自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

地球浄化にもつながる、業の解消とは?(改訂版2月9日)

2024年02月05日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム


’私’と’宇宙’の繫がりって?(2)     2024年2月5日

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前書き)2月5日に発表したこの記事は、あとで、読み直して読みずらい
ので、今日、2月9日に、書き直しました。

タイトルの”宇宙とのつながり”についても触れておらず、書き足しました。
不明確で失礼しました。

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前回(2月1日)の記事は、”自愛(自分自身を大切に愛せること)が

カルマ解消の一歩”というお話でした。

自分を愛することとは、具体的に、どういうことでしょう?

それは、”今の自分が、心地よいと思える 自分 ”でいるかどうか?
ということだと思います。

そして、そのときの ”自分” とは、誰でしょう?

”私を心地よくさせる”といったときの、”私”とは、誰でしょう。

”私”という言葉の定義は、広く、厄介です。


たとえば、”私の” ”私が” ”私を” と日常会話で、出てくる”私”は、
大体が 肉体感覚と仲の良い、エゴ意識の ”私” です。

何かに、誰かに、執着する自分が、そこに垣間見えるからです。

私の物よ”
私が正しい”
私を認めて”という具合です。

そして、とても感覚的で、五感の心地良さを求める傾向があります。

若いころ、私は、それでも、幸せになれるのなら、かまわないと思っていた
ときがありました。

それで・・・五感が満足させること:美味しいものを食べ、欲しいものを
買って、気の合う仲間や家族たちと旅をして、恋を楽しみ、少々刺激的な
感覚的快感を伴う日常生活を求めていました。

良き木には良き果実が実る‥のと同様、真に心地よい自分で過ごしていれば、
そうした日常生活にも、心地良い充足感と、幸せ感をもたらしたはず
なのですが・・

・・・が、最後になぜか、’心地良さ’と真逆の、’虚しさ’ を砂を噛む
ように味わっている”もう一人”の”私”がいました。

その自分は、五感を満足させても満たされない、そんな自分を見つめて
いました。

その自分の眼をもって、自分の行いを見つめてきた私こそ、自分の一番
中核に存在する、自分自身(アートマ)であるということを、自覚
したのは、インド時代でした。

そこで、”本当の自分”に 回帰したいと切に願うようになりました。

ヨガを学びました。

そのとき、私がイニシエーションを正式に受けた、クリヤヨガの師匠で
”あるヨギの自叙伝”の執筆者でもある、故ヨガナンダ師は以下のように、
簡潔に言いきりました。

”When this 'I' shall die, then will I know who am I" 
”私意識が死んだとき、私が誰だか知り得るだろう。”

つまり、五感の感覚や感情によって揺れ動く自分は、肉体に属する”私”・

その’私’は、肉体を脱ぎ捨てたとき、肉体感覚とともに、消滅するわけです。

そして、そのあとに、なおも残る、自分という”意識”こそ、ほんとうの自分
というわけです。

その、本当の自分の意識こそ、自分本来の”私”であるのです。

ところで、”心地良い自分”の追究=”エゴの追究だ” と勘違いする人
もいます。

思う存分、自分のしたいことや欲望を満たすこと、で 自分を心地よくさせ
られると信じているのですが、その結果が、決して幸せ感に満たされないのは、
なぜでしょう?

