行動するときの心得
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以前、孔子の”論語”に匹敵ほど、インドでは誰もが
知っている、”ヴァカバッド・ギータ”を
紹介したことがあります。
”論語”と、違う点は、明確に、”神”と”人”との関係を
しながら、人の人として生きるべき道を説いている
点でしょう。
それは、クリシュナ神が語った言葉・・
いかに人は、己の真性を知り、真の魂の自由を得られるか、
束縛(肉体的・物質的・精神的な)を外せるかという
ことを、アルジュナに語っている書物です。
まるで、お釈迦様が弟子に語った、経典のようでもあります。
今日から、この協会の主旨である、”人が自然治癒力を
充分に発揮して健康態で生きる”
ということに関連するいくつかの、言葉を、ご紹介したい
と思います。
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① “Among these two, doing action is better than not doing it.
He, who neither hates nor desires is to be understood
as an eternal renunciant.
行動する方が行動しないより勝る。
憎しみも欲望もなくなったものは
世捨て人と理解されよう。
② Having freed himself from the attraction of the opposites,
he very easily frees himself from the bondage of action.
また、自分に向き合う魅惑的対象(誘惑)に左右され
なければ、行動の束縛からも解き放たれる。
③ It is the amateurs, not the scholars,
who describe knowledge and action as different.
また、知識と行動とは別物だというものは素人
(神の智慧において)で学者(熟知者)ではない。
④ He, who establishes himself firmly in any one of these two,
gets the benefit of both.
知識か行動か、どちらかにおいて、自己をしっかりと
確立したものは、双方の恩恵を受け取ることができる。
⓹ The final state of awareness attained by the enquirers of
knowledge is attained by the practitioners of selfless action
as also.
つまり、真理の知識を積み重ね、最終的に悟った人は
同時に、無我の行動の実践者になるのである。
⑥ Knowledge is the same as embracing divinity in action.
He, who realizes this, has indeed realized.
真理に至る知識とは、行動するうえで神性を意識して
いるということだ。
それを悟ったものは、まこと解脱を実践できる。
⑦ Without doing action and embracing divinity
while doing so, it is very difficult to give up the awareness
‘I’m the doer.’
行動しているとき、同時に、神性を心に抱いていないと、
‘行動を起こしている者(行為者)は私である’
という考えをなかなか捨てることは難しい。
⑧ But embracing action as divinity itself and becoming
skilled at this embrace, one rises to the awareness of
Brahman promptly.”
しかし、行動は、神性からなされているという考えを抱き、
それに徹することができたとき、人は即ブラフマン
(宇宙神)の智慧の高みに到達できるだろう。
(以上)ヴァカバッド・ギータ (5-2 to 5-6)より
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