生まれ変わる人、そうでない人 2024/8/31
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・・ **************2024/9/12
地球での生活、は、二つに分けられます:
この生で、もう、生まれ変わりが無い人と、
また、次に、生まれ変わってくるべき人です。
生まれ変わらなくてもよい人にも、二つの選択があります。
言い換えれば、生まれ変わらなくてもよいのに、あえて
生まれてくる場合です。
それは、
誰かのため(主に不特定多数の他者)に 平和や幸せを導く
目的意識を強くもち、敢えて、この地球に、生まれ変わって
来るのです。
本来、生まれ変わらなくてもよい人というのは、すでに、
カルマをすべて清算してますから、肉体を脱いだままで、
意識態(幽体)として、存在し続けることができるわけです。
一方、この娑婆世界に、生まれ変わらなければ
ならない人は、これまで地球で着用していた服(肉体の心)
にしみこんだ 頑固な汚れやシミ(カルマ)を取ろうと、
これも、魂的には、意識して今の環境を選んで生まれてきて
いるのです。
カルマは肉体を脱いだら、無くなるというのは、違います。
生まれ変わるか否かは、このカルマ(シミや汚れ)の度合い
によるからです。
そもそも、カルマは、Reaction = 物理的法則です。
球を壁にぶつけたら、はねかえってくる、あの法則です。
Re と Action, の二つの文字の意味は、Actionに対して
反応=Re することから、カルマが生まれることを意味
してます。
私たちの魂は、幾度とない過去の生き様で、Reactionを
繰り返し、生まれ変わるたびにその、清算をしてきている
わけです。
Reactionを作るという行為は、キャッチボールにも似ています。
球を投げられて、良い球を反せば、お互いに、気持ちよく
プレーが続きますが、もし、どちらかが、きつい球や
届かない球を投げれば、相手がそれを拾いにいったり
相手も、それは、決して、楽しいものでは無いでしょう。
とくに、投げた側の、イライラ感や怒りなどが、その球に
込められていたら、素直に、良い球を投げ返せるでしょうか?
この投げ返すという行為が、ここでいう、Reactionになります。
人から受けた球は、行為の喩です。
それを、投げ返す反応(Reaction)には、三つの
タイプがあります。
①投げられた球と同じ球を反す人
②投げられてきた球を 受け止めて投げ返さない人
③投げられた球に、愛をこめて投げ返す人
①は、普通の人です。
それ以上に、強く痛いボールを投げ返す人もいます。
②は、憎しみや、不合理な言葉や行動を相手から受けても、
それを心に吸収したまま、”良い人”にして、波風たたせず、
自分の反応を敢えて示さない人です。
③は、そうした相手に対して、むしろ、反対に、愛をもって、
祝福とともに返す人です。
カルマを造らない方法は、③です。
今までのカルマを消去する方法も、③です。
一見すると、②の方法が良いように、思えますが、結局
はその人の心の奥にまだ、感情のしこりは残っている
ままなので、これもまた、カルマの種です。
解消しない限り、この世の地球服(肉体)を脱いだ後も
きちんと、カルマバランスシートには、つけられている
でしょう。
愛をもって返すとは、どういう仕草でしょうか?
それは、その球を自分の’アートマ’という、魂の本髄で
(グローブ)で受け止めることです。
そして、相手の’アートマ’にめがけて、投げ返すこと
です。
そのときは、憎しみや、悲しみとは違う次元の
変化球が、きちんと、相手に返っていくのです。
アートマとは、魂の本性(純粋性、愛)をさします。
誰にも、共通の、魂の本髄です。
どちらかしかありません。
アートマで受け止め、相手のアートマに返すか?
あるいは、肉体の心の次元で、受け止め、自分の肉体の心
の次元でそれを反すか?
どちらか一つの方法を、人は、どんな言動においても、選択して
いるわけです。
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今日は、私の他者へ投げかける言葉や行為が、どんな気持ちの
球なのか、考えて投げてみることにします。
自分のアートマを、この地球の肉体次元レベルに、折り重ねる
ことは、結構な修行です。
でも、一度、その行為を知ると、次からは、容易に、変化球
を投げることができていきます。
なぜなら、その時、自分が一番、幸せな何かを、感情として、
味わっているからです。
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