エゴの自分の目は、外へ外へと、対象を追い求めます。

本物の自分の目は、自分の内側に内側にと、向かいます。

この目を、第三の眼 と人は呼びます。

第三の眼が、自分自身の本質にそって生きることを良しと~判断したときは

”思い”も、”言葉にしても、”行動に移していく”ときも、そこには、本当の
満足感と至福感が味わえると、覚者は教えます。

その第三の眼が良しとする思いは、絶妙な波動となり、それが良きオーラ
光背(こうはい)として霊眼に見えることもあります。

その絶妙な波動こそ、創造する力と、愛する力、外の対象や状況に、左右
されない安定と静謐(せいひつ)をもたらす波動です。

この波動こそ、私自身の本来の波動です。

本来の、私自身は、エゴやエゴの知識では図りえない、絶妙な生命力です。

そして、この生命力は、宇宙の、すべてを生かそうとする波動(例:太陽の
生物を生かす力‥)と、波動数が合致するわけです。

その静謐な自分から発せられた、言霊は、宇宙に発信されて、宇宙に広がります。

たとえば、以前(1月25日)あげた、業を解消する祈りもその一つです。

自分の業(カルマ)を解消するための言霊の力は、地球のカルマをも解消する
役目を持っています。

地球のカルマというのは、自然災害や、気候変動や、近頃問題になっている
温暖化現象や地震、山火事などに 現在、現れてます。

その原因は、私たち地球人のカルマとも言えます。

エゴ的な思いや行動を通じて、負のカルマを膨らませていき、飽和点を
超えるときが来ます。

すると、地球の大気や海底、地層や気候など、すべての自然に対して、
破壊的な力が、カタルシスとして働きます。

これが、マイナスの破壊的エネルギーとして、放出している 自浄作用の
結果です。

私たちの毎瞬間に出している、想いや行動、考えや言葉が、自然現象破壊
を創り出す要因になっている・・・ともいえるでしょう。

それの要因が、人間の想いや行動にあるとしたら、それを解決するのも、私たち
の想いや行動であるのでしょう。

つまり、地球の浄化、宇宙の浄化は、まず、私たちの浄化から始まるといっても
過言ではないはずです。


そのために、本当の、ピュアな自分自身に還る事・・・
第三の眼を意識して、自分の本当の意識を、蘇らせていくこと・・・

地球人、一人ひとりが、エゴ的な自分の言葉や、行動、考えを、浄化していく
ということを、今ほど、必要とされている時は、無いような気がいたします。


【完】


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カルマのお話:第二弾

2024年02月01日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方


自分を大切に思う事・・カルマ解消の一歩 2024年2月1日
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前回の1月25日の”カルマ解消”の続きです。
業(ごう)とは何ぞやのお話でした。

”今の自分の環境や、性格の原因になっているもの”・・
それは、
”生きとおしの魂が、無窮の時の間に、生命体として存在したときに
解決できていない課題” ともいえるでしょう。

私は、その昔、遊女でした。
その前の生では、僧侶。
そしてその前は、女王、そして、さらに前は、魔女、もっと前は、
他の星から流れ込んで来た生物体でした・・・そして、その前は、
宇宙空間に浮かぶ、意識を持った鉱物でした・・・(例えば・・?ですよ)

それぞれの、生きてきた生涯で、エゴ意識とアートマ意識が交差して、
創り上げてきた人生の物語・・で、そのプロット中、まだ、解決ついていない
事件とその時の心の’わだかまり’が 業という種になりました。

それが、再び、今生の須田恭代の生の人生劇で、テーマになり、違った事件が
起きていたわけです。

そして、一つ、はっきりしたこと・・があります。
それは、そのテーマの一つが、具体的に今、わかったことです。

それが、”自分を赦すこと”
”自分を大切に感じること”
”自分を慈しんでいたわってあげること”でした。

どうして、それが分かったか?といえば、簡単な事実です。
外部の現象(自分とかかわった人や出来事など)を見る私の視点からです。

いつも共通したことがありました
たとえば、”価値判断”です。とかく、どこかで、批判(ジャッジメント)
をする傾向がありました。
それこそが、私自身をも、苦しめていた原因だとようやく、自覚できたのが
最近です。

その苦しみというのは、何をしていても、楽しくない自分の存在でした。
気難しい目が、決して心から笑うことのない目をして、自分たちを見つめている
視線を感じてきました。

結局、その目は、自分自身を分析して、過去の失敗や自分勝手な行動、感情の
ままの振舞いや、相手を生かすことへの配慮の無さなど、を、攻め続ける眼でも
あることに気が付きました。

それは、自分への批判につながり、結局、他者を見るときの、手厳しい評価に
もつながっているようでした。

この体験を通して、”自分に厳しく、他者に優しく”・・とは、言葉上可能に
思えますが、実際は、自分に優しくできない人は、他者を慈しむことも
難しいということだと思いあたるようになりました。

’優しい’ということと、’甘やかす’ということとは、違います。

”自分に甘い”のではなく、自分を”いたわってあげる優しい心”を自覚する
という意味でここでは、使っています。

とはいうものの、自分に優しくすることが、どれほど、難しい事か・・・
むしろ、自分に厳しく、自分を批判的に語る方が、簡単ですし、外部の人たち
が聞いたとき、心象も良いでしょう。

が、今、言えることは、”カルマを消す”ためには、前回、1月25日で書いたよう
に、相手へ感謝の心を送る以前に、することが、もう一つあったということ。
それが、”自分を許し、愛する”ことで、それが第一義だということです。

だからこそ、前回の、相手に許しと感謝を表明する祈りの前には、
自分を愛する言霊を、唱えることにしました。

その言霊の内容は;
”自分は”大我”なる自分に、無条件で愛されていること。
過去の失敗を繰り返していた自分は、すでに、赦されていること。
それにこだわる必要もないこと。
カルマは’大我’の、’愛’(アートマの愛)によって、浄化され、新たな
自分として、生まれ変わり続けていること・・
自分が頼るべきものは外になく、自分自身の本質である、大いなる
自分であること・・”

このことを自覚しないと、本当の意味で、カルマ解消の第一歩がなされない
ということです。

2月5日に続きます・・・


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