自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ガンジー翁のヴェーダ哲学的スピリチュアルな政治方針とは?

2014年12月13日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

 ガンジーの万教帰一の信念  2014・12・13

*****************************

 

今年のノーベル平和賞を子供人権擁護で国際的に認められた

印度人社会福祉家が受賞した。平和運動としていろいろな活動があるが、

政治家ではガンジー翁が世界的に認められている。

彼は 非暴力主義を貫いた人だった。

 

1948年1月30日ニューデリーの家の庭で、庭に潜んでいた暴漢に

暗殺されたのは 、長年の非暴力を貫いた植民地時代の無抵抗の

戦いを経て、イギリスから独立を勝ち取って後、わずか5か月後

のことであった。

 

非暴力主義を貫いて、印度を独立に導いたガンジーは時の政府、

イギリスインド総督時代、民衆を政治的に扇動したということで

監獄に何度も入れらた。

 

独立後、初代の首相が、ガンジーの常にそばにいて支えてきた

ジャワハルラル・ネール氏だった。


彼は、ガンジーが暗殺された直後、次のように語った。

“ガンジーは真の意味における、国民の父であったが、一人の狂人が

彼を殺した。


何百万もの人々が、今やその光を失って嘆き悲しんでいる。

この国を照らしていたその光はありきたりの光ではなかった。

この光は今後も専念はこの国を照らしつづけ、世界もまた

それを見るだろう“

 

この光、それこそ非暴力の光だったに違いない。

ガンジーは生前次のような言葉を残している。


“非暴力が人々の中に住み着いた。それは今後も住み続けるだろう。

これこそ世界平和の先触れだ。”

 

さて、非暴力という言葉、われわれ日本人にはあまり馴染みがない

言葉だが、どのような意味合いがあったのだろう。 


ガンジーの有名な言葉がある。

“サティヤグラヒス(非暴力主義者)はたとえ、相手から20回

騙されても21回目の真実を信じようとする。

なぜならば、人間の本性に対する絶対の信頼こそ、

サティヤグラヒスの信条の本質だからである。“

 

”人間の本性、アートマに対する絶対な信頼がある”からこそ、

非暴力主義を貫くことができる

とガンジーはいう。


赦しと愛 それがこの主義の根底に流れる。

お互いに、神の子として生まれてきた。

今は互いに敵対していても、誤解があっても、憎しみ合っても悲しみを

与えられても、受け入れ、それを許す。そうした 真の愛の中で 

相手に対する信頼を失わず、調和の中に、必ず、心からの抱擁で 

互いを認めることができるようになる~

それが ガンジーの信念だった。

 

武器をもって、力をもって、相手を屈し、自分の主義主張を

認めさせようとするその心にはすでに”暴力的な発動の種”

はらんでいる。


愛と赦しこそ、今こそ、私事公事にかかわらず、求められている

時代はないとガンジーは 自ら政治の場で静かな無抵抗を貫き、

沈黙の中で訴えた。

 

それはまるで キリストが教えた 目には目を、歯には歯を、と

いわれていたことは、あなた方の聞いているところである。 

しかし、私はあなた方に言う。悪人に手向かうなかれ。

もし、誰かがあなたの右の頬を打ったのなら、左の頬もむけて

やりなさい”(マタイによる福音書5章38~39節)

の言葉の実践そのもののようでもある。

 

非暴力主義をサティヤグラハと呼ぶ。

もともとの、サンスクリット語の意味は“真理を順奉する”と

いう意味だ。


ガンジーのたてた真理とは具体的にどのようなものだったのだろうか?


ガンジーの熱心な信奉者はサティヤグラヒスと呼ばれ、彼らは 

ガンジーの行いを通して、自主的に以下のような誓いをたてた。

 

“暴力を用いない事、真理に従うこと、盗みをしないこと、

禁欲を守ること、何物をも所有せぬこと、労働をいとわぬこと、

嗜好品をつつしむこと、何物を恐れない事、いかなる宗教をも平等に

敬すること、スワデシ[自家製品または国産品]を用いること、

アンタッチャブルカーストの人たちを解放すること、これら11か

条の誓いを謙譲の精神をもって守ること“

 

何物をも所有しないことというのは、自分の物であるという執着

の情への戒めだろう。


アンタッチャブルのカーストというのは、ハリジャンと呼ばれる、

正規のカースト以外の階級を指す。

印度古来からのカースト制度の階級に所属しない、いわゆる、

卑賤民への差別を撤廃することをここで謳っている。


スワデシを用いるというのは、自国製品を活用して産業を国内で

活発化するという意図があった。 

 

