自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ウクライナ戦争と私たち(波動的一考)

2022年03月07日 | 健康のための心の波動


対岸の火事ではない。。。どころか、自分の心が起こした戦争     

2022年3月7日

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世界中、多くの方たちが涙を流して、

毎日の報道画面をみていることでしょう。

 

~ウクライナの市民たちの”助けてください”という声を

聴きながら、~幼い子供たちと母親が必死に

避難をする様子をみながら、

~武器をもって一命をかけても,祖国を救うと言って、

立ち上がった一般市民の、

~しかも、兵士志願の女性の果敢な勇気をかいまみながら、

~国境近くまで逃げてきた家族の間で,さ迷う,尾を

垂らした,飼い主が消えた犬の姿や、

 

そのヒトこま・ヒトこまの映像がこんなに、いたたまれない

気持ちにさせるとは・・・

対岸の火事ではありません・・と番組の司会者が語っています。

 

そうですね。

むしろ、対岸の火事というより、この戦争を起こしているのは、

私たち’人間’という集合的生き物のエネルギーの

終結ではないかと・・

そう感じて、私は、背筋が冷たくなる想いなのです。

 

エネルギーが? 

はい、個人主義的で、快楽主義的で、長いものには巻かれろ式の、

事なかれ主義、

物質的で保守的で、守備を固めて弱者へかける想いは薄い、

自分たちさえよければよいのだという、そんな日和見主義的な

心が、寄せ集まって、固まりあって、プーチンのような独裁者の

侵攻を赦した世界構図が、出来上がってきたのではないかと、

ひそかに心を痛めています。

 

コロナもしかり、災害もしかり、戦争もしかり、すべて、

地球に生きている、心あるものの中で最も大きな

エネルギーの輪を作っている人類が生み出したものの

ような気がするのです。

調和を欠いた、愛に欠けた、不条理と不平等、貧困と公害

や自然破壊を生み出す、ヒトの心が創り出した

ような気がするのです。

 

どうしたらよいのか?

それぞれの仕事の中で、できることはあるでしょう・・・

とどのつまり、一人ひとりが、本当の自分の姿に立ち戻る

ことなのだと思います。

自分が自分でなくて、どうやって、よそのヒトの

助けに手を差し伸べられるのでしょう?

長い目でみたときです。

 

自分が自分であること?何が自分の本質か?

本当の自分?

犯罪で’人殺し’すら可能な人間なら、自分の愛する国

や人のために 命をかけることをいとわないのも人間です。

そんなふり幅の大きな、自分の中にある本当の自分の資質、

本当のエネルギー態としての自分の自覚、それが、私は

世界に平和をもたらすことができる、一つの方法だと

思うのです。

 

なぜなら、私たちの意識は、つながっているから・・・

101匹の猿・・のお話にあるように、九州の沿岸で、芋を

洗ってたべることを知った猿が増えたとき、そこから

離れた佐渡島の猿も、自然に、芋を海水で洗って

食べるようになる・・

こうして情報というエネルギーは時間と空間を超えて、

拡散していくのです。

だから、世界の ’四分の一’ の人たちが本当の自分の

”愛”の実相に自覚を及ぼしたとき、世界は、愛のピンクの

オーラで自然と包まれていくでしょう。

 

それが9年前に、私がこのブログを始めた動機でした。

 

自分を知ること・・・・

本質を知ること・・・

もしかしたら、何十年も、何世紀もかかることなのかも

しれません。

が、それは必ず、達成されるでしょう。

 

なぜなら、それが、私たち一人ひとりが、この世に生まれて

きた最大の目的なのですから・・・

何度生まれ変わっても、きっと、ヒトは、それを求めて、

生きていくのだと思います。

自分を知ること・・それは、心の安寧を確保すること・・

そして、人への癒しを与え・・

大きく外に空気のように拡散していき、自然界にも 

人間界にも、平和をつくっていくのだと思います。

 

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波動医学と臨死体験の共通性

2022年03月02日 | 健康のための心の波動


波動は次元を超越する               2022/3/2

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先回は人体に流れる波動によって、

病原を考える新しい医学の仕組みをご紹介しました。

肉体細胞の一つ一つは、それを最小細微に見ていく

と、原子核と電子のような形になること。

そして、原子の中の核と電子は、原子の大きさの中では、

埃の一粒よりもっと小さなものであると実証されたこと。

そして、それらの配置関係は、一つの細胞の中で、宇宙で

いえば、星と星との空間の広がりほどの虚(なにもない)

空間が広がっていることがわかっています。

それなのに、なぜ、いまだに、日常的に、私たちの体や

すべて物質存在が”固体”であるという錯覚、当たり前

のように信じられているのか?という素朴な疑問.......

