自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

究極のマントラ(3)~ヒマラヤの麓の道場(アシュラム)

2019年08月01日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

 シャンティクンジュの創始者、アチャリヤ師のガヤトリーマントラとの出会い 2019・8・1

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悠久な流れ~

ガンジス川(母の分骨した骨を聖流に慰霊の儀式後、流した折りに映す)

 

前書き)

"祈り"は眼に見えない科学の一つだと考える。

なぜなら、”祈り”はほとんど確実に何らかの影響力を持つものだから。

私がタイトルでつかっている”究極のマントラ”とは、真言や祈りの

言葉など、無数にあるそれらの中でインドにおいて、

最もパワフルと言われている”ガヤトリーマントラ”をさしている。


このサンスクリット語で語られるマントラの存在を知っている人

は少なくないが、その言葉の意味を理解している人は多くはない

だろう。

 

このマントラが、”究極”なそれと呼ばれる所以(ゆえん)は何か? 

インド古代から伝わるヴェーダ哲学の真意を表したのマントラ

によって、三界の業が浄化され、本来の人間の実相が現れる

されるからだ。


そのような修行を積んだインドの聖者でヴェーダ哲学の学者である

シュリラム・シャルマ師はヒマラヤの麓の聖地、ハリドワールに

ガヤトリーマントリーを主体にした道場(アシュラム)を開いた。

 

そこに至る経緯を、マントラの説明に入る前に今日はご紹介

したいと思う。

 

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ガヤトリーマントラはインドヴェーダ哲学が存在していた時点で

唱えられていたという。

その後数千年の間にインドでは文化的に社会的に大きな変遷を経て、

このマントラは現代に残った。

インドにも中世の暗黒時代があり、封建的国家の抑圧や外国勢力

から征服されてきた。


例えば、当時の王宮であったタージマハールが、イスラム王朝時代

の最も有名な世界的建築物だ。

その後も、イギリス軍の支配下に置かれたりしながら、

古代からのヴェーダ哲学の遺産は、現代に受け継がれてきている。


その中心軸をなしていたのが、ヒンズー教社会特有のカースト制度

があり、最も高い位とされた、ブラ―ミン階級、つまり僧侶の資格

を持った階級に属す男性たちだった。


”密かに”というのは、このマントラは外部に聞こえるように

唱えるものではないとされてきたこと、女性はガヤトリーマントラ

の修行を厳しく制限されていたことで、公に誰でもが知る

マントラではなかったようだ。

 

ブラーミン階級の男性にとって、ガヤトリーマントラを唱えヨガ的

(神と一体になる)修行こそ、最も好ましい霊的目標(解脱)

を遂げることができると信じられてきた。

私が何度か通ったガンジス川沿いの道場(アシュラム)の一つ

ではガヤトリーマントラの行が主流におこなわれていた。

この道場は、シャンティクンジュと呼ばれ、世界各地からの

求道者たちを受け入れていた。

 

ここを開いた方は、聖者にして学者である、

シュリラム・シャルマ先生(*1)であり、先生は不思議な体験

持っていた。

1926年、15歳のとき、ヴァサント・パンチャムと呼ばれる

春を祝い、ビーナを手にしているサラスワティ女神に祈りを

捧げる大きなお祭りの朝、ガヤトリーマントラを自室で唱えて

いたら、見知らぬ老人が、まぶしい光を放ちながら忽然と

その輝きの中に現れたという。


この老人こそ、サヴェシヴァラナンダ師というヒマラヤで幽体

のまま何世紀も生き続けて修行をしているといわれる聖者だった。

仰天するアチャリヤ少年の前に姿を現したこの聖者は、少年の

過去3代にわたる生まれ変わりの遍歴をヴィジョンにして見せて、

現生に生まれてきた少年の使命が何かを伝え、目の前にいる

聖者こそ少年を霊的に導く導師であることを認知させた。

 

こうして少年はこの導師の目に見えない働きかけや耳に

聞こえない英知の働きを受けながら、ヒマラヤで修行をし、

里におりて、ガンジス川の流域の聖地、ハリドワール

アシュラムを構築したのだった。

 

アチャリヤ師は日々、2400万回ガヤトリーマントラを唱える

という行を24年間にわたり行いながら、多くの本を記し

1990年6月2日に他界された。 

私がこの道場を訪れた時はすでにアチャリヤ師は霊体に

還っておられた。

 

さて、この道場でガヤトリーマントラの行を行うとき、

南インドにいる私の霊的師であったサティア・サッチャ・サイババ師

が、このマントラを強く勧められていたこと思い出した。

たった3回、朝・昼・晩に唱えるだけで、様々なカルマからの

逸脱ができると教えた。

サイババ師は、自らテープ(当時はカセットテープが主流)に

き込んで、希望者や弟子たちにそのコピーを配布された。


マントラの効果は言霊にあるから、正しい発音やアクセントが

大切だということだろう。

おかげで、私はそのテープを聞きながら習得してインド国内

どこへ行ってもどのヒンズー教徒の前でも、恥ずかしさを感じる

ことなくこのマントラを口にだすことができた。

 

次回はなぜ、このマントラが現代のインド教(ヒンズー教)に

大きな位置を占めているのか、その背景と起源をお話させて

いただきたい。

 

 

 

*1)1911年9月20日生まれ。インドUP州。8歳の時、

バラナシヒンズー大学創立者のマダン・モハン・マルヴィア師

によってガヤトリーマントラのイニシエーションを受けた。

 

 

 

このアシュラムは、ガンジス川対岸を臨むシャンティクンジュと

呼ばれるアシュラム(道場)


 

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