インドの国旗には紡ぎ車が織り込まれているが、これは 

ガンジー自ら自分で糸を紡いでいたときの 紡ぎ車がデザインされて

いるといわれる。

彼自身、自分で織り上げた木綿の質素な服をまとっていた。


彼の部屋には自ら使っていた小さな紡ぎ車が置いてある。

イギリスのエリザベス女王に招かれ バッキンガム宮殿に赴いたときも、

紡いだ手製の木綿の質素な服装のまま謁見した。


それは どんなに華やかな正装より、インド人としての誇りに輝き、

自己の信念を織り込んだ、それ以上ガンジーにふさわしい服装は

なかったであろう。

 

ヨガナンダ師がガンジーの宿泊所(アシュラム)のあるワルダーを

訪れたのは1935年8月27日だった。

その時の印象を”あるヨギの自叙伝”に次のように記している。

 

“宿舎に戻った私は、いたるところに顕れている徹底した質素と

自己犠牲の精神にあらためて、心を打たれた。


ガンジーの無所得の誓いは 彼が結婚後、まもなく取り入れた。

彼は年収2万ドルを超える繁盛していた法律事務所の仕事を放棄して、

自分の全財産を貧しい人々に分け与えたのである。”

 

ガンジーはその時、ヨガナンダ師に自分の信条を次のように述べている。


“私は キリスト教の聖書も、コーランも、ゼンド・アヴェスタ

(ゾロアスター教経典)も、ヴェーダと同様、神の霊感によって、

書かれた書であると信じている。


真理を学ぶ場合、私は聖なる師(グル)につくのが最も望ましいと

確信しているが、真のグルに値するほど、完全な悟りと純粋さを

そなえた師をみつけることが、きわめて困難な時代においては、

多数の人は、グルなしでやっていかなければならない。


だからといって、現代人は決しておのれの宗教の真理を理解

することに絶望する必要はない。

なぜならば、ヒンズー教も他のいかなる偉大な宗教も、その根本原理は

一つで理解しやすいものだからである。

 

私はすべてのヒンズー教徒と同様、神と、神の唯一性をしんじており、

また、生まれ変わりや神の救いも信じている。・・・


バガヴァッド・ギータやラマヤーナほど、私の心に喜びを与えてくれる

ものはない、おそらく、私が最後の息を引き取るときに私を

慰めてくれるものはギータ―であろう。・・・


もし、キリストが今日地上に再び下生しておられたら、

‘私にむかって、主よ主よというものがみな天国にはいるのではない。

ただ、天にいます父のみ旨を行うものだけが入るのである‘ 

と記されているように、彼はキリストの名さえしらない多くの人々

にも祝福を与えられるだろう。“

 

最後に、非暴力主義の意義をガンジー自らの言葉で次のように

述べたとあるヨギの自叙伝に記されている。


“(非暴力の掟)を築き上げるのには、われわれは毎日の生活の

中でそれを実行してゆかなければならない。


闘いのあるところ、妨害者のいるところ、われわれは愛を

もって征服すべきである。 

私は自分自身の幾多の体験によって、破壊の掟では解決されない。


多くの問題が不動の愛の掟によって解決されることを知っている。・・

そのために 心と行動と言葉が完全に一致しなければ完

全な非暴力を達成することはできない“

 

自分に甘く、人に厳しくなるのが人の常だ。自分自身を統制する

ことほど、ある意味、勇気と力のいる仕事はないかもしれない。


甘言や虚言ではなく、心が一致した真言をはき、真言のように、

動をしていくのにはさらなる努力と意思が必要となるだろう。

ガンジーは言う。

 

“我々が、このような真理と非暴力を、世の中の掟にしようと

決意したとき、あらゆる問題は、真の解決の兆しを見せるであろう。”

 


 

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体の凝りと家族・社会への相関関係

2014年12月10日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

凝りも積もれば病変となる   2014・12・10

**********************************

 

身体のつまりや凝りは、それが堅固になるにつれ、

身体内外に拡散作用を及ぼす。


つまり、体の有機的につながっている部分に拡散するのみならず、

身近な人へ、たとえば、家族同士でもその凝りを受け合っている。


私は主人の現役記者時代、このことを体験している。。

20代から30代の初め地方支局在任していたが、早出、遅出、夜勤、

など、結構ハードなシフトで 泊りで取材に出て記事を送り、

そのまま夜勤に入るというよう日もあった。


心身疲労がたまっている主人が帰宅すると、玄関を入ってきたや

いなや、私の体にとても重いベールが、かかるようにどっと、

だるさが増すような感覚を覚えた。


これが〝凝りの拡散“であると納得したのは 自分自身でセラピー

を行うようになってからだった。

 