 

皆さまはどう思われますか?

 実は、細胞の中に広がっている

巨大な空間の中では 電子が 絶えず、回転運動

(のような動きを続けています。

すると、その虚の空間に生み出され広がるのは一つの

エネルギー態です。

それが、鋼のように強い”固体”のような実態を

持つということが、わかってきました。

 

たとえれば、竜巻です。

竜巻は、本当は、空気だけの構成にもかかわらず、中で大きな

渦回転が起きているために、まるで頑丈な物体のように、

移動し、周囲を巻き込み破壊していく威力に変貌するのです・・・

 

さらに、もう一つの理由。

それは、私たちの身体の持つ知覚機能は、簡単にいえば、

ざるで水をすくうほどに、大雑把で、鈍感であるといえるからです。

 

水(本当の真実の姿)すくう(知る)のには、あまりにも、

我々の五感機関の能力が粗すぎるがゆえに、身の回りのすべての

物、テーブルや椅子、自分の身体や、部屋にある雑多な小物など、

それらを粒子体ではなく、固形物とした“物”としてとらえるほか

できないからです。

 

生長の家の創始者谷口雅春先生は、日本の哲学史上、初めて、

アドヴァイタ(不二一元説)を解いた宗教家・哲学者ですが、

よく、こんな喩えを話しておられました。

 

”映画を例にとってみましょう。

映画はフイルムのコマで構成されてますが、コマとコマの

間には隙間があります。

それにもかかわらず、映画として実写されていくと、

一連のフイルムのコマとコマは、流れある動きをみせます。

しかし、実際は、つなぎ合わされたコマが素早く再生

されているだけなのです。 

 

それでも、人間の肉体の次元の目の能力では、そのコマ

一つ一つを識別することができないのです。” と。

ヒトの身体的三次元的感覚機能の、不確かさを指摘

します。

 

さらに、

”映画の役者は演じているだけ、コマをつなぎ合わせてみれば、

一つのストーリーになる、しかし、実際、フイルムがあるに

すぎない。

映画の中に、’実在’している本質は、どこにあるのか?

それは、その映画を作ったプロデューサーの心の中に

おける、制作するときの、主題という’意図’、つまり、

伝えたいという願う’情報’が、大元の実在なのです。

それは無形なものなのだが、大いなるエネルギーにほか

ならない”

 

少し話が広がってしまいました。

ここでは、映画を鑑賞することを可能にするための、ヒトの

感覚器官のおぼつかなさ、と、そこに、本当に実在する

というものは、情報態、でしかない、つまり、制作者の

意図という、目に見えないエネルギー態であるという

ことをお話したかったのです。

 

物理学的にいえば、量子のエネルギーが 物質を形作って

いるということにもなります。

このように、私たちの身体は、その本質に、特殊なエネルギー

が存在しているということです。

 

そのエネルギーを整えることは、東洋医学で古代から、経絡

(けいらく)を流れる

順気を整えることに応用されてきました。

このエネルギーが、特殊というわけは、現代のAIの最高

知識をもってしても、分析は不可能なものであるに違い

ないからです。

それは、生命がある物の器官を分析することはできても

生命そのものを、AIが指摘することが不可能と、同様

です。

 

さて、これまでは今日のテーマの前書きです、今日の主題に

移りましょう。

”臨死体験者と波動医学の共通性???”

 

はい、一言(ひとこと)で総括すれば、双方とも、

時間と空間に縛られない、光速より早く、時間の概念

のない世界で可能なことであるということです。

つまり、臨死体験者は、時間と空間を超えた世界を

垣間見て、またこの第三次元に戻ってきた人たちです。

 

一方、波動医学 とは、時間と空間を超えた、

波動の世界における法則を利用して、不調を治し、

根本的治療を施すことです。双方とも重要な共通する

ファクターは、本質という名の実質、世界を構築して

いる大元のエネルギー、人の心すらも動かしている、

そして、身体を自動装置つきのコンピューターの

ごとく、生かしている、エネルギーは、とてつもなく

無尽蔵に大きい一方、極限に近い極微な存在でもある、

ということなのですが、また、話が、広がってしまい

そうなので、とりあえず、

この辺で、今日のところは、このあたりで、ピリオドを

うたせていただきます。

 

 

 

 

 

 

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