宇宙ができたての頃、すべての素粒子は質量がなく、自由に動き
回っていたと最新の宇宙論の話で聞いた。
が、宇宙はだんだん様相が変わり、低温状態が続き、ヒッグス粒子
という宇宙起源に関係する粒子が、これらの自由な素粒子たちと
衝突する場ができてきたという。
それによって、自由に 空間を羽ばたいていた鳥の足に足かせ
が着いた如く、それまでのように素粒子は自由な移動が妨げられるよう
になった。 質量を持ったからだ。
少なくてもヒッグス粒子とぶつかる以前の粒子たちは、光より高速で
移動することができるエネルギー体であったのだろう。
虚空の空間、それは、私たちの五感の認識ではつかめない‘時間’と
‘空間’に束縛されることがない‘新しい空間’といえる。
三次元の現実から次元を超えた7次元の世界と、呼ぶ人もいる。
また、虚空の次元とは、”臨死体験で彷徨う世界”に似ているという
学者もいる。
元横浜市立みなと赤十字病院外科部長の長堀優(ながほり ゆたか)
医学博士は次のように言う。
“実は信じられない事に、この時空間を超えた世界を体験したと語る
人たちが実際にはいるのです。
それは、今まで科学的な視点からは決して議論されることのなかった、
いわゆる臨死体験者と呼ばれる人たちです。”(引用終わり)(*1)
臨死体験に関してはこのブログでも何度もとりあげている。
つい最近では、難治がん患者であった、アニタ・ムルジャーニー(*2)
の体験をこのブログでも、原著から拾ってご紹介した。
日本では、例えば、立花隆氏は木内鶴彦氏の体験談を次のように著書
(*3)に書いている:
“過去にも行けたし、現在の遠く離れた場所にも行けた。
これは、自分の動きが時間にも空間にも制約されないということなの
だから、もしかしたら、未来にもいけるんではないだろうか。・・・
ただ、未来に行ってみたいと念じていました・・・
大きな畳の部屋でたくさんの人を前にして、ぼくが星の話なんかを
しているところでした。・・
あのとき、‘もしこれが本当に未来ならば、ぼくは死んでいないと
いうことだ、いずれ、生き返るということだ’と嬉しかったことを
覚えています。”(引用終わり)
これらの場合は時間と空間を飛び越えた‘虚空’を体験したということに
なるだろう。
時間は”今”であっても、複数の空間を同時に体験することも、虚空の中では
可能のようだ。
先にお話しした、がん患者のアニタは、死を宣告された癌患者であった
にもかかわらず、臨死体験中、肉体から魂が抜けだしたことを自覚する
とともに、その同時点で、病院内の数か所の場所で起きていることや
そこで交わされている会話、また、その場にいる人たちの本心などを、
一瞬にして読み取り、見て聞いて理解している。
まさに、光より早く~だ。
そして、後日、それらのことを当事者に尋ねてみると、
“あなたはベッドの上で意識不明で横たわっていたのに!どうして、
あなたが寝ていた病院の一室より、離れた場所で起きていた事実を、
知っているの?”という一様な答えが返ってきて、魂が肉体を離れて、
苦痛も消えたとき、周りの医師関係者たちの話の内容を記憶していた
ことは、夢でも妄想でもなかったということが証明された。
臨死体験をせずとも、印度の聖者、スワミ・ユクテスワ師は、
弟子のヨガナンダ師に、ある瞬間、瞑想中、虚空に魂を泳がせて、
自分の周囲がパノラマのように360度見渡せて、同時にどこで
何が起きているかを認知させる体験をさせている。
物理学の基本に戻ると、“ある閉じた系の中のエネルギーの総量は
変化しない。
”エネルギーは形を変えながらも保存される”というエネルギーの
保存法則が適応されるとすれば、ヒトは死んでも、その人を動かしていた
生命体という本質的なエネルギーは形を変えて存在している~と
いうことになる。
だからこそ、臨死体験で眠っている意識のない肉体に見える状態下でも
そのエネルギーが体を離れて、意識をもって何かを体験している~という
ことになるのだろう。
つまり、光を超えた速さで、空間’という観念が通用しないところで、
活動しているのだ。
(*1)“見えない世界の科学が医療を変える” 2013年 星雲社
(*2)“Dying to be Me” Anita Moorjani 2012 Hay House
(*3)“証言 臨死体験”1996年 文芸春秋
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