家族の中に、身体のつまりや凝りをもっている人がいると、

“連帯責任”のように、凝りの自分より軽い者にむかって、その 

重さが移行していく。


一家の主人がとても元気で事業や公務の忙しさにもかかわらず、

健康を維持しているのに対し、その妻が特別な仕事をしている

わけではないのに、疲れやすく感じる場合がある。


時には病弱になっていくというケースも こうした 連帯波動に

関係していることもあるようだ。

そのことは姑(はは)も治療現場でみている。


著書から引用すると

“人間一個の身体は己れ一人だけのものと思われがちであるが、

実は絶えず、ほかの身体の影響をもうけているのである。 


身体には宇宙の‘気’という電気に類似したものが流れていて、

身体の損傷により、この気に乱れを生じ、ひきつれ、つまりを

形成するのであるが、このひきつれ、つまりが重度になると、

軽い人へと拡散する作用が起こる。


鋭敏な身体を持っているのなら、人と対するとき、即座かまたは

緩慢に相手の身体の凝りが重圧となって、自分にのしかかって

くるのがわかる。


たとえば、家族の中に一人、非常に身体の不調な者が存在する場合、

その家族は必ず影響をこうむっている。“

と述べている。

 

ペットを飼っている人達の間で良く聞く話だが、

うちの子(飼い猫や飼い犬)が身代わりになってくれた。” 

ということも、上の話に似ていて、現実に有り得るのかも

しれない。


飼い主の体の凝りや業(カルマ)まで、ペットは、自分の上に

背負って肩代わりする。

飼い主を愛する彼らの心情はその純粋性ゆえに、理解できる


姑(はは)は言う。

“家族の物の身体の調子がこうして、楽になっていくことが

ままある。 

現世の仕組みは身体に関しても、すべて連帯責任のような

目に見えない法則があり、自分の身体は自分だけのものだから、

何をしようと、勝手というわけにはいかないようだ。”

 

さて、話は飛ぶようだが、人と人との間にこのような

相関関係があるのなら、人と機械の間ではどうだろうか?


昨今のコンピューター(スマホなどの製品も含む)時代に 

怪奇な殺人事件や、多重人格者の起こす事件、そこまでではなくても、

うつ病や疎外感で、殻にとじ込みがちな人が増えているというは

何らかの関係があるのだろうか?

 

姑(はは)は治療体験から、これらコンピューターが体に及ぼす

影響などをみて次のように述べている。


無理を重ねて、コンピューターで卒論を仕上げた その若い患者は

平成7年の暮れから8年にかけての2か月で5kg太り、文字を

書くと疲れ、集中力が減退していく自覚を持った。


疲れると頭痛がするという。

さらに幼少の時、左右前腕に骨折を何度か繰り返し10歳の時には

マット運動で鞭うち状態になりギブスをはめていた。


高校生の時は両足の骨膜炎を発症、大学生の時、鉄のパイプで

右側頭部を強打している。


このような損傷打撲を負ってさらに、卒論執筆中に一種のノイローゼ

状態になったといって姑(はは)のもとを訪れている。

“許容量を超えた(卒論時の)脳の酷使と、過去の損傷とが

ノイローゼやうつ病を引き起こしている”

と、姑(はは)は判断して、前頭部、前胸部、両手をほごし、

さらに後頭部、後頚、上背部に神気を放射して解いていく

治療を続けた。


少しずつ良好に向かったことはいうまでもないが、それでも

平成82月から平成91月の段階では、まだ就職して日常勤務

に耐えるほどの回復はみなかったと記されている。

 

人の身体は家庭や仕事環境の中で間断なく周囲からの

影響を受けているものだが、

どうしたらこうした影響を最小に防げるのだろう?

 

疲れを知る体”になることがまず、第一だと 姑(はは)いう。

 

昭和43年、指圧学校の2年生になったとき、運動マッサージの理論で

世界的に著名な上智大学の先生の講義があった。 

冒頭に‘疲れを知る身体になること’と黒板に書いた。”

そして、

“卒業して数年経た頃より、真の意味の‘疲れを知る’ということが、

理解できるようになった。


一般に人が‘ああ、疲れた’というときは、限界を超えている時

が多いのである。


身体は鋭敏になってくると、己の身体のつまり具合がよく感じ

取れるようになる”


こうして、身体が鋭敏になり、過度に詰まる前に、

‘疲れている’と自覚することができれば、身体に無理を強いる

こともないというのだ。

 

