消えたので 恐怖感はなくなった”
となります。
この現象世界に現れているものすべては 唯心所現(ゆいしんしょげん)
と言われるゆえんであります。
心が何かに捕らわれて入れば、捕らわれているものが眼前に現象となって
出現し、心が無心なら、空の状態、つまり、本来の満たされた状態が
現れるということでしょう。
あの人が憎いと思えば、口に出さずとも、自ずから、相手は感知します。
あの人が愛おしいと感じれば、相手も好感をもってくれます。
ただし、この唯心所現(ゆいしんしょげん)の世界もまだ二元論の
世界です。
そうした、心という 想念の受信機を、 ”空” の原点[物質世界
の本質、源)に 焦点を合わせることで、因縁も超えた世界へ、
文字通り、恐怖の無い世界へ移行できるわけです。
それでは、それらの恐怖心を克服できるのでしょうか?
その方法は簡単です。
ハンニャの智慧(悟りの智慧)に 焦点を合わせることで、恐怖心が
克服できます。
というよりも、恐怖心すら本来存在しないということを知ること
でしょう。私たちの根源は、”空”という完全エネルギーであること。
恐怖心は、ススキの穂 が幽霊に見えて怖がるのに似て、実態の
ない姿[蜃気楼]を心が創り上げ、それに脅えていることば多いのでは
ないでしょうか?
死が怖いといっても、死んでみると、”こんなものか” ときっと
思うに違いない。
そうでなければ、死から生還した人の話が、あんなに、共通している
はずはありません。”死”は怖くない、死後の世界は癒しと至福と愛に
満ちていて、それが自分の本質だと、魂態になって、初めて知った・・と
いう共通した感想です。
Copyright : NPO Spontaneous Healing Therapy Japan: All Rights Reserved.
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます