自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

アンコール(過去に載せた記事の補正投稿です)①

2024年12月12日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質


何故、 頑張りたい ?   
12月12日
*******************************************************************

下に、整体操法の創始者 野口晴哉氏の言葉がある;


①何故 頑張りたい? 
自分の弱さを知っているから

②何故 すましている? 
言ってボロを出すより、知っていることでも黙って
いた方が、利口にみえるから

③何故 断言する? 
自信が無いからだ。
多くは自分に言い聞かせている

④何故 勝とうと焦る?  
負けると思っているからだ

⓹何故 ほめられたい?  
やっていることに自分で自信が持てないからだ

何故 剛情を張る?  
弱いこと、腰が固いことで、 転換がきかないのだ
***********************
 
これらの言葉は、どんな人にも多かれ少なかれ、
心当たりのある、体験があるだろう。

ここで野口氏は、 人が自然治癒力を謳歌するための
秘訣を、行間で伝えてくれているような気がする。

人の自然治癒力が 十分に働く条件がここに、示されている
ような気がするのだ。

たとえば、

①頑張らない=リラックスする、

②断言しない=受容する心、

③勝とうと焦らない=結局は人との戦いではないこと、

④褒められたいと思わない
=自分は自分の主人(マスター)
自分が褒める事
をすれば良い、

⓹剛情を張らない=視点をずらす 


もし、これらの5つの条項を 理解して現実に
生かしていれば、人は、健康寿命を延ばせるだろう

子供の教育にも適応できる言葉でもある。

特に③の”勝ち負け”の点は、他者に勝つより、
自分に勝つ ということが大切だとわかれば、
他者と比べることも、自分を卑下することも
意味が無いと気が付くはずだ。

④の褒められたいという欲求は、子供も成人しても
多少は誰でも、持っている気がする。

これも、元は③と同じで、他者の基準を重んじるから
認められ、褒められることで、嬉しく感じるのだろう。

自分をぶれずに持っている限り、自分が自分を褒める
ことを為すほうが、肝心だということも、
自然と理解できるだろう。

⓹の視点をずらせることを、臨機応変にできれば、
感情をコントロールすることが 易しくなるだろう。

負の感情を抱くと、なかなか、それに左右されて、
仕事の能率が悪くなったり、失敗したり、イライラが
まして ますますその感情が大きくなっていくことが
ある。

そうしたとき、視点をずらす・ 例えば、別の事を
始める、相手の立場をもう一度考えてみる、自分
以上に相手も苦しいのかもしれないと、想像する
自分に本当に非がないのか、と反省してみる

などなど・・・

視点をずらそうと、決心すれば、少しずつ、そういう
客観的な自分の心の眼に、気が付くはずだ。

誰もが持っている”心の眼”は、使いこなせるように
なるには、忍耐と努力がいるようだけど、これを
習得すると、本当に、①のリラックスを得ることが
できる。









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昨日の付け加え・二輪車の喩え・・現実と真実

2024年12月08日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質


神と宗教とは関係ないし、自分の中にいる神とは
自然な生命発露のことなので・・・2024/12/08
***************


昨日 挙げた記事は、少し不親切でした。
というのも、言葉不足であった・・かもしれない
のです。

少し、足させていただきます。

-------------

① ”自由”なら、束縛からも、解き放たれているはずだ
から、 病の原因を作るはずはない。

~ここでは、心的原因を言っています。
心的原因は、物理的原因と、少し、次元が異なります。

物理的要因は、それを、物理的に是正することが
できるけれど、心的原因は、眼に見えません。

心的要因と病気の原因が、関係している、と思う人
も、どちらかというと、少数派ではないでしょうか?

ですが、私は、心的要因こそ、病の大きな誘発剤で
あると思っています。

全て物理的に、同じ状況下で、風邪をひく人と
そうでない人がいるのなら、それは、”心”の中
にある、”何か”が、そうさせているのだと
思うからです。


②”自由を求める人にとって、行動することは進歩する
ことだと言われている。

心を浄化することが、神を心に抱くための向上手段であり、
それを確実に助ける。”
*****
~ここでは、自由を得たいために、人は行動を起こします。

が、行動することより、もっと、自由を得るために
効果的手段があることを このパラグラフでは伝えて
います。

それは、つまり、”神を心にいだく” ために、”心を浄化する”
ということです。

神というと、反射的に毛嫌いしたり、心を閉ざす方たちも
いると思います。

ここでいう神とは、宗教的に言う、神 とは違います。
宗教は、組織です。
でも、この神は、組織と無縁の、個人的な一人ひとりの
心身を統一している、”何か”なのです。