その都度、適当な休みを入れたり、気分を転換させたりしながら、

身体を酷使をしないよう心がけることで、長い目でみたときの、

身体の調子も違ってくるだろう。


毎日 人は無意識に、身体や頭を使い、”疲れた”という 身体が流す

サインを見逃していると、そのうち、、何らかの異常を感じるようになる。

 

その部位の凝りやつまりを重ね これが限界に達したとき、

その部位から拡散し思わぬ身体の箇所に 何らかの、症状と

なって現れるのが、いわゆる、病変といわれるものだろうと

思うのである。

 

 

姑(はは)須田正子の著書・・写真上の二冊の著書”ホツマツタヱ”

 

 

 

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風邪は上手に経過させるもの~(母の事例) 

2014年12月06日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 血圧と風邪の関係    2014・12・8 

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臨時投稿させていただく。

 10月20日(土曜日)~2012に投稿した記事を少し直してみた。

インフルエンザが猛威を振るい始めているとニュースを昨日聞いた。

例年より早い時期にすでに患者が急増しているという。

ここで、もう一度、風邪の意味を自然治癒力的に考えてみたい。

 

風邪の”体の調整”とはどういうことかというと、体の柔軟性を

回復させて、順気のめぐりを良くして、コリ”や”つまり” を 

自然治癒力で解いてくれることだと、順気の流れを感じること

のできる人は知っている。 


風邪をひいて、柔軟性を回復すると弾力が戻ると言われても

ピンとこないだろう。 

"弾力が戻る"と どのように変化が起きるのだろうか?

 

風邪をひいて血圧が下がるのが、良い例である。

風邪をひいたあと、血圧が高かった人が、低くなるのは、

体全体に弾力がもどり、柔軟性が増したためだ~と考えられる。


つまり、血管の硬化状態(つまりがある状態)が平常に

戻ったためと言える。

血管が柔らかくなれば、圧迫されない分、血圧が下がるという

ことになる

 

私の84歳の実母は7年程前, 血圧が、170であったので、

当時(2007年前後)、血圧を下げる薬を飲み始めていた。


ところが、飲み始めてから数か月後、ちょうど私がインドから

一時帰国したとき、母の変化を感じた。 

どこか、精神的にボーとして、機敏性が薄れて、気持ちも

浮かないのか、お洒落に気を使わなくなり、靴のかかとを

踏んだまま、つっかけのように ひっかけて平気で

外出する姿を見た。 


その歩くさまと姿は、まるで認知症特有の老人の徘徊

のようにさえ感じられた。(母の死因については後記参照)

 

その時、普段は薬を飲まない父が、高血圧だけは、脳の血管

破れることもあり、怖いからという理由で、母に血圧を

下げる薬を飲ませていることを知った。 

 

アートマセラピーを日本にいる家族に施そうと思ったのは

この時が初めてだった。

父に説明をして、了承を得て、しばらく、薬を保留してもらい、

集中的に母にセラピーをして、数日間で圧を、140まで落とした。


すると、母は、薬を飲まないときの方が 気分が良いといって、

それ以来、少々血圧が上がっても、薬は飲まなくなった。 


認知症の要介護3になって、月に一度薬なし(薬の処方無し) 

の健診に病院へ伺う。

現在も、母の血圧が高いことには変わらない。 


190、否、それ以上の時もある。

ずいぶん前に、主治医からは以前、高血圧を抑える薬の

お話しをいただいた。 

その時点で、私は、主治医と 話し合った。


自然治癒力という、自分自身の見解をお話ししたりして、

幸いにも、先生のご理解をいただいた。

 

MRIで脳を徹底的に検査した折、すでに、小さな脳梗塞は

発見されており、高血圧もからんで、の治療となると、

かなり、母の小さな体と高齢から負担が伴うことを、医師に

示唆された。


血圧を低くしても、母の脳の状況では、いつ、クモ膜下出血が

起こっても不思議でないと、すでに数年前に医師から言われている。

 

その折、先生とお話しさせていただいた中で 血圧が高いという

ことが、一概に悪いと思っていないこと

血圧が高いことより、血管が硬化しているほうが怖いこと


だから、自然治癒力によって、体全体の柔軟性を保つことが第一義

この三点を重点を強調して、話し合った。

 

血管が硬化して、血圧が高ければ、破れて、脳溢血や脳梗塞

をひきおこす。 

血管の壁が柔軟に対応していれば、そのリスクはかなり減る。 


血圧が高くても、体全体のバランスが柔軟に順気が整って

いれば、高血圧の薬を飲んで、その合併症や副作用を

もたらされず、日常を健全に過ごせるはずだ・・という 

私なりの思いがあった。


血管のみならず、体全体の細胞、そして、ひいては、

心の柔軟化が健康の維持に必要だ

 

元気(気の元)はそうした、柔らかい体組織に浸透して

いくからだ。

元気が浸透して、体を満たしていれば、自然治癒力が働く。

 

上手に風邪をひくとはどういうことなのだろうか?

