自分を大切に思う事・・カルマ解消の一歩 2024年2月1日
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前回の1月25日の”カルマ解消”の続きです。
業(ごう)とは何ぞやのお話でした。
”今の自分の環境や、性格の原因になっているもの”・・
それは、
”生きとおしの魂が、無窮の時の間に、生命体として存在したときに
解決できていない課題” ともいえるでしょう。
私は、その昔、遊女でした。
その前の生では、僧侶。
そしてその前は、女王、そして、さらに前は、魔女、もっと前は、
他の星から流れ込んで来た生物体でした・・・そして、その前は、
宇宙空間に浮かぶ、意識を持った鉱物でした・・・(例えば・・?ですよ)
それぞれの、生きてきた生涯で、エゴ意識とアートマ意識が交差して、
創り上げてきた人生の物語・・で、そのプロット中、まだ、解決ついていない
事件とその時の心の’わだかまり’が 業という種になりました。
それが、再び、今生の須田恭代の生の人生劇で、テーマになり、違った事件が
起きていたわけです。
そして、一つ、はっきりしたこと・・があります。
それは、そのテーマの一つが、具体的に今、わかったことです。
それが、”自分を赦すこと”
”自分を大切に感じること”
”自分を慈しんでいたわってあげること”でした。
どうして、それが分かったか?といえば、簡単な事実です。
外部の現象(自分とかかわった人や出来事など)を見る私の視点からです。
いつも共通したことがありました
たとえば、”価値判断”です。とかく、どこかで、批判(ジャッジメント)
をする傾向がありました。
それこそが、私自身をも、苦しめていた原因だとようやく、自覚できたのが
最近です。
その苦しみというのは、何をしていても、楽しくない自分の存在でした。
気難しい目が、決して心から笑うことのない目をして、自分たちを見つめている
視線を感じてきました。
結局、その目は、自分自身を分析して、過去の失敗や自分勝手な行動、感情の
ままの振舞いや、相手を生かすことへの配慮の無さなど、を、攻め続ける眼でも
あることに気が付きました。
それは、自分への批判につながり、結局、他者を見るときの、手厳しい評価に
もつながっているようでした。
この体験を通して、”自分に厳しく、他者に優しく”・・とは、言葉上可能に
思えますが、実際は、自分に優しくできない人は、他者を慈しむことも
難しいということだと思いあたるようになりました。
’優しい’ということと、’甘やかす’ということとは、違います。
”自分に甘い”のではなく、自分を”いたわってあげる優しい心”を自覚する
という意味でここでは、使っています。
とはいうものの、自分に優しくすることが、どれほど、難しい事か・・・
むしろ、自分に厳しく、自分を批判的に語る方が、簡単ですし、外部の人たち
が聞いたとき、心象も良いでしょう。
が、今、言えることは、”カルマを消す”ためには、前回、1月25日で書いたよう
に、相手へ感謝の心を送る以前に、することが、もう一つあったということ。
それが、”自分を許し、愛する”ことで、それが第一義だということです。
だからこそ、前回の、相手に許しと感謝を表明する祈りの前には、
自分を愛する言霊を、唱えることにしました。
その言霊の内容は;
”自分は”大我”なる自分に、無条件で愛されていること。
過去の失敗を繰り返していた自分は、すでに、赦されていること。
それにこだわる必要もないこと。
カルマは’大我’の、’愛’(アートマの愛)によって、浄化され、新たな
自分として、生まれ変わり続けていること・・
自分が頼るべきものは外になく、自分自身の本質である、大いなる
自分であること・・”
このことを自覚しないと、本当の意味で、カルマ解消の第一歩がなされない
ということです。
2月5日に続きます・・・