その存在に気が付くことで、心身は浄化されます。
浄化されれば、エネルギーが変ります。
異次元化すれば、そのエネルギーにふさわしい、振動を
もつ、モノや事や、人 が現れてくる・・

もちろん、小さな自分の、ぎすぎすした執着や怒りや
恐れからも、少しずつ解放されていくはずです。

逆もまた真なり。

浄化を心がけることで、自然と、ここでいう、”神”は
自分の中に、自分の考えに、行動に、生体システムに
現われてきます。


③行動に束縛されず、持てる欲望を捨てられたとき、
彼は内なる神と一体感を味わい始める。(6-3-4)”

②の状態が進行していけば それだけ、
エゴ所属の肉体感覚の判断や、誘惑、などの精神的
作用を 客観視できていきます。

その代わりに 自分自身の中にある、神との一体感
が増してくることを言っているパラグラフです。

**************
ただし、最後に。
そうはいっても、労苦に面している時、物理的にまず、
手段を考えることが 先決です。

ここでは、それと同時に、自分自身の心の中を
よく、見続けていて欲しい、という、メッセージでも
あります。

どちらか一つでも、現実的ではありません。

自転車が二つの車輪で動くように、地球に生きている
私たちには、二つの手段と要領が必要です。
つまり、
現実の物理的手段〈二次元的)と、クリシュナが
いうような、心の神(一次元的)を見つける方法です。

が、後者の車輪は、自分自身が意識をもっていかない
限り、修理することは不可能です。
自分自身でしか、どこの工場や、技術者でも、不可能
であるということ・・・

でも、こちらの車輪が健全であれば、物理的車輪が
ダメになっても、一輪車(サーカスなどで見かける)
として、人は、それを活用して乗りこなせて、自由
を味わえる・・そのために、’心の浄化’が
大きな役目を持っているということだと
クリシュナはいっているのでしょう。





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病にかからない心境②

2024年12月07日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質



自由 
-------------

病になれば、自由はきかない~と考えられている。
が、そうとも限らない。

”自由”なら、束縛からも、解き放たれているはずだ
から、 病の原因を作るはずはない。

一方、病になっても、自由になれる人もいる。

そのへんが今日のテーマです。

*****************
前回(12月3日)からの続きです。
クリシュナ神が、アルジュナに語る
ヴァカバッド・ギータの6章からです。
*****************

① “It is said that for the seeker of freedom, 
doing action is the means for progress.

自由を求める人にとって、行動することは進歩する
ことだと言われている。

② Purification of the mind is the means as 
the progresses to embrace the Indweller and
 becomes skilled at it. 

心を浄化することが、神を心に抱くための向上手段であり、
それを確実に助ける。

③ He starts embracing the Indweller when he doesn’t 
attach himself to the sense-objects or actions, 
and renounces all possessive desires and resultant 
resolutions. 

五感の刺激対象に無頓着になり、五感の刺激のための
行動に束縛されず、持てる欲望を捨てられたとき、
彼は内なる神と一体感を味わい始める(6-3-4)”

****************************
自由とは、自由に行動できることではなく、心を浄化
させて、束縛の境地から脱していく過程にあるのですね。

そうわかっていても、”欲しい”という要求は、なくならない
もの。

***************
④ “He, who has mastered himself, becomes 
his own friend. 
He, who has not mastered himself, becomes 
his own enemy and plays the role of an opponent to
 himself” (6-5,6)

自分を極めた人は、自分自身の友となり、
それができない人は、自分が自分の敵になり、
自分自身の対戦相手となるだろう

************
自分を極めるには、自分を知らなければなりません。

本当の私?って・・それがわからないと、極めようが
ないのですから。

自分を極めた人の特徴を、クリシュナは以下のように
説明してます。
************

⓹ “He, who has mastered himself, stays peaceful and 
undisturbed while contacting the opposing sensations
of cold and heat and remains unperturbed by honor 
and humiliation. “ 

”自己をマスターした人は、平穏な心持で、対極的な
感覚的刺激、たとえば、冷たさや熱さ、などに煩わされず、
名誉や屈辱に心を踊らされないようになる。“

****************
自分を統御できる人とは、
平安な平常心を維持している人をいうのですね。

その心を得るための心得は、以下のように、クリシュナは
述べています
************************

⑥ “This peace is not available to the one who eats 
excessively or to the one who starves, to the one 
who sleeps excessively or to the one who abstains 
from sleep. 