整体創始者、野口晴哉氏は以下のように述べている(*1):

 

”肩が凝るとか、首が凝るとかいうことを感じている間は倒れない。

そういうのを感じなくなると、バタッと行く。


ところが、上手に風邪さえひけば、血圧も下がるし、体の硬張り

もなくなる。 

だから、風邪を引くと脳溢血にならない。


脳溢血になった人の過去を丁寧に見ると、ある時期から急に

風邪をひかなくなっている必ずそういう時期がある。”

 

”コリ(凝る)がある”、”こっている” という感覚がある人は

健全だ。

本当に凝り切ってしまうと、凝っているという感覚さえなくなる。 

コリは (”経絡”=けいらくを通じて)巡り巡って、知らず知らず

頭や心臓・その他内臓影響を与えていく

 

”コリを気が付かずに、放っておく” と、バタッと倒れてしまうと、

野口氏は言われる理由がそこにあると思う。

ちなみに、コリは体の芯から解くことが必要だとおもう。 


よく、湿布薬などをその部分に当てている方がいるが、これは

あくまで一時的な効用しかないのだと思う。 

その理由は、私たちの コリ の原因は 順気のつまりで、 

これは生きている気だ。 


生きている気 は、決して、物質的な機械的波動や、生命力

のない刺激からでは、簡単に左右されない。 


私たちの体が有機的であり、機械と異なり生命力という

目に見えない電流が流れているのなら、生きている

気しか、その電流に 真の影響を与えないからだ。

 

五感感覚の、”触れて感じる” 部分で、一時的に気持ちよく

なっても、真から解くということとは、意味合いが違う。 

別の種類の一時的快感であることが多い。

 

風邪をひくことは、”自然治療”なのだ 

体をほぐすために、身体に備わった各器官が智慧を働かせて、

コンピューターより精密な企画をたてて、どう、硬化した部署

ほぐすかというところを、綿密に計算して風邪の症状を

引き起こす。


だから、野口氏の言われるように、”風邪をこまめに引いている

人のほうが、脳溢血になりにくい”という話の筋になる。

 

風邪をこまめにひくというと、自分はそんなことは無いと

思われる方が多いと思うが、半日、のどがいがらっぽかった、

とか、鼻水が出たとかの経験はないだろうか?  


もっと、短い風邪をひく方もいる。 

よくセラピー中、くしゃみを連続してされる方がいる。 


”アレルギーで・・” と言われるが、これも、ある意味で

風邪の症状だ。

つまり、自然治癒力が発動して、コリ の部分を柔軟化

するために、”くしゃみ”が出るのだ。


野口氏はさらに続けて次のように言われる:

 

”早く風邪を治そうとして、熱を下げようとしたり、咳を

止めようとしたり、というような、中断法ばかり講じていると、

風邪を治そうとしながら、体が硬張り、治療をしながら、

体がだんだん鈍くなるというようなことになる”

 

上手に風邪をひくとは、ここにヒントがあるようだ。

つまり、熱、咳、などの症状を止めるのではなく、

その症状ができるまで、体を楽にして、安静に無理せず、

暖かくして、水分をとりながら、

その経過をきちんと見届けるということなのだ

 

以前にブログで引用させていただいた内科医の内田久子先生も、

熱や下痢、その他症状は体の自然浄化作用であると言われている


私自身の体験でも、風邪の症状をどのように、とらえるかと

いうことが、体を健康に保つ秘訣になっている。

風邪とインフルエンザとは違うと思う方もいるかもしれない。


一口に風邪といっても、いろいろな風邪がある。

小児麻痺や天然痘も風邪の一種であるということが話題になった

 

熱病の一種のデング熱というのがある。 

息子がインドにいる間2度かかり、私も1度かかった。

これは蚊を媒体とするといわれているが、実際、対処療法がない

といわれている。 


ある意味では私はこれも風邪の一種ではないかと思う。 

こうした特別な風邪以外に、頭の酷使でも風邪をひく。

消化器に負担をかけすぎても風邪をひく。

栄養過多で腎臓に負担をかけていれば、そこから風邪をひく。

心配性の人は神経系統から風邪をひく。

 

要は、体の柔軟性がアンバランスになって偏ったとき、人は

風邪をひきやすい状況にある といえるだろう。

それぞれ、それなりの風邪をひき終わると、偏りが改善されて

疲れていた部分の回復し、風邪ひき前とくらべ、体全体の

バランスがよくなり、順気(じゅんき)が回る。

 

野口氏が言われるように、

風邪は治療するものではくて、経過するものであるという意味が

ここにあるのだと思う。


 

*後記:

①当時は認知症見解は示されていなかった。

 

②この記事発表から3年後、母は他界した。

亡原因は 解剖の結果、心不全だった。

2007年に高血圧の薬を一切取らなくなってからも、

高血圧症は、亡くなるまで続いていた。 

しかし母自身は健康であった。それ以外の常備薬もなく、

内臓器官機能数は正常で、認知症であることと、

左右大腿骨骨折のため、車いす生活を余儀なくされた以外は、

配されていたクモ膜下や脳溢血などは 

なかったことを付け加えさせていただきたい。(2019/1/21記述) 

 

(*1) "風邪の効用” 昭和53年 野口晴哉  発行所:株式会社 全生

 

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無くて七癖:爪をかむ癖

2014年12月04日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

暑がり屋さんは体が冷えている   2014・12・4

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皆様の中には爪を噛むクセのある人がいるかもしれない。

筆者の友人にも、普段無意識に爪を噛んで、爪が変形している

人がいる。


爪をかむことが身体に大きな影響を与えていると姑(はは)は言う。

その癖を持つ人が 姑(はは)のところに来た。、

“爪がほとんど退化し、指頭の指紋もなく、指の堅さは異常であった。

私が‘なんですか、これは’ というと、

‘子供のときから爪を噛むクセがあり、ストレスがたまると、

余計に噛みたくなる。母も娘が噛むクセがあります。’という。“

 

さらに、患者は蕁麻疹(じんましん)が全身に生じたことがあり、

その痒さを防ぐため、アイスノンで顔、背中、を冷やしていた。


アイスノンなどで熱を冷ますため、あるいは、かゆみ止めにとかいう

理由でも、体を冷やすと、それが後遺症として その箇所の萎縮と

いう形で残る。


萎縮すれば、つまりが生じ、後日、身体に悪影響を与えやすい。

姑(はは)はまず、この冷えで萎縮した箇所を伸ばすことからはじめ

顔と背中に重点的に神気を放射させた。


効果た伴うセラピーには ほとんどと言ってよいほど、”反応”と呼ばれる

浄化作用が術後に出るのが普通だ。

いわゆる 揉みかえし と呼ばれ症状ににて、善くなるどころか

症状が悪化したように見える。


この女性にも反応が出た。

彼女は 報告した。

“一週間後、急に腹痛をおこして、二日間苦しんだあと、病院に行き、

虫垂炎と診断された。


医者としては白血球が増加しているわけでもないので、この薬

アレルギーの身体を手術することを躊躇して、しばらく様子を見よう

と自宅に帰された”

という。


その後 姑(はは)のところに再び治療に来たこの女性。

玄関に入ってきたとき、

“逢った瞬間、私の臍[へそ]部位周辺に痛みと冷えを感じた”

ため、姑(はは)は

“この腹痛が虫垂炎によるものではなく、治療のアンバランスに

よって生じた”ものだと判断した。

 

爪を噛んでいた箇所から、委縮が拡散していた。

そこで、爪を噛んで萎縮した指頭を中心に解いた。


すると、解かれていくにつれ、臍部から下腹部へとエネルギーが

下降しだんだんと 姑(はは)の受けた、腹痛がおさまってきた

という。

 

両手の治療が終わるころにはすっかりその痛みも治まった。

こうして 半信半疑で受けていた姑(はは)の治療に納得した

この女性は 徐々に身体の調子が整っていたことを認めた。

 

冷えというのは怖い。

夏に、発汗をしないで冷房の中で過ごした体が 自然治癒力という

本来の体の機能のバランスを崩して、風邪や熱中症などにかかり

やすくなる。


体感機能の調整が できなくなるのもその理由の一つだろう。

 

この女性も、蕁麻疹の出たとき全身をアイスノンで冷やしたり、

熱の出た時は大いに発汗させないで熱止めを飲んだりしていたため、

体につまりや引き連れを生じさせていた。

 

さらに、長年会社に勤務していた際の冷房の身体の冷えが残っていて、

そのつまりをほどくことで、活力が増してきたという。

“今までだったら、考えられなかった毛糸の編み物ができるようになった”

ぐらいまで回復してきた。

 

さて、冷えていると言われてもピンとこない人が多い。

“わたしは暑がりで、すぐ汗をかくぐらいだ。”

と反論する人もいるが、実は あつがりやの体質こそ、冷え症の

裏返しでもある。

 