心の平安は過剰に食べる人や飢えている人は得難いし、
過剰に睡眠をとる人や不眠症の人にも得難い。

⑦ The skilled spiritual practitioners(yukuta) 
who practice moderation in food, living, action 
and sleep are able to embrace the Indweller 
without difficulty.” (6-16,17)
 
スピリチュアルな行動に長けている人(ユクタ)は、
程よく食事し、生活し、行動し、睡眠をとり、困難なく、
内心に存在する、絶対者を心に抱くことが可能となる。“

************************
この”程よく”という言葉は、仏教的には、”中庸(ちゅうよう)”
という意味でしょう。

何事にも、”中庸”をはかって、生活することが、”絶対者を
心に抱くことが可能になる”というのです。

’絶対者”を心に抱くこと・・・それが、最終的には、
上の④にある、自分自身と友達になること・・だと
私は思うのです。

自分を極めた自分が、娑婆世界で生きていくための
’物質的自分~エゴ”にとって、一番の、大きな味方にも
なるはずです。

’絶対者’ という強い言葉は、本当は、’自分自身の中’にあり

自分の本性である、”天性の神聖な”、自分をさしているの
だと、想うのです。




 
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病にかからない心境①

2024年12月03日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質


行動するときの心得
*************

以前、孔子の”論語”に匹敵するほど、インドでは
誰もが知っている、”ヴァカバッド・ギータ”を
紹介したことがあります。

”論語”と、違う点は、明確に、”神”と”人”との関係を
はっきりとさせながら、人の人として生きるべき道を
説いている点でしょう。

それは、クリシュナ神が語った言葉・・が
軸になっています。

いかに人は、己の真性を知り、真の魂の自由を
得られるか、
束縛(肉体的・物質的・精神的な)を外せるか
ということを、戦闘の最中、アルジュナに語って
いる部分です。

まるで、その内容は、お釈迦様が弟子に語った、経典
のようでもあります。

今日は、この協会の主旨である、
”人が自然治癒力を充分に発揮して健康態で生きる”
ということに関連するいくつかの、言葉を、そこから、
ご紹介したいと思います。

************

① “Among these two, doing action is better than
 not doing it.
He, who neither hates nor desires is to be understood 
as an eternal renunciant. 

行動する方が行動しないより勝る。
憎しみも欲望もなくなったものは
世捨て人と理解されよう


② Having freed himself from the attraction of
 the opposites, he very easily frees himself 
from the bondage of action. 

また、自分に向き合う魅惑的対象(誘惑)に
左右されなければ、行動の束縛からも解き放たれる。


③ It is the amateurs, not the scholars, 
who describe knowledge and action as different. 

また、知識と行動とは別物だというものは
素人(神の智慧において)学者(熟知者)ではない。


④ He, who establishes himself firmly in any one of 
these two, gets the benefit of both. 

知識か行動か、どちらかにおいて、自己をしっかりと
確立したものは、双方の恩恵を受け取ることができる。


⓹ The final state of awareness attained by the enquirers
 of knowledge is attained by the practitioners of selfless
 action as also.  

つまり、真理の知識を積み重ね、最終的に悟った人は 
同時に、無我の行動の実践者になるのである。


⑥ Knowledge is the same as embracing divinity 
in action. 
He, who realizes this, has indeed realized.  

真理に至る知識とは、行動するうえで神性(自己の)
を意識しているということだ。

それを悟ったものは、まこと解脱を実践できる。


⑦ Without doing action and embracing divinity 
while doing so, it is very difficult to give up the 
awareness ‘I’m the doer.’

行動しているとき、同時に、神性を心に抱いて
いないと、
‘行動を起こしている者(行為者)は私(小自我)
である’ 
という考えをなかなか捨てることは難しい。


⑧ But embracing action as divinity itself and 
becoming skilled at this embrace, one rises to the 
awareness of Brahman promptly.”

しかし、行動は、神性からなされているという考え
を抱き、
それに徹することができたとき、人は即ブラフマン
(宇宙神)の智慧の高みに到達できるだろう


(以上)ヴァカバッド・ギータ (5-2 to 5-6)より
***********************



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