実家の母は 秋口で少々空気がひんやり感じられてきても

暑い暑いが口癖だった。

腰を冷やさないよう、下着をもう一枚増やすように勧めても、すぐ、

“暑い”と言う。


慣れているか寒くない”というのだが、冷えがつまりを生じ、

寒さを感じなくなってしまったというほうが適切だろう。


実母は若いころから、ズボンやスラックスを穿いたことがないようだ。

15年ほどまえ、寒いオランダに旅行したとき、冷えないようにと

無理やりズボンを持参してもらった。


現地ではく折には、

“戦時中を思い出させるようなモンペみたいで、しっくりこない”

と不満をもらしていた。


7年前、父が生きていた頃まで、真冬でもスカートに

ナイロンのストッキングという いでたちだった。

 

姑(はは)はこうした暑がり屋さんの体質について次のように

記している。

“特異体質で12月末なのに、部屋の暖房もだめ、敷布団もあたためず、

掛布団も一切かけず、治療を始めた

とある。


それは少しでも熱いと感じると、頭がのぼせて、顔面が紅潮。

眼が充血して、真冬でも寒いぐらいが体調が良く感じられるからだと

いうのだ。


この症状は30歳前後から始まったと言う。

姑(はは)は この患者の要望にそって部屋を暖めず、

“寒さにふるえながら”治療を始めた。

患者の表面組織が冷えているため、まず、全身のひきつれ、

つまりをほぐしていく。


三回目の治療時、一月上旬、暖房なしの部屋でも 姑(はは)

の背中が最初ほど寒く感じられなくなった。

これは患者の冷えが取れてきたからだ。


患者は“治療の途中から寒さを感じてきました”という。

正常な体に戻りつつあった。


“正常な身体なら、寒中は寒く感ずるのが当たり前であるのに、

あつがる身体が異常である。


身体の詰まりと冷えがとれてゆく過程において、きっと寒さを

感ずるはずだと思っていたら案の定だった。”

と姑(はは)は綴っている。

 

こうして毎週一度の治療を受けて、5月早々、この方は二日間の日程で

九州出張にでかけたが、今までと違い、疲れた様子もなく、

充血ぎみだった両眼は澄んできた。

 

暑がり屋の要因も、姑(はは)の観察によれば、青年時代に

自転車で転倒した際の骨盤底部、仙骨部の強打にあるという。


全身をほぐすとともに、尾骨、仙骨部、腰部を重点的にエネルギーを

放射させることで 重い肢部分が軽くなってきたという自覚が

出てきた。

それと並行して、自然と暑がりやの症状も改善した。

 

 

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神経症:

2014年12月01日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

姑(はは)の神経症 2014・12・1

***********************************

カイロプラクティスの一般的調整法として、

以下のような 頸椎(けいつい)

と身体の関連性が知られている。。

第一頸椎

精神病・神経衰弱・ヒステリー・心気症・

憂鬱賞・妄想・頭痛・めまい

・不眠症・脳充血・中毒性疾患・

顔面神経麻痺・半身不随・痛風・脳水腫

・脊髄髄膜炎・神経性疾患

第二頸椎

にきび・神経衰弱・ヒステリー・頭痛・

ヒポコンドリー・顔面神経痙攣(けいれん)

・尿毒症・頭部発汗症・脳疾患・顔面神経麻痺・

第四頸椎

神経衰弱・ヒステリー・ヒポコンドリー・

鼻カタル・三叉神経痛・アデノイド

・アディソン病・顔面神経麻痺・脳充血・

頭痛・弱視・扁桃腺炎・ヘルペス・

 

 

以上第四頸椎までの症状を見てみると、

いずれにも共通しているのが、

ヒステリー や ヒポコンドリー、などの

神経衰弱の症状だ。

頸椎に”ずれ”を生じている場合、このような症状が出やすいと

カイロプラクティスではいわれる。

 

頸椎に”ずれ”を生じているとはどういうことだろうか?

 

頸椎に直接 何らかの外部の刺激が与えられたとき以外に、

むしろ、別な箇所、たとえば、”骨盤底部”に損傷を

受けたときでも、

瞬時の強い衝撃の場合、頸椎上部に影響を与え

そこに、ずれを生じることがある。

 

その場合、”頸椎上部のずれ”を治しても、根本の

”底部の損傷”のつまりを解かなければ、また、もとの

状態に戻ってしまうと神気法を施術する姑(はは)はいう。

 

実は姑(はは)自身、若いころ、神経症を患っていた時期

があった。

その体験を 自著に綴っている。

もう半世紀ぐらい前の話だ。


“遊びにいった青山外苑の妹の家より、息子と姪を連れて

銀座まで買い物に出かけた。


帰りは5時半ごろでラッシュ時にかかり、地下鉄新橋駅より

満員の乗客で電車の揺れるごとに乗客の身体が片寄る。

5歳ぐらいであったと思われる姪をかばおうとして、

つり革に渾身の力を込めて踏ん張ったとき、身体の

どこかでギクッと音がしたように覚えた。


急に眼前がかすみ、耳の中がガーンとして音を遠くに感じ、

苦しくなってきた。”

 

このとき以後、夕方になると、

“頭の中がぼーっとして眼前が薄暗くなり、

別世界にいるような感じ”

が起こるようになったという。


そして小康状態が続いていたが3年後に症状が再び

発覚してくる。

“三年後、視神経の酷使と対人関係のショックや大脳の

酷使が重なって、頭部が緊張し始め、特に第七頸椎の棘突起(大椎)

の周辺が重くなり出していた。


頭部が胴体の中に引きこまれそうな前駆症状は、

23か月前からあったが、決定的な症状が起きたのは、

駅まで親戚のものを迎えに行こうとしたときであった。


門を一歩出るや否や、右顎に緊張がおき、咽喉がつまり、

全身が寒く震えが起き出した。途中で引き返し、

ソファに寝転んだ。 

時刻は4時半ごろである。


間もなく、親戚のものが到着し、母と話している声が

聞こえるだけで、心臓の鼓動は異様に高まり、すべての音が

やかましく、呼吸困難となる。 


部屋を閉め切って、真っ暗の中で苦しさと闘っていた。

母は医者の娘と生まれながら、現代医学を否定するほうなので、

歯医者以外は昭和10年以降治療を受けたことがなかった。“

 

現代医学に決定的信頼がおけない~という須田の家の体質は

りょうおばあ様から受け継がれているのだろうか?


姑(はは)は 嫁いできてから、嫁の私に~我が家は“常識に

しばられない”~

という言葉を何度か使ったが、これは”病気に対する姿勢”にも

通用したのかもしれない。


そのおかげで 心安く アートマセラピーで 息子や自身の

心身の不調時の対応することに罪悪感などを感ぜずに

これたことを感謝せずにはいられない。

 

話しがずれたが、このときの姑(はは)は“音が迫って

くる恐怖感”を体験していたという。

りょう御ばあ様から 筆者の母親が伺って筆者に語った

エピソードと一致する。


姑(はは)が神経症でソファーに休んでいるとき、近所の

熊野神社の盆踊りのレコードが朝から晩までスピーカーで

流れていた。

その音に耐え切れず、“スピーカーの音量を小さくするよう、

頼んできてほしい”と御ばあ様に心底苦しそうに乞うたという。

“このときほど、困ったなと思ったことはそうそうなかった”

と筆者の母に語ったそうだ。


しかし、すべての事には神の計らいがあるのだろう。

この神経症的症状で苦しんださなか、姑(はは)は”精神生活”

という心の内側に眼をむけることになる。

 

そのあたりを自著から抜粋すると:

“このまま死ぬのかと思った。夜の九時半ごろになって、

発作は止まった。

この苦しいさなかに考えたことは、子供のことでも、

両親のことでもなく今の自分は何の修行も積んでいないので

満足して死ねる覚悟のないことを、恐れたのであった。


‘どうしても死ななければならないのなら、あと、半年で

よいから生かして置いてください。

その間に何とか死んでも悔いのない心境を準備しますから’と

必死の思いで祈った。・・・


私は、このときまで我が強く、わがままで自己中心的な人物

であったのだが、急に精神分野に眼を向けさせられたのである。“

 

それでも発作以後、すぐに体調が良好に向かったわけで

はなかった。

この発作以後、門より一歩でも外に出ることが恐ろしく、

寒い風がスーッと頬をなでるだけで、右頬に痙攣が起きて、

気分が悪くなる。”


こうした体験を経て、秀真伝えの研究に没頭し、それと平行して、

背後の神霊からの計らいで 姑(はは)は神気法と

いう治療を行うようになっていったのである。

 

引き連れ、つまりの原理を理解すると、自己治療するようになった。

そして幼児よりの怪我や打撲など、つまりの原因と

なった部位を見直し解いていった。


特に、神経症になった決定的要因とみられる、肩関節の損傷や

右頸椎の硬縮、後頭骨と第一頸椎の間隙を和げるために

手をあてた。

 

こうして思考力、記憶力、集中力を回復させて神経症で

苦しんだ症状を自ら克服するに至ったのだ。

そして 神経症で悩む方達に”根本からのつまり”を

ほどくことで改善を計る施術を続けておられる。

 

 

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